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【1195】通勤の車窓 今昔 −3−
 総本家・青信号特派員  - 08/3/4(火) 22:11 -
  
通勤途上、始発電車に乗り換えるため、ときどき高槻市駅で下車する。阪急のなかで有数の乗降客数の同駅ではあるが、以前と比べると閑散とした印象は否めない。
それで思い出すのは初めて阪急で通勤を始めた25年ぐらい前、高架になる前の地上時代の高槻市駅のことだ。このときも始発の電車に乗るためも、ホームに降りた。ところが、ホームに人があふれていて、長蛇の列がいくつもできている。通勤特急の列、急行の列、動物園前行きの列と、狭いホームに列が渦巻き、どこが列の終端なのかも分からないありさま、すごい人の熱気を感じ取ったものだった。それほど当時の高槻市駅は人が多かった印象が残る。
そう思い、資料の裏づけをと乗降人員を調べてみた。昭和50年代の前半、高槻市駅の一日の乗降人員は約7万人、ところが最近は6万6千人程度で、JRへの転移があるとはいえ、格段の減少ではない。そう映ったのは、単に旧駅に狭さのせいだけだったのだろうか。
写真は、昭和27年の高槻市駅【写真1】。故羽村宏さんの撮影で、原型のP−6型2連の特急。戦後再開された特急は京阪間無停車だったが、その後、高槻市と西院に停車するようになった。周囲の町並みも実に鄙びたものである。【写真2】は、昭和48年3月にあったP−6型のお別れ運転時のもので、特急の通過待ちのため、高槻市駅で待機中。鉄道友の会の主催で、正雀車庫で撮影会を行って、その後、桂までP−6最後の走行を飾った。私は友の会会員でもなかったが、当会顧問で友の会支部長の大西さんによく誘われて、藤本さんらと行事にもぐり込ませてもらい貴重な体験をさせてもらった。
最近ではちょうど上下の特急が並ぶシーンが日中見られる【写真3】。話に聞くと、今年9300系がさらに増備されるようで、30年以上の間、長らく京都線の顔として君臨した6300系もいよいよその座を降りる日が近づいてきた。

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