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[1161]藤本哲男氏の「少し前の名鉄美濃町線」を拝見し、そういやぁ俺も名鉄は少し撮っていた筈と、かなり進行したボケと戦いながら記憶を絞り出した。時は1957年3月6日、51年前だが、幸い当時の手帳から浄書した記録があった。
20年ほどにも思えた2浪生活が終わり、暖かくなるまで待てずに家を飛び出し、一筆書きルートで山科−名古屋−関西線経由で一旦帰宅。改めて山陽−九州と出かけたその「しょっぱな」だった。まだ学生にはなっていないが、学割証は高校時日付のないものを山ほど確保し、学生証も同様=日付を「訂正」し無事5割引で購入。
なんでお前が名鉄かといわれそうだが、大江−東名古屋港1.9kmの築港線(通称名古屋港線)通勤用客車の中に、旧名岐、三河鉄道のガソリンカーの成れの果てがいると聞き、矢も盾もたまらなかったのである。元来は1924年1月15日運輸開始の貨物線で、戦時中工員輸送を開始。
それも大江に直行したわけではなく、大垣で旧佐久鉄道のホエ7063を撮り、岐阜市内線、新岐阜、笠松を「一覗き」しながら、まだ蒸機709がいた新川工場へ。それからやっと神宮前を経て大江に。ナハ22808の車体を住居にした家があった。
名古屋港線の大江には、神戸の和田岬線並みに朝夕しか出番のない客車が19両。ブリル単台車に戦時中木製車体を載せた58+53+51+56と4両が一列に。さらに132+135+125+126+11+21+121?+127+134+22がもう一列。その隣に2238+2111に連結したお目当て旧ガソリンカーの2064+2222+2221が。
ガソリンカーは今回遠慮して旧電車のみご覧に供し、車両解説は藤本氏にお任せする。遅滞なく義務を果されよ。
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【名古屋鉄道20型.jpg : 127.4KB】
【名古屋鉄道50型.jpg : 293.3KB】
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【名古屋鉄道2111.jpg : 127.4KB】
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