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このところ富山のライトレールの書き込みがこの欄を賑わせておる。結構なことじゃ。実は7月にわしも乗ってきた。
国鉄富山港線は元来富山−岩瀬浜を結ぶ富岩鉄道で、1924年7月23日開業。このときは富山口−岩瀬浜4マイル58チェーンであったそうな。
のち富山電気鉄道に譲渡され、1943年1月1日富山地方鉄道が発足。そのすぐ後6月1日に買収され、国鉄富山港線になった、と古老は申しよる。
ボケかけ年金生活者が初めて富山港線を見たのは確か1953年3月であったと思うんじゃが、何分記憶が薄れて定かでない。ただ電車の番号が社時代を引きずった1〜3桁なのは、確か買収国電の改番整理が1953年6月で、以後4桁に統一されたはずじゃから、まあ正しいのじゃろうて。そうそう、阪和だけはモハ20台と、素性正しい国電の仲間入りをしたんじゃったな。
最初の2枚はセミボ20+21。セミボとは、セミスチールのボギーを意味するぐらいは皆の衆もご存知じゃろ。のち静岡鉄道に売られていったように記憶するが。
これは富岩鉄道生え抜き車両で、木造5枚窓のボ1、2もいたんじゃが、この時点富山地方鉄道が購入して除雪車代わりに使われておった。
2コマ目は改番後で、デハ101、デハ200。
3コマ目は6枚も欲張っているが、架線の下を走るC11263をごろうじろ。
これが富山港線―すっかり家が建て込んだ現在の富山ライトレールと同じ場所とは俄かには信じられまいて。当の本人もこんな写真があったのをすっかり失念しておった。
電車は左上からモハ2020、モハ1310、モハ2326。
右下はED251。富岩生え抜きのED261も居ったぞ。
電車はいずれも戦時中の買収国電で、伊那や宇部、宮城など、各地からの寄せ集めじゃった。乙訓のご老人の縄張りを侵すのは不本意じゃから、ここでは氏素性や払下後の行き先なんぞの講釈は止めておく。乙訓のご老人よ。お忙しいとは思うが、若い(といってもみんないい歳こいだおっさんやおじん予備軍ばかりじゃが)衆に説明してやっておくれんかな、もし。
【富山港線1.jpg : 171.3KB】
【富山港線2.jpg : 179.2KB】
【富山港線3.jpg : 0.5MB】
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