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引続き第3回目のモハ130形を紹介する。
昭和38年に琴平参宮電鉄より譲り受けたモハ180形に続き、昭和40年茨城交通より譲り受けた車両で、モハ131〜140の10両が在籍した。
上水戸〜水戸駅前〜大洗間を営業していた茨城交通水浜線が昭和40年6月11日水戸駅前〜上水戸間の営業廃止した時に余剰車を譲り受けたものである。尚、水浜線は翌年の41年6月1日全線の営業を廃止している。
モハ130形と1形式にまとめられているが、製造年が昭和26年から35年まで長期に亘っているため形態的には2両ずつ5種類に分かれている。初期の車両は、形態的にはモハ100形と類似しており、製造所も新潟鐵工所と共通部分が多く、ワンマン改造の上、長く使用されると思っていたが昭和49年にあっさり廃車されてしまった。
(写真1)モハ131 昭和43年9月4日
昭和26年製で131、132の2両在籍した。茨城交通時代の車号は129、130であった。モハ100形と比較してサイズ的には車体長は100形が11,400oに対し、12,200oと800o長く、車体幅は100形が2,174oに対し、2,160oと14o狭かった。
(写真2)モハ134 昭和43年9月7日
昭和28年製で133、134の2両在籍した。茨城交通時代の車号は131、132であった。屋根が木製帆布張りから鋼板張り上げ構造となった他は、131、132と大差はない。
(写真3)モハ136 昭和43年9月7日
昭和29年製で135、136の2両在籍した。茨城交通時代の車号は133、134で
あった。モハ133、134との相違は上窓がHゴム支持となった。
(写真4)モハ137 昭和43年9月4日
昭和32年製で137、138の2両在籍した。茨城交通時代の車号は135、136で
あった。スタイルは、正面が大型2枚窓、扉の下部がガラス入りとなり、大きく変化した。
(写真5)モハ139 昭和43年9月4日
昭和35年製で139、140の2両在籍した。茨城交通時代の車号は137、138で水浜線最後の新車であった。スタイルは、正面が再び3枚窓に戻り、扉は従来の2枚引き戸から1枚引き戸となった。また、台車は従来のBrill76Eから新型のNP-101となった。
新製後わずか5年で路線廃止により売却され、更に10年足らずで廃車となった。
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