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IL TRENINO VERDE サルディーニャ島緑の列車 テンピオとパラウ・マリーナ
パラウ・マリーナからの帰路は先ず推進運転でそろりそろり。先頭の客車デッキで誘導員が赤青の手旗をもって誘導、この間併用軌道では一方通行が信号でストップする。スイッチバック地点で今度は機関車が先頭になり、パラウ駅で機関車を付け替え、テンピオに戻るのである。
テンピオで、日本人にとってはかなり遅い夕食の飯屋を探す。観光客が多い割りに(むしろそのために)「リーズナブル」な我々向きの店が見付からない。観光客に無縁の小汚いピッツァリアに入ったが、このピッツァは美味ならず。本場のイタリアでも、こんな僻地では流儀も違うのか。
カリッとせず、もんじゃ焼きとはいわないがべちゃついて、食い物のない頃に育ち、出されたものを残すのを罪悪と心得る小生でも食い残す稀有の事例となった。ただこんな山間なのにタコの酢の物?は旨かった。生のタコが食えるなんて、ギリシャかイタリアぐらいであろう。
翌朝町を散歩したが、意外に大きく、綺麗な町に感心。昨日目をつけていたポイント=国道との並行区間で列車を待つが、定時より30分ほど遅れていた。踏切毎にボランティアと思しき男たちが車で待ち構え、携帯片手に指令を受け、道路交通を止める。列車は下り勾配も手伝い結構なスピードで、列車の追っかけや追い抜き運転にに慣れている先達は大変だった。
今日の列車は末尾にニス塗りの復元客車を連結した3両編成で、マコメールで見たのと同じだが、標記が少し違っている。どうやら旧所属でのレタリング(といっても金属板切抜き)に合わせ凝った復元をしているようだ。
終点のボサ・マリーナでは、観光客が復元客車の真っ赤な座席テレンプ、ピカピカの磨き出し真鍮金具類など、キンキラキンのド派手な車内にとまどっていた。在来客車と余りにも差があって、乗っていいものかどうか分からないからである。
網棚はヨーロッパの古い2軸客車などに見られる横型で、かつての修学旅行用電車「きぼう」がこのマネをしていた(小生の時代は中、高とも蒸機牽引客車列車の時代で、電車なんぞ1回も乗せてもらえなかった)のを思い出す。
【手旗誘導で推進運転.jpg : 323.0KB】
【夏季1日2往復の列車.jpg : 346.1KB】
【併用軌道をそろりそろり.jpg : 326.3KB】
【復元客車が連結.jpg : 314.4KB】
【ピカピカの車内.jpg : 349.6KB】
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