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8月8日、亡父の命日で帰省した際、帰りに際に立寄りました。朝9時に入館し、博物館を出たのは昼前でした。展示を見ていると懐かしさのあまり涙が出てきました。特に我々の年代の方は在学中に最終日を迎えたこともあり、感慨も一入ではなかったかと思います。営業運転最終日の10月31日に北小松の合宿所に泊り込み、大声を張り上げて最終列車を見送り、翌日の北小松始発のお別れ列車の運転を担当された松本章一氏からお叱りを受けたこと。日吉駅の老駅長。シーズンオフに高島町駅に留置されていたオハ27。北小松駅前にダミーで置かれていた廃車のパトカー。当会で作成したお別れのヘッドマーク。一時期キサハで使われていたキハ23、三井寺下の自社工場で改造したとは思えない位よくできていた総括編成の車両。怪しげな所で作られた割にはよくできていたキハ30(後のキハ5120)等々、当時の思い出が次々と蘇ってきました。展示の中で一箇所ミスに気がつきました。「廃止後の車両の行方」のところで、和歌山鉄道に行ったと書かれてありますが、和歌山鉄道行ったこと自体は間違いないのですが、時期は終戦直後の昭和22年で、当時のキニ1とキニ2が行っております。燃料がなく動けなかったこと、元々小型のため使い勝手が悪かったことで売却したものと思われます。和歌山鉄道では電車に改造され、昭和40年頃まで使われておりました。
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