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【出演】1961年度 魚住鉄彦
1962年度 吉田 麹
1966年度 小咄純爾
1967年度 澤村旅也
1.プロローグ 〜遠かった道のり〜
【小咄】小生がこの軌道をいつ頃何で知ったかを、もう思い出すこともできない。しかし、一般人が簡単に乗れるものでないことは察しがついていたので、行動を起こすこともなくそのまま沙汰やみになっていた。10年ほど前のこと、当時担当していた地下化工事の技術スタッフの中に、旧建設省に同期生の居る君がおり、彼に頼んでトロッコ乗車の可能性を調べてもらったことがあった。結果は予想したとおり、「一般人が乗る手立てはない」という答えだった。同時に、地元富山県民には砂防事業のPRのために年に数回見学募集がある、という情報も得られたが、もとより富山県民でもなく富山に親戚もない者にとっては諦めざるを得なかった。そして昭和61年修正測量の1/25000地形図を買ってはみたものの、可能性はないと諦めて再び記憶のかなたに押しやっていた。
それが昨年吉田さんからお誘いを受け、突如として現実味を帯びることになった。だが残念ながら晴れ男と品行方正を自認する小生をもってしても同行者の雨男ぶりと日頃の悪行まではカバーできず、昨年9月と今年7月の二回に亘って直前中止の憂き目にあい、「三度目の正直」でようやく乗車を果たしたというわけである。
【吉田】永年、立山に砂防ダム工事用の大規模な簡易軌道の存在は知っていたが、一般人は乗せないというように聞き及んでいた。昨年、何かの拍子に「体験学習会」と称して一般人用に一部開放している事を知り、Yahoo等で探して「立山カルデラ砂防博物館」のHPにたどり着き、実施要綱を知った次第。
早速応募を開始。昨年(2003)は3通応募して、9/25の分にのみ当選(1回に4名まで応募可能)、昨年まではメンバーチェンジが可能であったため、当初は適当な名前で応募していたが、最終的に今回と同じ魚住・小林・澤村・吉田で参加するつもりで準備をすすめていた。
私はたまたま前日から休みが取れたので、9/24 7:38京都発の「サンダーバード1号」で出発、富山地方鉄道と黒部渓谷鉄道を走破、その日は立山で泊まるべく、午後名古屋を出てきた魚住氏と夕刻富山駅で会おうとした。まさにそのとき、「翌日の天気予報により現地は豪雨が予想されるので体験学習会を中止する」とテレホンサービスのテープを聞き、「この世には神も仏もないものか」と悲嘆に暮れたものの、「歓呼の声に送られて出てきたのに、このままオメオメと帰れるか!」という魚住氏に同調して、駅前の居酒屋でしこたまヤケ酒をあおり、その夜は富山駅前のホテルに泊まり、翌日高山線のレールバスで富山を出て、重い足取りで帰途についた次第でした。
翌日の中止が決まった時点で直ちに小林・澤村氏に連絡したので、その夜の「きたぐに」で出る予定であった両名はJRをドタキャン。かくして2003年のチャレンジは幕を下ろしたのであります。
(つづく)
おことわり:紙芝居とはいうものの今回は絵はありません。次回をお楽しみに。
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