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【501】サンパチ豪雪中横断記その3
 湯口 徹  - 06/2/28(火) 14:47 -
  
話は1963(昭和38)年に入り、やっと本筋にかなり近くなるのでご安心あれ。
1月20日、重澤旦那と小生は完全防寒、足にはオーバーシューズを穿って倶利伽羅へ赴き、ワッチャラこと沖中氏と落ち合う。峠に向かい勾配を上るC57やD51を撮るためではあるが、ここでも雪中キャンプもどき炊飯喫酒の方が楽しく、ほとんど撮影もしないままであった。沖中氏はリュックに「お父さんの牛乳」(ガラスカップ入り安合成酒の商品名。当時ワンカップ大関に類した清酒はまだ発売に至っていない)をどっさり、それにほうれん草、ポン酢、味噌調味料の類を詰め、スコップを持参。先に沖中氏自身が書いた如く、目的の高台にスコップを振るって半雪洞(屋根のないかまくら?)もどきを手際よく作り上げ、グランドシートを敷き、味噌汁その他の献立調理に鋭意邁進。ほうれん草を湯がいて「おしたし」を作り、残った緑色の湯で酒を燗し、まあまあおひとつという騒ぎ。その間、あら列車が行っちゃったよ!という事態も数回。重澤旦那は酒をたしなまないが、ワッチャラと小生は安酒と手製のアテにて大満足。
その帰路も小生は車内でお神酒を上げ続け、すっかり出来上がった時重澤旦那が暗い窓を透かして何やら見つけた。そこは木ノ本で、小生も雲を踏むような足取りで雪のホームによろけ出ると、連結をバラしたDD50の間に客車を2両はさんだ異様な列車ではないか。北陸トンネル開通後木ノ本-柳ヶ瀬-敦賀(鳩原信号場)間は柳ヶ瀬線=気動車単行7往復の超ローカル線化していたが、豪雪で気動車が走れず、重いディーゼル機関車+客車列車に振替え、終点での機回りを避けるためDD50背中合わせの間に客車をはさんだもので、引き通し線がないから前頭のDD50のみが力行し、後尾は死重でぶら下がっていたのである。
酔眼朦朧ながら精神一到何事か成らざらんと八百万の神仏に念じ、臍下丹田に力を込め、ニコンSPにトライX、絞り開放(35mmF1.8)15分1か8分1かのスローシャッターを切った。それでも露出は不足だが、それがこの珍列車写真である。何十年か後レイルロード(高間恒雄氏)がDD50の本で使ってくれたが、それまでは撮ったことも完全に忘れていた。

添付画像
【サンパチ豪雪倶利伽羅峠.jpg : 93.3KB】

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【サンパチ豪雪倶利伽羅峠2.jpg : 171.6KB】

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【柳瀬線のDD50列車.jpg : 75.0KB】
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【501】サンパチ豪雪中横断記その3 湯口 徹 06/2/28(火) 14:47 [添付][添付][添付]

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