|
ペロポネソス半島その10 オリンピア〜メガロポリ〜トリポリ
我国では主要都市駅はすべて本線上にあり、県庁所在地で支線は山口、前橋ぐらいか。それも行き止まりというのはない。
ペロポネソス半島では地形の関係だろうが、かなり主要な町でも本線から外れ、盲腸支線で繋がっているのがメガロポリ、一度は首都であったこともあるナフプリオなど。町は大きくないが世界的に有名なオリンピアも同様。
そのオリンピアへの支線が運行していないのではすることがない。宿は観光地だけにツアコンの相棒がインターネットで確保済だったので、早く投宿し手ぶらで博物館、競技場遺跡などを見、教養を高める。我々は単なる「テッチャン」ではない。
そのオリンピア駅は先回ご覧頂いたように、運行はなくとも綺麗に化粧されている。ギリシャ国鉄の駅は本当にどこも綺麗でどっしりし、品格がある。けして裕福な国でもないのに、これが歴史の重みなのだろうか。
日本もかつてはそれなりの駅舎も多かったが、現在ではコンビニやうどん屋等が主役になり、あるいは無人化で荒れ果て、優雅な駅など極少である。丈夫でも無粋なコンクリートや安普請のメンテの手が抜けるものばかり。残念なことである。
翌日は国道でクレステナ〜アンドリステナ、そこから超山道を越えゼヴゴレイテオ(読み方が違うだろうが、一応英文読みのつもり)に出る計画であった。ここからトリポリ、アルゴスまでの線は地図で見てもびっくりするくらいの山岳(ぐにゃぐにゃ)線で、これに乗ってみようという趣向である。
途中山のてっぺんにぎっしり家が建て込んだ村が見え、左側には古い城砦の遺跡?であろう。我国には谷間の村落は多いが、山の上とは、神社仏閣か戦国時代の砦ぐらいである。
山の上にしがみついて住む風景は、後日サルディーニャ島でも多く見た。常に外敵に備えねばならなかったためだろうが、水耕民族には考えられない住居立地である。
頼りないナビの小生が勘違いし、超山道には入らず、国道をそのまま行ってメガロポリに出てしまった。先述のようにこの町へは盲腸支線が繋がっていたが、それも廃止され、駅舎が空しく残っていた。
地図の真ん中やや左寄りにメガロポリがあり、盲腸支線(約4km)がまだ描かれている。画面をクリック拡大してご覧あれ。
この旧分岐駅は人里離れた山中で国道からも外れ、完全に道に迷ってしまい、とある農家でただただ「スタスモス?(=ステーション)」と繰り返す。出てきた老夫婦もやっと駅を聞いていることが分かったようで、2人して「あっち、あっち(と言ったんだろう)」と指で教えてくれ、まあ何とかたどり着く。
周囲一帯人家など皆無だが、零細な食い物店がある。驚いたことに結構人が車でやってきて、この食堂(ともいえない)を利用していたのは、余程周囲に食物屋がないためらしい。
我々も固いパン(アメリカ式の軟らかいハンバーガーの類より余程旨い)にハムやチーズ、ピクルスをはさんだサンドイッチとビール(計900ドラクマ=300円)で一息入れ、ここに車を置き、列車でトリポリまで、グニャグニャ線を往復しようというわけである。
この小駅13時03分発に乗り同53分トリポリ着。14時43分発で折り返すと、15時32分に帰着。改めて車でトリポリへ向かい、ここで泊まる、という目論見。この区間は旅客列車4往復、内1本がインターシティ(急行)で、分岐がなくなった現在でも男女各1人の駅員がいた。乗車券は何とも素朴な縦型常備硬券の裏に列車番号を記入して渡してくれた。片道450ドラクマ=150円と安い。
なお「かっこいい駅員」のみはトリポリである。赤帽子の女性助役?が本当にかっこよかった。
【山の村落.jpg : 215.9KB】
【地図(3).jpg : 473.8KB】
【人里離れた駅なのに.jpg : 179.4KB】
【線路脇の廃車.jpg : 197.8KB】
【かっこいい駅員.jpg : 123.4KB】
|
|
|