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前記「逢坂山旧景」で、吉田耕司先輩から直々にお尋ねのあった、追分付近の旧東海道線と京津線の交差の様子、私も気になっていた存在でした。逢坂山を境にして、大津側は今も遺構が残り往時を偲ぶことができますが、京都側は国道の改良工事などで早期に取り壊され、遺構は何も残っていません。
何とか大先輩の疑問を氷解すべく、資料をひっくり返したところ、手がかりとなる写真が意外に身近なところから発見されました。添付の写真が昭和6年に写された、旧東海道線が廃止後の追分付近の京津交差の状況です。出典は、平成10年に大津市歴史博物館で開催された「大津の鉄道百科展」の図録からで、提供はなんと「京阪電気鉄道蔵」となっていました。ネットであっても無断掲載は許されることではありませんが、ここは身内ということで‥。
写真を見ますと、東海道線が築堤で、併用軌道の京津線を越すという、上関寺と同じ構造です。旧線の廃止後10年が経過するだけに橋梁そのものは、他に転用されたのか存在しません。しかし左手には橋台が残り、今も残る上関寺のそれとほぼ同じ規模のように見えます。手前の京都側の京津国道には踏切があり、遮断機が上がった直後でしょう、大津方へ向かう電車が中央に見えます。この付近は昭和6年から行なわれた京津国道の改良工事で、これら築堤、橋台は姿を消したと説明が添えられていました。
【F0307.jpg : 40.8KB】
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