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あるブログで、明治期の荷役用の小規模な転車台が横浜港で発掘されたニュースが紹介されていました。転車台のように地表に設置された施設が廃棄される場合、撤去せずに埋め戻されることが多く、その上に別の施設が建て直される際に、発掘されるケースが見られます。京都駅付近でも、同様に建設現場から明治期の転車台が発掘されニュースになりました。
(3)発掘された煉瓦積みの転車台
平成8年、地元新聞に京都駅付近で転車台の遺構発掘のニュースが流れた。今回の桂川ほどの大きな記事ではなかったが、写真入りで紹介されている。その後、鉄道友の会による現地説明会が開かれた。もう大西顧問は天国に召されており、代わって支部長のT山さんが説明役となられた。
その場所は、(2)で紹介の国鉄バス京都営業所の東に当たる。ホテルハトヤの南側、現アパホテル京都駅前の建設の際、埋蔵文化財調査のために地中を発掘調査したところ、地下1mの地点から煉瓦積みの転車台が出土したのである。
説明会に行ってみると、テーブル部はないものの、煉瓦を巻いた内壁が、半分は土砂に埋まりながらも、円状にキレイに残っている【写真5】。車長14m級の機関車が乗れる直径でかなりの規模である。円内のピットも掘り下げられ、まるで遺跡発掘現場を見る思いである【写真6】。
『梅小路90年史』によると、「明治9年の京都〜大阪間の開業に当たり、旧京都駅の北西に当たる三哲通西洞院東の地に収容線2線の煉瓦造りの機関車庫を新設し、これを京都機関庫と称した。これが梅小路機関区の前身である。明治30年、さらに100m南に収容線3本の煉瓦造り車庫を新設し、同地に移転した」とある。発掘された転車台は、この移転後の機関庫の施設と推定される。説明会によると、その後さらにそこから南側に移転したと言われている。
時代が前後するが、現在ハローワーク京都のある場所、すなわち前記の転車台の発掘現場から真南に行った地点には、国鉄職員のアパートが建っていた。大西顧問に案内していただいた昭和58年、その前庭に、なぜか無数の煉瓦が散乱しているのを見ている。その中には、台形をした煉瓦や、「S」と刻印された煉瓦が散見された。
付近はまもなく再開発事業が始まり、国鉄アパートも撤去されたため、以後の調査も行われていないが、地図と照合すると、この地点は再移転後の転車台位置とも符号する。
また、地下鉄東西線の二条駅開業に伴う、付近の再開発工事の際にも、旧京都鉄道二条駅にあった転車台も同様に発掘されている。この二条駅の機関区設備は、明治30年の京都鉄道二条〜嵯峨間の開業に際して開設されたもので、大正3年の現在の梅小路機関区が開設されるまで使用されたものである。
【写真5 煉瓦造りの転車台.jpg : 424.5KB】
【写真6 発掘現場.jpg : 365.1KB】
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