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仁蓮小任様
インドネシアの鉄道、ありがとうございました。
RF41号、158〜162号に紹介されているが、創業地の中部ジャワのスマトラとタンガン間26kmがどこなのか地図上では見つける事が出来ない。1925年の直流電化はコタ〜ボゴール間で、この時オランダ製のインターバンタイプの電車(鹿島氏撮影)と電機(スイス・ブラウンボンべリ製・ED54に似ている)が投入された。
日本とは1958年の国交回復後、賠償供与と多額の無償供与により荒廃した鉄道整備が進められた。その中にJABOTABEKと名付けられたジャカルタ近郊鉄道網がある。これについてはピク誌704号で紹介されている。小任様のジャカルタ首都圏線の80%140kmほどはこれに該当するものと思われます。この電化区間拡大に合わせ1976年より日本製電車が120輛(TcToToMc・30編成)が導入された。これがコタ駅で見た賠償電車です。その後キハ21と47を混合したようなスカ色のディーゼルカーも送られた。またジャカルタ近郊用で賠償電車と同型同色の2扉型の客車を見たが、これが日本製、韓国製、ノックダウン方式による現地製のいずれなのか分からない。オランダ製の電車は全廃となった。JABOTABEKとはJakarta・Bogor・Tangeran・Berasiのジャカルタ近郊都市名からの合成で、ジャカルタ中心部の路線は図の通りである。(ジャカルタ市内線図)
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