|
BROHLTALBAHN―Vulkan Express その2
前回[978]で大ポカ=我々が折角の蒸機列車運行日の隙間に訪問したかの如く記した。これは小生の耄碌ぶり100%露呈に外ならず、要は列車運行表の6月を7月と間違った実に低次元かつ情けないミスで、粗忽は小生が極度の早産未熟児なることと無関係でないかもしれない。
旅程作製のウメムラツーリスト(我等がリーダー)に深くお詫びを申し上げ、あえて昼間飲酒の戒を侵し反省を噛みしめた。すなわち蒸機運行は6月の2、3、7、16、17日のみ、我々が行ったのは7月日12、13日で、小生が愚かにも蒸機運転日と見誤ったのは列車運行の無い空白日と、実に二重のチョンボであった。
その蒸機は現在2両。Humboldt 1906年製B-B飽和マレーは11号で、連結器を含む全長9,981mmだから、我国の4500、4510(Maffei=43〜45トン)並である。煙室煙突が黒、エンドビームや車輪台枠の赤は常識的だが、他がグレーに塗られているのが珍しい。かつて竣功写真撮影だけのために、機関車全体を一時的にグレーに塗る習慣はあったが。
写真では判然としないが、前部台枠は内側、後部は外側台枠である。
もう1両はChrzanow 1951年製D過熱テンダーのV号。1990年ポーランドから購入した共産圏特有の重心の低いテンダー軽便機(といっても30トン以上)で、同型車1両は部品取り?で現在分解=雨ざらし。同じような系列のコピー機が現在も中国にいる。
訂正ついでに前回末尾から2行目のDLはDCのミスで、これも加齢耄碌であろう。スペインから購入のB-B箱型1200馬力DLは足を外していた。
コッペル1965年製DL(350馬力)が鉱産物コンテナ車を牽いて奥から下ってきた。前回記したがこの鉄道の終点がDB線より高いのは、鉱産物(tuff rock=凝灰岩)を標準軌間貨車に積替えるホッパーのためだった。DB線を越え、スロープを下り、スイッチバックして下界?に下り、貨車を切り離して機関車は車庫に戻った。今日は土曜でトラックへの積替えはなさそうだ。
本日1往復の旅客列車も奥から下ってくるので、猛暑の中撮影場所を求めて歩く。先回記した4個エンジン気動車が緑色のボギー客車、有蓋貨車各1両を牽いてきた。貨車は乗客携帯の自転車搭載用である。
【グレーのマレー機.jpg : 199.2KB】
【共産圏特有軽便テンダー機.jpg : 193.2KB】
【鉱産物コンテナ列車.jpg : 197.0KB】
【4個機関気動車.jpg : 196.2KB】
【旧小型レールバス.jpg : 191.8KB】
|
|
|