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【1495】懐かしの阪和線 U
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/7/30(水) 23:29 -
  
湯口先輩より【1487】と【1489】の2回に亘って公開された半世紀前の阪和形の貴重な画像を拝見して感激している。団塊世代は「滑り込みセーフ」で、現役時代の昭和42年、阪和形廃車間際に鳳電車区の見学会を開催した。

【1487】の画像から簡単に説明すると、1番目と2番目はクタ7000形で、南海と合併後の昭和16年から18年にかけて同系のモタ3000形、クタ3000形と一緒に20両作られた。発注は阪和電鉄時代に行われており、戦時中にも拘らず、全鋼製の優美な車体であったが、モタ3000形は7両予定の処、電装できたのは4両で、残り3両は未電装のままクタ3000形となった。

1番目のクタ7005は昭和28年の改番でクハ6254、昭和34年の改番でクハ25105となり、昭和42年7月31日付で廃車となった。

2番目のクタ7007は昭和28年の改番でクハ6256、昭和34年の改番でクハ25107となり、昭和41年2月12日付で廃車となった。

3番目は、羽衣支線の運用に入った特急塗装のモハ43040で、何を隠そう飯田線で最も人気が高かった「クモハ53008」の前身である。余談であるが、飯田線では偶数向きのモハは4両編成の場合中間に入ることが多く、何度かの挑戦でやっと先頭で撮れたが、旧形末期の頃はよく先頭に出ていた。前の車両は車号の特定はできないがモハ40の001〜004・013のいずれかで、後にクモハ61001〜005となった車である。もしかすると、この車も53008と一緒に飯田線で活躍していたかも知れない。

4番目のED203は、身延線の前身、富士身延鉄道の買収機で昭和2年川崎造船所製、200〜204の5両作られ、200は昭和16年に三信鉄道に売却され、同鉄道のデキ501となった。昭和24年にED201、203〜205の4両が阪和線に転属、主に貨物列車用として昭和34年まで使用された。

【1489】は6×6フィルムで撮影されているため、非常に鮮明な仕上がりで、K.H.生さん同様ため息が出るほど素晴らしい。まず1番上のモハ2228は、昭和4年モタ300形モタ321として作られた車で、昭和28年の改番で写真の車号に、昭和34年の改番でモハ20026となり、昭和43年3月28日付けで廃車となった。モタ300形は、クタ750形、荷物室付のクテ700形と共に昭和4年から12年にかけて48両作られ阪和電鉄の主力として活躍した。

2番目のモハ2252は昭和17年モタ3000形モタ3003として作られ、昭和28年の改番で写真の車号に、昭和34年の改番でモハ20102となり、昭和42年7月29日付けで廃車となった。

3番目のクハ6212は南海合併後の昭和17年にクタ600形クタ603として作られ、昭和28年の改番で写真の車号に、昭和34年の改番でクハ25202となり、昭和42年5月23日付けで廃車となった。スタイルは全くの南海タイプで、写真でもお判りの通り、前面窓上にベンチレーターを装備していた。昭和32年の更新修繕時にラッシュ対策として、中央扉を増設し3扉化された。

4番目のクハ6259は、昭和18年にクタ7000形クタ7010として作られ、昭和28年の改番で写真の車号に、昭和34年の改番でクハ25109となり、昭和42年5月23日付けで廃車となった。

5番目のED384はロコ1000形の最終増備機ロコ1004として南海合併後発注されたが、完成は昭和19年6月で既に国鉄買収後あった。ロコ1000形は昭和5年に1001と1002が、翌6年に1003が作られ、昭和27年にED381〜4となった。昭和35年に廃車となったが、ED381と3は秩父鉄道に、ED382は大井川鉄道に譲渡、昭和42年に秩父鉄道に再譲渡された。秩父鉄道では小型機と共通運用で使用されていたが、昭和63年までに廃車となり、ED381が三峰口駅構内に併設された秩父鉄道車両公園に展示保存されている。但し状態は雨曝しのため良いとは言えない。写真のED384は廃車後も売却待ちで鷹取工場に保管されていたが結局解体された。

阪和電鉄の電機は、昭和26年近江鉄道に譲渡されたロコ1101が廃車後も機器扱いで車庫内の入替用として残り、彦根の近江鉄道ミュージアムに展示されているのでご覧になられた方も多いと思う。

【1487】で湯口先輩が疑問を呈されている昭和27年時点での国鉄形と社形の併結の件であるが、「吹田工場80年史」には阪和形の密連化は昭和29年12月15日から30年3月31日にかけて実施されたと書かれている。但し下記の9両は国鉄形と併結のためと片町線で使用のため、例外的に密連に取り替えていた。
(1)国鉄形との併結のため(密連に取替日)
@クヨ502 (昭和25年3月27日)→クハ6201→クハ25051
Aクヨ503 (昭和25年5月25日)→クハ6202→クハ25052
Bクヨ507 (昭和27年6月23日)→クハ6206→クハ25056
Cクタ605 (昭和25年1月31日)→クハ6214→クハ25204
Dクタ3007(昭和24年5月6日) →クハ6242→クハ25115
流電と半流(合の子)の中間に連結されていたサロハ66(実際にはサハとして使用)が飯田線に、サハ48が横須賀線に転属したためその代替及び淀川区から来たモハ40と連結するために密連化した。

(2)片町線で使用のため
@クタ7003(昭和24年5月10日)→クハ6252→クハ25103
Aクタ752 (昭和27年5月9日) →クハ6231→クハ25005
Bクタ7009(昭和24年2月17日)→クハ6258→クハ25102
Cクタ7011(昭和24年12月3日)→クハ6242→クハ25110
転出したモハ40の代替に入線し、従来の車両と連結のため密連化した。

モハについては昭和26年頃から自動ブレーキのU自在弁のA動作弁化、マスコンの東洋電機ES-93-A等から省制式MC1型化、制御器の東洋電機電動カム軸式ES-504-A・513-Aから鉄道省電動カム軸式CS10・10A化、パンタグラフの取替等が実施され、密連化後は国鉄形との併結が可能になり、運用効率が大幅に向上した。

我々の世代が撮影していた頃は、国鉄形との併結は日常的に行われていたが、関西以外の国電ファンは、阪和形と国鉄形は完全に別運用と思っていた人が多かったようだ。

今回は国鉄形と併結で使用中の写真を紹介する。

撮影場所は、1〜4.昭和42年5月28日 長居駅   5.鳳電車区
1.2.クモハ20002+クハ25+クモハ60+クハ25004
3.クモハ60+クハ25+クモハ20+クハ25105
4.クモハ51073+クハ25101+クモハ60089+クハ25112
5.クモハ20101+サハ78162

余談であるがクモハ51073は旧形国電でもトップクラスの特異な車両で、別の機会に改めて解説する。また、密連に取替日は「関西国電50年」、車号の変遷と廃車日は「旧型国電車両台帳」を参考にした。

添付画像
【クモハ20002.jpg : 97.6KB】

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【クハ25004B.jpg : 88.7KB】

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【クハ25105B.jpg : 93.7KB】

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【1498】Re:懐かしの阪和線 U 893-2 08/8/1(金) 1:46 [添付][添付][添付][添付][添付]
【1501】Re:懐かしの阪和線 U デカンショまつり号 08/8/1(金) 23:49

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