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第2回目はモハ100形ワンマン改造後とモハ200形を紹介する。
1.モハ100形(ワンマン改造後)
モハ100形は【1541】でも述べた通り、昭和23年から27年まで24両製作されたが、それ以前、戦時中に新潟鉄工所に発注していた5両は財政難のため引取ることが出来ず、注文流れとなり名古屋市に引取られた。名古屋市では形式を仙台市の注文流れから1070形(1071〜1075)と付けられ、昭和43年まで使用された。僅か5両の少数派のため目立った存在ではなかったが、クローバー会会員で撮影された方がおられたと思ったので、画像の公開を期待したい。
昭和23年製のモハ101〜105はワンマン改造されることなく昭和49年廃車。106〜124の19両が改造され廃止まで活躍した。この時、正面3枚窓の左右非対称の2段窓化、前後扉の前中扉化等が実施された。
廃止後、モハ123は平成3年4月、地下鉄富沢車両基地に隣接して作られた「仙台市電保存館」にモハ1、モハ416と共に保存され一般公開されている。
また、モハ117〜119、121、124の5両は長崎電軌に譲渡され、台車を西鉄から購入したものと取り替え、番号順に1050形(1051〜1055)となった。形式の「1050形」は仙台から来たという意味で付けられた。主力として使用されていたが、冷房改造の対象とならず、動態保存的に残されている1051以外は廃車となった。廃車された車両の内、1053は仙台市の個人の方に引取られ、旧秋保電鉄の秋保温泉駅跡に保存、1054はオーストラリアのシドニー・トラムウェイ・ミュージアムに動態保存、1055は佐賀県鹿島市の保育園で保存されている。
(写真1)モハ119 昭和43年9月7日 仙台駅前
モハ119は廃止後、長崎電軌に譲渡され、同社の1053となり、平成18年廃車後、前述の通り、里帰りを果たし、秋保温泉駅跡に保存されている。
2.モハ200形
昭和29年から32年にかけて11両作られた全鋼製車で、流線型、正面2枚窓のスタイルは都電5500形をモデルにしたと云われている。昭和29年に201〜205、翌30年に206〜208がナニワ工機(現アルナ工機)、昭和32年に209〜211が日車で作られた。車内照明は蛍光灯となり、リコ式(反転式)の吊り手と共に新車であることをアピールした。昭和43年ワンマン改造時に正面2枚窓の内、運転台側を大型化し、左右非対称となった。
(写真2)モハ204 昭和40年3月22日 仙台駅前
昭和29年製の1次車、当初はビューゲルであったが、後日Zパンタに取り替えられた。
ワンマン改造前のオリジナルスタイル。
(写真3)モハ202 昭和43年9月7日 仙台駅前
昭和29年製の1次車でワンマン改造後
(写真4)モハ206 昭和43年9月4日 仙台駅前
昭和30年製の2次車はパンタグラフであった。
(写真5)[参考 都電5506] 昭和42年3月26日 品川駅前
都電5500形は、まず5502が国産の防音台車とWN駆動の高性能車として昭和28年に誕生、翌29年にアメリカのPCCのパテントを買って5501が作られた。翌30年に国産の機器で5503〜5507が増備された。5500形を2回り位小さくすると仙台市のモハ200形のスタイルになるのだろう。本来はパンタグラフであったが、後日ビューゲルに取り替えられた。
都電のスタイルが地方都市の路面電車に与える影響は大きく、6000、7000、8000の各形式でもよく似た車両が存在する。
【モハ119ワンマン.jpg : 122.2KB】
【モハ204.jpg : 77.8KB】
【モハ202ワンマン.jpg : 98.5KB】
【モハ206ワンマン.jpg : 113.3KB】
【5506.jpg : 108.1KB】
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