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一連の乙訓の老人氏、藤本氏、tsurukame氏皆様の仙山線試験電化時代の
作品を見て、交流電化の黎明期の雰囲気に感動していた九州育ちの私。
4〜7と遅い夏休みが採れたので、これは一度「聖地訪問」して
おいても良いだろうと、青春18が4日分残っていたので
夜行バスと合わせて北海道まで学生顔負けの鈍行旅行を敢行する
途中、作並に寄ってきました。
ここからはモノクロ画像に往時を偲ぶから一転、いまの記録です。
1、現在の作並駅。仙山線の主要駅ですが無人、また仙台近郊は
東北福祉大など通学、通勤の客で混みますが、この駅まで来ると
乗降客も少なく、跨線橋の設備もなく未だにホームの端から
本屋、改札に向かいます。
2、旧作並機関庫。上屋は遠目から健在と分かりました。
現在は保線用車両などの車庫となっていました。外観は綺麗なので
後年の手が加わっています。
3、車庫内の天井部分。アスベストもたっぷり残っていそうですが
鉄骨などに昔を偲べそうです。架線等は外され電気機関車用の機関庫
だったことは、今の姿からは想像しにくいでしょう。
4、この扉には見覚えのある人もおられそうな。原型の留める一部。
5、下回り点検用のピット。昔の機関車は水銀整流器だったので
底に溜まった水などから有害物質がいっぱい出て来そうな雰囲気です。
庫内をうろうろするのは気が咎めたので写真はこのくらいに。
でもここで試作車たちを整備し得た技術データが北陸線、東北線、九州の
交流電化につながりひいては世界に飛躍する技術となった東海道新幹線まで、
わずか10年ちょっとの革新の時代。それを思うと何とも感無量でした。
駅のホームにはひっそりと「交流電化発祥の碑」が建っていました。
交流機ED44や45たちの運転や整備、技術の習得に活躍した人たちも過去に近く
なり、英国製ED17との比較や直流との性能の違い、ここで古人らは
何を考え、将来を思ったのでしょう。
一句浮かびました。
作並やEDたちが夢の跡
芭蕉に憧れどうしても一句出てくる東北の旅ですが、きょう日
EDというと、違う意味にとられるので声に出せませんでした。
おあとが宜しいようで。。。
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