|
皆さんの応答を読ませてもらっています。
私は当時小学生で、大分の県立図書館で朝日新聞社発行の年鑑「世界の鉄道」を読んで、地方交通線(私鉄)に開眼したばかりでした。
非電化私鉄で内燃動車を多数持っていた雄、当時で言えば関東鉄道、西の島原鉄道とともに比較的規模が大きい江若が廃止になる理由は、単なる赤字線問題なのか、田舎の一少年にはまだわかりませんでした。
49年の夏に湖西線が開通し、ピクトリアルを読んで経緯を知り、54年に大学に入り最初の夏に本堅田の駅とまだ残っていたボンネットバスを訪ねました。
その頃から考えても湖西の交通量はバイパス的性格で、鉄道、道路ともに増え続けており安曇川や新旭付近も広い道が貫通し、往時の北国へ続く街道情緒はかなり薄れてきております。
今回の旅は、びわ湖バレイ付近とあと27年前の夏に訪問した北陸トンネル旧線杉津付近を訪ねてみました。
あの辺りの嶺に立ち畿内を望めば遠い日に朝倉や佐々あたりの猛将がどうやって京に駆け上がらんとしたか、興味は尽きません。
琵琶湖を巡る交通史、今回の展示は非常に面白いサジェッションを新たに加えることができたことの感謝をFS兄に述べさせていただき、お礼の代わりといたします。
|
|
|