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誰もうんともすんとも言わないのを見かねた乙訓の老人がチョッカイを入れてくれ、早速待ってましたと講釈を開始する。老人2人の馴れ合いではないかとの疑惑の向きもあろうが、その事実はない。
さて、418でテスト送稿した一見バスの如き車両はWISMAR「双頭車」。バルト海最西沿岸・旧ハンザ同盟都市WISMAR在メーカー産である。機関と駆動システムを二組有し、前頭のもののみを使用=逆転機はない。750mmからスペインの1674mm軌間にまで普及した。屋根の荷物台は乗合馬車以来の伝統で、かつての長距離バス(現在では床下収納)や、乗用車での荷物・自転車の屋根積載も同根である。ボンネット両サイドの荷物台は欧米では珍しい。幅は広く、2人・2人のクロスシートが3組+補助席で32人乗り。窓がもう1個多いタイプもあり、拙著「内燃動車発達史(下巻)」巻末の小生写真バックがそうである。
この写真はブレーメンから約30km南東にある「ドイツ元祖保存鉄道」ERSTE MUSEUMS-EISENBAHN DEUTSCHLANDSなる、1000mm軌間のファンによる保存鉄道でのWISMAR車で、撮影は1993年7月、WIEHE KURPARKという保養地の森の中の停留場。勿論蒸機運転が表芸で、以前機関士志望の若い女の子が助手で頑張る姿を軸にしたNHKの取材放映を見た人もあろう。スイスのインターラーケン付近で活躍した凸型バッテリーカー(一見機関車だが車内に座席あり)も軌間が同じで引き取り可動させている。他に標準軌間の線路、ディーゼルカーもあり、ドイツ人らしく車両も何もかも実に手入れが行き届いている。運転手や車掌、整備士、修理工もすべてボランティアで、古いユニフォームを再現着用。前後の接続国鉄が廃止され、車でないとアプローチは極めて不便である。
我々おじん野次喜多2人組は、荷物がバンコックに取り残され、着の身着のままフランクフルトからハルツ狭軌鉄道を経てブレーメンに2泊目の朝、やっとバックパックが宿に届いて、3日間「若干不衛生」との批判もないではなかった「猿股と靴下の毎朝裏返し着用」から解放された余談あり。なお諸兄の希望極めて多数、巷に満ち溢れと一方的に解釈し、今後シリーズでの展開を目論み中で、イヤと言うほど続く可能性も一概に否定できず、再度覚悟の程注意喚起に及んでおく。
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