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【1461】で今出川浄福寺さんが土佐電鉄について書込みされておられるが、昭和45年7月11日に撮影した土佐電鉄高知市内線の画像をご覧いただきたい。実のところ、土佐電鉄を撮影したのはこの時一度だけで、しかも勤務先の社内旅行の時である。宿泊したホテルが「上町一丁目」電停の前で、到着から夕食までの間、約40分撮影した。東京から高知までは飛行機を利用すれば1時間半で行くことは可能であるが、やはり遠く、数年先のリタイヤ後、高松琴平電鉄、伊予鉄道と併せてゆっくり訪れたいと思っている。
1.313(300形)
昭和28年から30年にかけて木製単車を自社若松町工場で鋼体化したもので、301〜326の26両在籍した。車体が新しいため、昭和40年代後半まで市内線で活躍した。
この時期まで活躍した単車は珍しいが、車体が新しく廃車するのが勿体なかったからであろう。
2.102(100形)
元琴平参宮電鉄の60形で、昭和39年56〜58の3両を譲受け、自社工場で急カーブで接触しないよう顔の部分を改造した。旧番対称は57・58・56→101〜103である。80形8両は遠く仙台市電に行ったが、60形3両は隣の高知で働き場所を見付けた訳である。しかし仙台市と同様活躍した期間は長くなかった。
3.205(200形)
昭和25年から32年にかけて、都電3000形をモデルに201〜221まで21両作られた。画像の205は第一次車で帝国車両製である。昭和29年製214までは日立製作所と帝国車両で作られたが、30年製215からラストの32年製221までは自社若松工場で作られた。一部の車両は間接非自動制御で連結器を持ち鉄道線との直通運転に使用されていたが、600形と交替して元に戻された。
4.604 (600形)
昭和32年から38年にかけて、都電7000形をモデルに601〜631まで31両作られ現在も主力として活躍している。都電と比較すると顔の部分を絞っていないので、こちらの方が堂々とした感じがする。画像の604は第2次車で、601から35年製621までは自社若松工場で、最終増備の38年製622〜631の10両はナニワ工機で作られた。鉄道線乗入車は間接非自動制御で連結器を持っていた。
5.622+623(600形)
鉄道線安芸始発の直通電車である。安芸線は昭和49年4月1日に廃止され、平成14年7月1日、第3セクターの土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線が非電化で新規開業した。
【313.jpg : 109.5KB】
【102.jpg : 134.9KB】
【205.jpg : 122.2KB】
【604.jpg : 136.3KB】
【622+623.jpg : 57.4KB】
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