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リンツの町で(その1)
オーストリア3番目の大都会―といっても人口は25万人―で、ダニューブ河中流に位置し、古来岩塩輸送の要衝であった。天文学者ケプラー、音楽家ブルックナーの生誕地でもあり、モーツアルトにも第36番ハ長調LINZという交響曲がある(そうな)。かのヒットラーも確かこの近くで生まれた筈である。
元来鉄鋼と化学の産業都市でもあり、我々には機関車メーカーのクラウスの工場があったところとして、地理的にはともかく名前だけはお馴染みであろう。現在はメディアアートの世界的中心地でもある。
日本人観光客はウィーンとチロル地区にしか行かないから、観光ガイドブックには記載もない。しかし旧市街はいい雰囲気である。
我々おじん野次喜多2人組はザルツブルグでドイツから列車で入国し、OBBに乗換。1992年だから駅内に形だけのパスポートコントロールがあり、旅券の表紙を見せるだけで入国完了。
15時05分発IC567レでリンツ着16時27分。先ずは両替をし、駅周辺を歩いて安宿探しに。流石にクラウス機関車が数多く=それも煙室扉が古いものが保存されており、中には日本ならラーメン屋屋台がわり?に使われているものさえあった。
駅から遠からぬところに安宿を発見し、屋号が大いに気に入って論議に及ばず決定。LOKOMOTIVE だったからである。シングル2室=1室にはトイレが、他方にはハーフバス(シャワー)があり、2人旅には好適であった。
空身でいざ撮影に。駅近くに私鉄の終点があり、人気はなかったが貫通式2軸電車1輌と凸型BB電機が2輌いた。軌間は覚えておらず連結器からは標準軌であろうが、小生とて、かような車輌はけして嫌いではないことの証左に写真を入れておく。
中央駅前から市電で3系統終点へ。途中旧市街を通り抜けるが、これが中々よろしいムードである。やたら狭い―といってもヨーロッパならさほど珍しくもない風景で、リスボン(行った事はないが)などは、この1/4ほどのところを単線で抜けている―ところがあって、かつての京都市N電西洞院通より狭そうだ。この撮影は午後9時過ぎである。
なんで湯口が路面電車なのか。それは乙訓老人の縄張侵害であろうという勿れ。軌間が900mmなんでありますぞ。そして小生とて、電車が一方的に嫌いというのでは断じてなく、対象とムードによる。
なお最近のインターネット情報によれば、リンツの市電は郊外への伸延や地下区間もでき、2001年以来ボンバルディア製7車体40mの低床電車「シティランナー」も走っているらしい。
【公園の保存機.jpg : 312.3KB】
【リンツの2軸電車.jpg : 243.8KB】
【旧市街.jpg : 155.0KB】
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