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【1411】おじん2人ヨーロッパ軽便 その22-3
 湯口 徹  - 08/6/8(日) 14:38 -
  
IL TRENINO VERDE =サルディーニャ島「緑の列車」その3 マンダス〜イシリ

翌朝6時半起床、旧市街を1時間ほど散策後朝食=コンチネンタルの最も簡素・質実剛健なるものは、コーヒーあるいは紅茶にパンだけだが、少しマシだった。チェックアウト後空港へ。昨日未着の先達相棒のバックパックが到着している筈だが、何分ここはイタリアだから、現実に手にするまでは信用できない。

中心部は古い町並みで、やたらと一方通行―御堂筋並みに6車線なんてものもある。道を間違えて埋立地の港に出てしまい、やり直し。

バギッジオフィスには昨日の親父がおり、十数個のバッグが並べてあった。荷物あり!でいっぺんに機嫌が直り、一路マンダスを目指す。ここで略地図をご覧頂きたいが、赤線が現在運行中のTRENINO VERDE=FDS(Ferrovie della Sardegna)の鉄道線、緑線は休止=シーズンのみ運行。標準軌間の国鉄線は省略してある。

この鉄道は珍しくも軌間950mmで、ある英本(しか読めない)に本来1000mmで建設すべきところ、レール間の最短距離と、レール中心を間違えて、結果的に50mm狭くなったという話がある、と書いてあった。線路敷設終了後車両を発注する訳もなく、建設中にも貨車や機関車が働く。ヨタ話もいいとこである。

余談だが、世界最新国(1993年独立)エリトリアは、廃止済のほんのちょっとあった鉄道を白人観光客目当てに復活し、その軌間が950mmで、車両もサルディーニャそのもののブレダ製Cタンクロコにボギー客車である。てっきりサルディーニャのお古で復活したと思ったのは大間違―元来イタリアの植民地で、サ島と同じ技術で建設されていたのは、米国3フィーターのノウハウによる北海道の幌内鉄道と同様である。

またアラビアのロレンスがベドウィンをけしかけて爆破させた、旧トルコ領だった巡礼鉄道の機関車がいまだに砂に埋もれているそうだが、その軌間も950mmだそうな。

この日は日曜日で、車両基地がある街道町マンダスには人気がない。カリアリ〜マンダス・イシリの線は休日全面運休、マンダス〜アルバタックスのシーズン運行線は2往復。駅で聞いたらマンダスに宿はない、イシリならある(といったんだと思う)。ウッソォ!FDS刊行のパンフ(幸い英語だった)に出ているし、その観光案内所とはこの駅の出札だった。

駅には屋台に毛の生えた軽食堂があり、車で食事に来ている人もかなり。飯も飯だが、今夜の宿を探すべく、少し北のイシリまで行き、最初に見つけた安旅籠を前金を払って確保。晩飯も出来るというので頼んだ。

マンダスに戻り、アルバタックス行き列車の15時までにビールと食事を策したが、昼飯時を過ぎ無残にも閉店済。町を歩いたがことごとく閉まり、やっとバールを1軒見つけた。若い娘とボーイフレンドが店を閉めかけていたのを無理に入ったが、缶ビールと甘いクッキー?しかなかった。

15時マンダス発アルバタックス行に乗車。客は我々とオーストリア人鉄ちゃん2人の計4人のみ。列車は凸型BBディーゼルに客車2両、運転手、助手、車掌2人。

地図は大阪ジュンク堂でサルディーニャ全島20万1を入手しており、島ではロクな地図も得られなかった。めったやたらとカーブと勾配が連続し、沿線は時期により放牧すると見え、線路に沿いずっと柵や石積がなされている。主要な踏切には車で来たボランティア(であろう)が携帯片手に自動車を止めて列車を通し、他では列車が速度を落とし、警笛共に徐行していた。

乗客が4人ですることのない車掌はお喋りばかり。この線は景観抜群とSDR一番推奨なのだが、山間をグニャグニャと曲がり、上り続け、正直飽きてしまう。荷物がちゃんと着いていたら、初日マンダスに泊まり、8時30分発でアルバタックス着13時20分、同14時30分発で折り返し、マンダス帰着19時20分の予定だった。

それが半日遅れ、途中セウイで離合する列車で帰らねばならない。離合列車は団体でほぼ満席=日本ならさしずめ盛大な酒盛りだが、老若男女はミネラルウオーターとお菓子で、それも日本と変わらぬ盛り上がりであった。車椅子の人も何人か。

先述のように日曜日だから、マンダスに帰着しても接続列車は一切ない。皆の衆どうするのかと見ていたら、大方が迎えの車に乗って散ってしまった。すなわちこの団体はすべて地元民だったのである。我々は止めていた車でイシリに。

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