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明治10年に開業した初代の京都駅は、よく知られているように、現在の駅前広場の東側付近にありました。それが、二代目駅舎の完成に伴い、大正3年に現在の位置に移転しています。初代の京都駅は、開業時の写真としてよく紹介されているホーム一面だけのごく小規模なもので、その後、東海道線の複線化で構内も拡張されたものの、2面3線に側線がある程度のもので、ローカル線の小駅と変わらない規模だったようです。現在では、初代の京都駅や旧線跡を偲ぶような遺構はいっさい残っていませんが、少し前までは“らしい”ものがいくつか残っていました。
(2)国鉄バス車庫に残っていた旧線の擁壁
現京都駅を西へ、塩小路通を行くと、オムロンの本社ビルが建っている。ここはかつて国鉄バス京都営業所があった場所で、その後の西日本JRバスが吉祥院に移転し、その跡地に同社本社が移転してきた。当時の国鉄バスの用地のほぼ南側半分が旧線部に相当する。
その国鉄バス京都営業所の南側に沿って細い道があり(現在でもあるが)、西側の油小路通へ抜けていた。その当時、道路に沿って仕舞屋が続き、駅前とは思えないような町並みがあった。
国鉄バスの用地は、その道路よりやや高い微高地になっていた。これは、かつての旧線時代に嵩上げされた盛り土部とみることができる。
道路側の一部は石積みの擁壁となって国鉄バス用地に続いていた(写真4)。かなり古色蒼然とした石積みで、開業時と断定はできないものの、旧線時代に築かれたものであると大西顧問は推測されている。
ここからさらに西へ油小路通まで行くと、煉瓦塀(前号のような鉄道廃材の利用か)、「工」マークの入った境界石柱、「ケ」と刻印された石柱など、小品ながらも旧線を偲ぶ遺構が連なっていた。
【写真4 国鉄バス裏の石積み.jpg : 213.4KB】
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