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【685】Re:半世紀前の富山港線
 弘津興太郎 WEB  - 06/11/15(水) 15:20 -
  
>電車は左上からモハ2020、モハ1310、モハ2326。
>右下はED251。富岩生え抜きのED261も居ったぞ。

長老さんが暫く出て来られないので、関心ある者として補足します。
2020は元南武の500型、省電モハ1の鋼改車なので制御機器は国鉄系です。
1310は宇部のモハ33、僚車は日立電鉄などに行きました。
2326は宮城(仙石線)のモハ801型?でしょうか。
窓の大きい好ましいスタイルの中型車ですが、国鉄に留まり払下げ期には
地方私鉄の戦後復興が一段落したあとだったせいか、貰い手がなく早期に
姿を消したことは、電車ファンにとっても残念な史実のうちの1つです。

電機のED25は宇部から電車と一緒に来富、元からいたED26とは
台車をのぞいて車体はそっくりです。
その理由は26はボールドウイン&ウエスチングハウス製なのですが
25の製造所である日鉄自動車(のちの東洋工機)で車体を改造したからです。
この後、25は上田交通に、26は越後交通長岡線で人生を全うします。
それにしても僕はこれを読むまでED25と26が一時同じ職場で働いていた
とは知りませんでした。鉄道ファンとして好きなエピソードがまた1つ
増えました。投稿氏に感謝します。

富岩鉄道時代の小型正面5枚窓車たちについては、詳しく知りません。
静岡鉄道と岳南に何輛か流れたことは分かっていますが小型過ぎた
ゆえか早期に姿を消しました。受け入れ先が野上や熊電、琴電の
志度線あたりだったらもう少し幸せな人生が、さらに国鉄買収という
人の運命を狂わせるようなことがなければ、第2次大戦というものは
鉄道史を研究するものにとっても、実に大きな課題をいまも残して
います。
なお岳南時代の晩年の姿が下記の掲示板の下の方に貼られています。
カラー写真は珍しいと思います。関心のある方はご覧ください。
以上。

引用なし
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【679】半世紀前の富山港線 ボケかけの年金生活者 06/11/11(土) 14:43 [添付][添付][添付]
【685】Re:半世紀前の富山港線 弘津興太郎 06/11/15(水) 15:20

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