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使命を帯びて土佐電車庫へ
老人にとってDRFC設立50周年にふさわしい出来事が、2008年1月末にあった。旦那ことU代目会長から一通の厚みある封書が届いた。中には光楽堂のフィルムフォルダーと共に、「最近、少し古い…と言いましても、かれこれ半世紀も以前のものもありますが…整理をする傍らでCDへの転写可能なものを選択して、と言う作業?をしておりましたところ、沖中さんが撮映なさったと判断できるネガを発見するに至りました、(以下略)」と、半世紀前と変わらぬ筆跡で記されてあった。
フォルダーには60−3−30.4−2.高知.善通寺―琴平.Konidolfine 19℃ 10分
とある。昨秋、tsurukame君から、NEOPANN SSのクレームについて、化学的な原因追究の成果が本掲示板で発表され、さすがは「襄の子」と耳目を集めたが、送られて来たフィルムはしゃんとしているNEOPAN SSである。この時、他に2本一緒に自家現像している。そのうち1本は【760】変なもの探検隊その17で紹介した、琴参電鉄無蓋電動貨車撮影のもの、もう1本は宇野→京都間昼行普通列車の車窓からの分である。この旅のメモ帳がなく、スタートからの断片的な覚えしか思い出せないままであった。今回やっとフィルムの駒を追い、思い出すことが出来た。以下、思い出した部分を<>で括ってみる。
1960(昭和35)年3月29日21:05京都発247レ宇野行。
<30日5:33高松発105レ窪川行、8:45御免着。御免8:46発、御免町8:48着。安芸行準急602+601を撮影。御免西町から電車で領石通まで電車で移動。安芸行608+609を撮影。土讃線土佐大津へ移動。上り108レ準急南風DF5046以下5連、遅れ115レ普通DF5021との離合の姿を撮影。再び土佐電領石通に戻り知寄町へ急ぐ。電停前の食堂で昼食。新設なった知寄町車庫訪問。前回(1958年9月)訪問時は未だ留置線であった。撮り忘れの300形・ブリル21E改造台車を撮影。>
ここから覚えている。車庫東北隅2階建、階上の車両課を訪問。前回、向かいの若松町工場時代に、開業以来の車両調査でお世話になった方々の迎えを受けた。目的は連結車600形の車体組立図を筆写させて貰うことにあった。この頃、奥野利夫さんの門下生として京都鉄道趣味同好会特派員役?を務めていた。会誌“急電”の売り物の一つに車両形式図(3面図で各箇所の寸法入り)があった。つまり模型を作る時には絶対必要とするものであった。奥野さんと交流あるメーカーや鉄道会社からは、1/50の図が提供されていたが、地方鉄道の自社工場の手になる車体図は現地へ行かねば、細部は不明であった。奥野さんは活気ある土佐電鉄紹介のため若き日の老人を派遣、3面図の筆写を命じたのであった。
方眼目ノートにほぼ写し終えた時、悪感を覚え机の上にうつ伏せになった。土佐電の方が驚いて声を掛けて下さった。額に手を当て「熱が高い」とおっしゃった。気が付いたらベットの上であった。注射で熱は下った様である。流感だったのだ。「これからどうする?」となったのは当たり前のこと。義兄の実家である南与力町教会が頭に浮かんだが、「善通寺の姉のところへ行きます。」と言った。
【びわこ形クハニ.JPG : 69.4KB】
【600形重連.JPG : 116.0KB】
【準急”南風”到着.JPG : 51.6KB】
【初の全面広告車.JPG : 135.4KB】
【ブリル21E改.JPG : 117.8KB】
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