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昭和41年(1966年)の夏季狂化合宿の写真が出てきましたね。「軽便鉄道」に載って
いた写真は、その数年前の夏季合宿のときのもので、其の当時は「矯化合宿」と
呼ばれていたようです。矯正され立派になられた方が沢山おられます。
会津柳津駅で写っている皆さん恙無くお暮らしでしょうか。「尋ね人の時間」と
いうのが、敗戦後に日本放送協会のラヂオでやってました。今でもやってると誰か
判るんですが。女性会員の姿もあって珍しい写真です。文面には会津若松駅とあり
ますが良く見ると会津柳津駅ですね。近くに只見川が流れているので河原の石ころを
ホームの側面に埋め込んであります。写真の時計を見ると午前8時55分です。丁度
列車の交換があって、上り426列車9:04発会津若松行きか、下り423列車9:07発
会津川口行きに乗車したんでしょう。もちろん蒸機の引く客車列車です。
なお当時の入場券は20円で、会津若松駅の駅弁「山菜巻すし」と「栗めし」は共に
100円でした。
写真の後列右端に少し恥ずかしそうな眼差しで、開襟シャツを着用しておられるのが
田野城喬さんの40年ほど前の姿です。京都の写真機店主なのに、たびたび韓国へキム
チの買付けに行き、ついでに韓国新幹線情報を私たちに恵んでくださる方です。彼は
デジタル青信号の表紙を替えてくれと孤軍奮闘叫んでおります。紫のDRFCの旗が
青空を背景になびいているとこ何ぞはあきませんか。
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