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【760】変なもの探検隊その17
 乙訓の老人  - 07/2/6(火) 16:09 -
  
大人の高松周辺の古写真で次はなにかと身構えていたら、ヨーロッパへ戻り当て外れとなってしまった。当分あたふたしなくても良さそうだ。
ところで【746】で新発見が2つあり。先ずは塩江のガソリンカーの窓にご注目ありたい。なんとカーテンが見えるではないか。こいつはすごい。展望車なみではないか。続いては「何か分からん」の4輪車。高松付近で4輪車でシングルルーフとなると高松電軌の1形しか考えられない。これの現物にはお目にかかったことがないが、思い当たることあり。
1955年夏、志度に向け乗車中、終点手前の駅ホームにシングルルーフの廃車体があったので、その後で今橋車庫を訪れた時「あれなんですか?」尋ねたところ、「高松電軌の廃車体だ」と教えられた。荷物電車もシングルルーフ、明治末期の電車では珍しい屋根構造である。ここで思い当たるものあり。ピク誌79号だ。房前駅の廃車体の写真。なにしろピク誌は名刺版65%の大きさだが、ルーペで見てみたが、屋根構造は分かったもののその他は網掛け荒く判然としない。窓数は一緒である。さぁ断定するか、高松電軌1形と。ならば、本邦初公開となるのだが。いずれにしてもお宝鑑定団を呼ぶ必要がある。
次いで琴参だが、デハヨ28号が琴平駅に入線するところだ。琴参は1950年からビューゲル化開始である。28号が戦前撮影かどうか?とするより他ない。善通寺は師団があったので街路で写真を撮るなど、もっての外であった。兄が利用している老人の写真屋店主に戦前の写真を聞いてみたが、街路では出征兵士の万歳写真を撮った記憶しかないと言っていた。善通寺車庫の光景は懐かしい。いずれなんらかの形で「琴参電車あれこれ話」を展開したいと思っている。その時は写真提供お願いします。
今回の変なものは、琴参の無蓋電動貨車としよう。日頃は樫藪変電所の奥にありまともな写真など望めなかったが1960年4月、検査で庫内にあるのを発見、表に動かして貰った。製造所は日本商会なるブローカーらしき会社の作品。嵐電501号、叡電101号も同じ製造所である。モーター、制御器は京都・奥村電機製である。【746】に車庫での4輪車があるが、1952年に架線修理車となった27号である。常駐地はやはり樫藪変電所横だが、1957年に行ったら姿がなかった。デハヨ形で最後まで残った3両のうちの1両である。


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