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【出演】1961年度 魚住鉄彦
1962年度 吉田 麹
1966年度 小咄純爾
1967年度 澤村旅也
第3回 二度あることは
【旅也】ひとしきりトロッコの出発が続く。一旦視界から消えたトロッコは数分後、目前の山の中腹に高さを変えて3回現れ、そして山陰に消える。早くも名物のスイッチバックがそこにあるらしい。軽快なディーゼル音と共に出発していった列車はそれぞれ、人車または貨車を3両ずつという短編成。スイッチバックの折り返し線の長さが短いのだろう。
そしてカルデラ博物館に隣接して、とてもトロッコのそれとは思えないような立派な車庫建屋があり、モーターカーや人車が入っているのが見える。片隅では職員の人たちが始業前のミーティング中。
8:30の集合時刻を待ちきれず、カルデラ博物館の前にたむろしていると、どうやら同じツアーに参加するらしい人たちが集まり始める。中には年配の女性も。吉田さんは県内から来たというおばちゃんに事情聴取。当選確率が結構低く、吉田さんの運の良さを再確認した次第。
=トロッコの緒元=
■ 区間:千寿ヶ原(立山駅付近)−水谷平(カルデラの入口部) 18Km(延長)
■ 標高差:640m ■軌間:610mm(15Kg/m軌条) ■所要時分:1時間45分
■ 転轍機:自動42 手動89 ■総スイッチバック段数:42段(世界一)
■ 車両:1.機関車(北陸重機製5t、116ps)8両 2.人員輸送車(定員9名)
3.モーターカー(40.5psガソリン、8名)3両 4.保冷車
5.薬剤散布車 6両 7.バラスト(ホッパー)車 8.資材運搬車
9.回転台車
【小咄】ようやく叶った乗車当日の天気は前週末までの予報とはうってかわって初秋の青空が広がる素晴らしい晴天に恵まれた。小生は前向きに三度目の正直と捉え、永い年月想い続けてきたトロッコ乗車を大いに感謝せねばと考えていたのだが、その一方で好事魔多しともいうなあとの思いも頭をかすめないわけではなかった。そのうち同行者から不遜にも「二度あることは三度あるとも言うしなあ」とのけしからぬ発言があったので、「こうして実際最高の条件で来てるんやから、縁起でもないことを言いなはんな」などとヤリトリをしていたが、この時はそれが現実のものになろうとは誰も予想していなかった。
【旅也】定刻に博物館ロビーで参加費用@1,700円を支払うと「二階の渡り廊下でお待ちください」と。隣接する車庫建屋の二階が展示室で、そこへ渡って行けるになっているのだった。メンバーがそろい、本日の案内者&解説者二名が紹介されて行程説明。そして玄関先のバスに乗る。参加者二十数名で小型のバスは満席。トロッコのルートは常願寺川の右岸だが、昭和49年に左岸側に有峰林道が開通、初めて自動車でカルデラ内に入ることが出来るようになったそうだ。ただしこの林道、ダムでできた有峰湖から先、一般車は通行できない。
厳しい山道が続き、なんだか臭いなと思っていると、にわかに後部から白煙を上げてストップした。大量に冷却水を噴出していて、見るからにオーバーヒートの様相。エンジンルームを見ると冷却ファンの羽根が飛散してしまったか、白い樹脂の破断面がやけに鮮やかに見え、万事休す?ちなみにケータイはもちろん圏外。代替バスの手当が付かないと我々はここから戻るしかなく、トロッコで出発した二班は往復トロッコという大ラッキーとなるのだ。そんなことになったら、またもや我々は笑い者?突然の大トラブルに身の不運を嘆かざるを得なかった(-_-;)
先導していたワゴン車が何事かと戻ってきて無線連絡し、とりあえず1Km先の有峰湖畔まで歩いて救援を待つことに。立派な施設があり、このトラブルを良いことに酒気帯び厳禁のはずが、売店のビールは飛ぶように売れ、早くも宴会状態に突入するのだった。
(つづく)
【Photo50001.JPG : 166KB】
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