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【出演】1961年度 魚住鉄彦
1962年度 吉田 麹
1966年度 小咄純爾
1967年度 澤村旅也
第2回 神も仏も
【吉田】 年が変わって2004年6月、「立山カルデラ砂防博物館」HPの更新を待って、再挑戦を開始。とりあえず7月21日と8月25日の分に応募し、まずは幸先良く7/21に当選!
その後も業務上の予定が次々と入って来るなか、「この日だけは絶対にアカン!」と各方面に不義理をしつつ、他のメンバーと連絡をしながら準備万端を整えていた。ところが、例の新潟豪雨に続く7/18未明の豪雨により、砂防軌道も数箇所にわたり橋梁や線路の流失する被害を受け、またも中止!!心配が現実となってしまった。〈被害の様子は次のリンクをどうぞ〉
http://www.tateyamasabo.jp/tattopix/2004/0718/0718.htm
この世に神も仏もあるものかと嘆きつつ、仕方なく今秋の応募を考えていたところ、なんと8月上旬になって8/25分の当選葉書(1ヶ月前に抽選)が舞い込んだ。現地に確認すると「盆過ぎには復旧の予定」との言質を得、あらためてメンバー全員に対し斎戒沐浴して当日に備えるよう指令を発したのである。
・・・こう書くと簡単に当選したように思えますが、結構競争率は高く、昨年9/25が 3.52倍、本年7/21が2.85倍、今回の8/25に至っては何と4.85倍だったそうです。さ あ皆さん、いかに私の日頃の行いが良いか、またそれにより御仏のご加護もあったこ とが図らずも証明されたのです。〈合掌〉
【澤村】 わくわくしながら8/25へ向けての準備を整えたものの、台風16・17号の出現もあり、間際まで気を揉ませましたが、前日8/24午後、「催行します」とのテープ案内を聞き、全員欣喜雀躍。名古屋の魚住氏は富山にて前泊すべく早々と15:57の「しらさぎ」で出発、本隊3名は前日23:00、富山行き阪急バスで京都駅前を出発する計画です。でも、その晩ホテル前で待っていても吉田氏は一向に現れません。ヤキモキしていると発車寸前に、やっとバスに乗り込んで来られました。それもほぼ泥酔状態。聞くと夜行バスに自信がなかったので1時間ほど前からホテルのバーでしこたまジンとウィスキーをあおっていたのだそうです。(それは言い訳で、単なるアル中なのかも)でも、その甲斐あってご本人だけは出発直後に Zzz...翌5:00富山駅前到着まで眠りこけていたのでした。
夜が明けたばかりの富山駅前で魚住氏と合流、小咄氏も私も初対面。でもそれを感じさせない雰囲気を持っておられ、ほっとする。(DRFCの血が流れているのを感じました)
地鉄の立山行きは初発が急行で5:44発。改札の外から見ると1番ホームに元京阪の10030形2両編成が停車中で、これは宇奈月温泉行きの初発列車。3番ホームには留め置き中の14760形2両編成が見える。立山行きは何が来るだろうかと待っていると、10020形4両編成が2番ホームに入線、地鉄オリジナル車両同士の編成だが前2両は新塗装、後ろは旧塗装というアベック編成。(我ながら古い表現やなぁ)これで立山まで50分、結構心地よく揺れました。車窓から有名な撮影スポットが見えると間もなく立山です。
体験学習会の受付まで2時間近く、駅周辺を探検したり、お茶を飲んだりで。もちろん7:35着と7:39発の地鉄列車も駅手前の鉄橋でGET。立派な駅前広場の奥には立山砂防事務所と砂防博物館が偉容(場所が違えば「異様」かも)を誇り、その向こう側は砂防工事の舞台となる常願寺川が流れています。砂防軌道(トロッコ)は砂防事務所裏のヤードを起点とし、右岸伝いに約18km上流、立山カルデラ入り口の水谷平を目指します。
7:40頃から先導車のモーターカーを先頭に、作業員を乗せた人車や資材を積んだ貨車を引いてL形の立派なロコが次々と出発して行きました。今回の「立山カルデラ体験学習会」は立山カルデラ砂防博物館が主催。いくつかあるコースのうち、肝心のトロッコに乗れるトロッココースは毎週水曜日開催で往路バス・復路トロッコの1班と、とその逆の2班に分かれて出発します。この時、まだ立山カルデラと常願寺川の凄さを知らぬまま。我々は1班、8:30集合です。
(つづく)
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