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1999年夏のこと。日本路面電車同好会名古屋支部主催の宿泊例会に参加した。1889年以来11回目で深夜に及び映写や模型持込運転会となる。長島温泉・花水木ではないテレビ屋の保養施設拝借である。名市交勤務のU君が「おきさん、昨日メールで三重県南東町奈屋浦と言う所で名古屋市電を3両発見したとの情報が入った。これ探しに行きませんか。」「なになに、それおもろそうやな。なに形や。」「1150形と言う話です。」「浦というからには海辺やな。魚の棲家となった奴か。」「なんでもバンガローに改造されているとか。」「廃車になって何年たってる? 25年以上になるんちゃうか。ほんまかいな」
信じられない話である。海辺での廃車体再利用は、腐食対策を完璧にしないと長持ちしない。どんな姿なのか確かめたくなった。「乗った、うまい魚で生中もやれるわな。」「近くに国見山鉱山専用線もありますよ。」「それもおもろいなあ、南海の電関はどないしてるやろ。」「あれ廃車になってディーぜル機になったと言うはなしです。」
道路地図でコースの検索が始まった。話を聞きつけた連中も集まり6人が2台に分乗となった。伊勢自動車道、国道42号は快調であったが県道46号に入りしばらくして、山道に差し掛かる手前から一車線となり右折左折の連続である。先を行くU君は小型車、追う老人を乗せたセドリックはUカーブに差し掛かると一度のハンドル捌きでは困難な道である。
やっとこさ山越えして国道260号を走り踏切が眼に入った。やれやれ難儀な道やった。運転手君は阪堺ファン。当然、南海ファン。電関が気になって仕方がない。先頭車は百貨店に入り何やら尋ねた結果、GOサインが携帯にはいる。少し町中を走り線路沿いを走る。この辺りには電線泥棒は出没しないとみえ、トロリー線も残っている。線路の向こうは川である。15分ばかりでセメント原料の積み込み場についた。
誰も居ない。本日、日曜につき休業。これを良い事にして6人はばらけた。老人は現場の先端まで歩き国見山を見上げた。人が、企業が山を食っている。山からはリフトで下ろしている。DL(p1)は新日鉄広畑事業所のリストラに伴い身売りされた物らしい。前後に見張台を装備しているが、製造時からなのかどうかは分からない。南海ファンとM電機で制御器設計をしているA君は、EL(2)運転台であちこちをいらいまくっている。主幹制御器がWH社だと言うので入ってみたら丸ハンドルだ。主制御器のカバーを外し臓物の解説をA君から受ける。留置線のホキ(3)を見に行けば近江鉄道からのもの。彦根で見ていたものだ。これもリストラにあった物だ。
当線はその後まもなくベルトコンベア化され、廃線となったそうだ。道路沿いを走る姿が見られなかったのが残念。
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