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ペロポネソス半島その12 トリポリ〜ナフプリオ
5月1日朝、トリポリの安ホテルの部屋には暖房が入っていた。困ったことにニコンF80がビクとも動かない。電池はOKである。従前のカメラなら、何とか原因を除去できるのだが。仕方なく以後サブのコンタックスT2を使い続けることになった。
帰国後一旦電池を抜き、入れなおせば機嫌が直ることが判明。モデムやルーターの機嫌が悪い時、一旦電源を落し、入れ直すのと同じか。パソコンや周辺デジタル機器が、無機質で感情のない機械と考えると大間違いで、むしろ○○(特に秘す)並み?の感情的な代物であることを何度か思い知らされてはいるが。
トリポリ駅は町の南東=中心部からかなり外れているため、この町の肝心な部分は知らず仕舞で、ヤードの廃客車を写し次なるナフプリオを目指す。70km足らずだから昼前に到着し、旧市街にリーズナブル旅籠を探したが芳しからず。
結局新市街のアメリカ式やや安ホテルにチェックインしたのが12時20分で新記録になる。先ずは軽装で昼食を。旧市街タベルナでのパスタ、ビール等で2,000ドラクマ(700円弱)と、やや高は観光地だけに仕方がない。味は悪くなかった。
鉄道は8km離れたアルゴスからの盲腸状支線があり、かつては旧市街のド真ん中まで、それも路面併用軌道で入っていて、レールは殆ど残っている。現在ではかなり広大な旧駅一帯が公園化され、1Cタンク機と客車3両がいて、うち2両はシーズンにレストラン営業するらしい。
新駅は埋立地と思しき場所に建設途上で、やはり1Cタンク機と2軸客貨車がいる。内1両は駅事務所、他の1両は喫茶軽食店らしいが、一帯に人気はなかった。
客車の窓上にナフプリオとギリシャ語・英語で書かれているが、ペロポネソス半島のメーターゲージ車輌は中央の1本バッファー。この客貨車は通常の2本で、どこか他の場所・線から持ち込まれている。ギリシャ本土中央部テッサリアン鉄道(廃止)は2本バッファーだったから出所かもしれない(全く確証はないが)。
台枠にはベルギーのメーカースプレートがあり、1884年とあった。
1日3本の列車を撮るべく待ち構えたが、結局影も形も現さず。本来の時間に合わせ、何人かもやってきたが何時の間にかいなくなる。オリンピア線での悪夢再来であった。
駅事務所たるべき客車に「01/05何とかかんとか」と、ボールペンで殴り書きした葉書ほどの紙切れがピンで留めてあるのを発見し、これが「本日運休」の告示?なのであろう。無人の駅では水道を無断借用し、ここで野宿するらしいジプシー、いやロマ人一家が夕食の準備にかかっていた。
バックの岩山は長らくヴェネツィアの植民地=補給・避難港であった間建設されたパラミディ要塞で、眼下に港を睥睨している。オスマントルコからの独立戦争では、結局落城したが実に15か月間篭城し猛攻に耐えた場所で、現在では背後に自動車道路があるが、前面に999段(誰が数えたか知らない)の石段で上る。独立当時短期間だがこの町がギリシャの首都にもなった。
することがない我々は、見学すべくこの999段を上ったが、何とてっぺんに本日休場(であろう)とある。それはないだろ。もっとも入り口にギリシャ語で書いてあった可能性はあるが、知らずに上ってがっかりした観光客も大勢。今日はどうもツイてない。
【廃車の客車.jpg : 388.4KB】
【ナフプリオの保存機2.jpg : 144.9KB】
【保存2軸客車.jpg : 314.4KB】
【新設ナフプリオ駅.jpg : 113.4KB】
【パラミディ要塞.jpg : 157.4KB】
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