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【1472】スハ33
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/7/10(木) 23:01 -
  
スハ33についての書き込みを拝見すると、内容が初代に関するものと2代目に関するものが混在していると思われますので整理してみました。

初代と2代目の決定的な違いは、初代はオリジナル車に対し、2代目はスハ32の台車振替に伴う形式変更車であることで、スタイル的には初代がダブルルーフに対し、2代目はシングルルーフ、台車は初代はTR23に対し、2代目はウィングバネのTR40BまたはTR47、定員は初代は特急用として作られたため80名、2代目は88名となっています。

【1453】で長老が撮影されているスハ3318は初代です。四国の初代スハ33はこの1両のみ(配置は松山)ですので大変貴重な写真です。ちなみに四国には2代目の配置はありません。
【1454】の井原 実さんの書き込みは初代、【1456】の米手作市さんと【1460】のぷるぷるさんは2代目、【1459】のK.H.生さんは前半が初代、後半が2代目に関するものであります。

初代と2代目は全く別物であるにも関わらず、両方が存在していた時期があり、これが混乱に拍車をかけているものと思われますので、【1454】の井原 実さんの書き込みと重複する部分もありますが、復習の意味で再度書き込みさせていただきます。

初代スハ33
木製特急用客車(スハ28400形)の置換え用として、昭和5汽車会社と日車支店で19両製造、当初の形式はスハ33900形(33900〜33918)であったが昭和12年3月スハ32550形(32550~32568)に改番された。座席(定員80名)は2人掛の傾斜付固定シートで、東京〜下関間の特急「櫻」に使用されていたが、戦時体制拡大による傷病兵輸送の必要性から昭和12年から13年にかけて、17両が病客車スヘ32550形に改造された。昭和16年の称号改正で病客車がスヘ30に、改造されずに残った2両がスハ33にとなった。スハ33は1両が戦災により廃車、戦後、病客車は長老が撮影されたスハ3318の前身スヘ308以外は連合軍に接収され、一等寝台車、病院車等に改造された。返還後は通常のクロスシートとなり、スハ33の11〜26となった。

木製特急用客車(スハフ28800形)の置換え用として、昭和5汽車会社と日車支店で
12両製造、座席(定員72名)は前述のスハ33900形同様2人掛の傾斜付固定シートで、東京〜下関間の特急「櫻」に使用されていた。当初の形式はスハフ35250形(35250〜35261)であったが、昭和12年に全車病客車スへ35250形に改造、昭和16年の称号改正でスへフ30形となった。戦災で3両廃車、戦後は座席車として復活した1両以外は連合軍に接収され、一等寝台車に改造されたが、返還後はスハ33の31〜38となった。座席車として復活したのはスヘフ3011で、スハ36103を経てスハ333となった。

連合軍返還後のスハ33は1、3、11〜26、31〜38の26両であったが、昭和33年10月1日時点での配置は、室蘭7両(11、12〜16、19、35)函館7両(20〜26)品川2両(13、17)米原6両(31〜34、37、38)糸崎1両(3)松山1両(18)大分1両(1)で、北海道にまとまった両数が配置されている他は、全国に散在していたため、人目に付きにくい存在であった。(米原の6両は後に名古屋に転属)昭和37年から38年にかけて17両がオハネ17に改造、残りの9両も昭和44年2月までに廃車された。

2代目スハ33
昭和41年から46にかけて、スロ54の冷房改造、スロネ30等の荷物車改造の際、重量増加を避けるためスハ32の履いていたTR23を供出し、TR40Bに履き替えたもので、120両に実施された。形式のみスハ33に変更され、スハ32時代の番号をそのまま使用した。
また、オハネ17に電暖を付ける際、やはり重量増加を避けるためスハ32の履いていたTR23を供出し、TR47との履き替えが20両実施され、スハ32時代の番号+1000番を車番とした。

1.スハ3325(函ハコ)   昭和38年12月25日
初代スハ33で、昭和5年2月日車支店製。スハ33908として誕生し、スハ32567→スヘ3016→連合軍接収スイネ308を経てスハ3325となった。
撮影時の所属は函館で、北海道用のため二重窓、内窓はアルミサッシに交換されていた。オハネ17に改造されることなく昭和42年11月廃車となった。
写真は年末年始の臨時急行「第2雲仙」に連結されていたもので、この当時の臨時急行は全国各地から予備車を寄せ集めて編成され、背擦りが板張りのオハ61、オハ62が連結されていた。また次の年の「第2高千穂」には編成中にオハフ608が連結されており、よく苦情が出なかったものである。
[参考]
昭和39年1月8日 第2高千穂、第2雲仙の編成(客車は12月25日も同じ)
EF5873+スロフ5312(東シナ)+スハ32299(高ミヤ)+スハ32195(高ミヤ)+スハ32186(高ミヤ)+スハフ422306(東シナ)+オハ6262(函ハコ)+スハフ422044(東シナ)+スロ5127(東シナ)+スハ3325(函ハコ)+オハ614(水タラ)+オハ47109(東シナ)+オハ46390(門ハイ)+オハフ61688(高タカ)
1〜7号車「第2高千穂」都城行(6、7号車大分行)8〜13号車「第2雲仙」長崎行

2.スハ33763(大ムコ)  昭和44年2月25日
2代目スハ33で昭和14年日車製、昭和41年5月台車を交換してスハ33763となった。(昭和46年10月26日付廃車)

3.スハ32752(大ムコ)  昭和41年4月8日
昭和14年日車製、台車交換済であるがスハ33に形式変更はされていない。スハ33になったのは、書類上は昭和41年4月27日付となっているが、1ヶ月以上経過した5月18日撮影時でもスハ32のままであった。(昭和46年3月3日付廃車)

4.スハ32125(大ムコ)  昭和40年8月28日[参考]
昭和5年大阪鉄工所製、ダブルルーフのスハ32は昭和4年から6年まで158両作られた。(昭和41年9月22日付廃車)

5. スハフ32247(大ムコ) 昭和44年2月25日[参考]
昭和13年帝国車両の前身の梅鉢鉄工場製。スハ32の緩急車で、昭和4年から7年にかけてダブルルーフ車105両、昭和7年から15年にかけてシングルルーフ車311両作られた。(昭和47年3月27日付廃車)
撮影場所はいずれも京都駅である。

添付画像
【スハ3325.jpg : 146.9KB】

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【スハ33763.jpg : 96.7KB】

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【スハ32752.jpg : 64.4KB】

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【スハフ32247.jpg : 90.5KB】
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