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4月16日のOB会、既に仕事が入っていて、参加できません。
地元での開催ですのに、参加できないとは、残念至極、慙愧に耐えません。'61年度有志4人組(別所、中野、大塚、野本)か
らは、別所さんに賑々しく総代を務めて頂きますので、ご寛恕の程をお願い申し上げまする。
思い起こせば、大津市に住んで40年弱。
その頃は、まだまだ江若鉄道は盛んで、国鉄「浜大津貨物駅」も看板掛けて営業中、「京阪浜大津駅」もスイッチバックの複雑
な様相を呈していましたね。浜大津一帯が活気のある街でした。
「膳所駅」での江若線貨物受け取りにはL形の小型DLが活躍していました。「京阪膳所駅」の浜大津方と「京阪浜大津駅(石
坂線)」の島の関方に腕木式信号機があり、10両足らずの貨車を牽引して、ゴロゴロと動いていました。「京阪膳所駅」の坂本
行きホームの端に信号梃子の取扱所がありました。国鉄から京阪への線路跡は今もはっきりと分ります。勿論、石坂線の石山寺行
の線路が3線式で「京阪浜大津駅(石坂線)」の腕木式信号機の所で石坂線から分岐して、「浜大津貨物駅」に入り、100メートル
程度、石坂線と併走していました。その線路跡が、京都市営地下鉄東西線への乗り入れ関連工事により、「京阪浜大津駅」の留置
線になって、最近まで、廃車になった80形が長く留置されていました。
当時、石坂線では、日中、京津線の急行を受けて、「浜大津」〜「穴太」間に単車の区間運転がありましたね。当時は「三条京
阪」〜「石山寺」間の「急行」がありまして、京津線内は御陵、京阪山科、四ノ宮、上栄町のみに停車でした。
マタマタ回顧談になりました。ご容赦の程を。
では、別所さん、当日、よろしくお願い申し上げま〜〜す。
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