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ブリエンツ・ロートホルン鉄道 その1
アッペンツェールのホテル早朝出立のため、ビーベラッハの悲劇を再現せぬよう、前晩クラーク立会いで鍵をフロントに投げ込む予行演習まで実施した2人であったが、次の日泊まったルッツェルンのホテルで、また悲劇が再発した。
古く狭いながら、我々にしてはグレードの高いシェフなるホテルに投宿。早朝出立とあって、クラークに掛け合いカード支払い手続きも前晩に済ませていた(筈であった)。
我々は機嫌よくバックパックをかつぎ駅へ。ところがあと僅かというところで朝交代した別のクラークが息せき切って我々に追いつき、もう一度ホテルに戻れという。何とカード支払いの手続きは済んだ筈が、肝心のサインをもらっていなかったと言うではないか!
結局ホテルから駅までほぼ2往復する羽目となって時間が切迫。ルッツェルン6時03分初発列車でブリエンツを目指すのに、数分しかなく全力走行を余儀なくされた。まさしくビーベラッハの悪夢の再現で、バックパックの2人は息も絶え絶え、泡を吹かんばかりの形相でルッツェルン駅によろけ込んだのであった。
これが日本のように改札口があれば、ユーロパスに日付を入れていないから多分間に合わなかっただろうが、ともかくインターラーケン行きに乗り込んだのと、ベルもアナウンスも汽笛もなく列車が動き出したのがほぼ同時。今度は本当に死ぬかと思った。
メータゲージのスイス国鉄(SBB)ブリューニック線は15,000V16 2/3ヘルツの交流電化。途中何箇所か120‰勾配・リンゲンバ、ッハ方式のラック区間があり、勿論各停だがインターターケン・オストまで74kmに2時間23分を要する。早朝だが幸い車内販売がありビールを求めた。まさしく命の水であった。
列車はマイリンゲンで折り返して方向が変わり、ジャスト8時にブリエンツ着。ブリエンツ湖東北側、SBBとは道を隔てた山側にへばりつくように小さな駅があって蒸機の煙が見える。アドレナリンが一挙に分泌するのが自分でも分かる。
これぞ名高きブリエンツ・ロートホルン鉄道(BRB)で、軌間800mm、全長7.6km。起点の海抜が566m、山頂駅が2,244mで7.6km間の高低差1,678m。これをほぼ1時間で上るのだが、勾配は平均22%、最急25%。‰ではないからお間違いのないように。最小半径60m。
列車は8時05分発。すでにある程度の乗客が待ちうけ、我等は出札でユーロパスを示すが、スイスパスならある割引はなし。往復が割引で54スイスフラン、ちゃんとした縦型硬券であった。
3個列車が束になって上る。赤い客車は遊園地並みに側戸式だが、短時間での乗降に適している。機関車が後尾から押し上げるが、客車が1輌/2輌のものがある。蒸機は1、2、5(1891年製17トン230馬力)、6、7(1933/36年製20トン300馬力)、12、14〜16(1992〜1996年製15.7トン300kW=402馬力)、DL9〜11(1975/87年13.6トン660馬力)がある。
動き出すとそれこそ興奮状態、やたらモードラでシャッターを切る。上れば上るほど景色がいいのに、待ちきれないのである。先ずは人口3,000人余、この鉄道と木彫工芸の村ブリエンツを抜けるが、このあたりはまだまだ緑豊かである。
離合所は3か所。最初のそれは標高1,019mにある。停車するや乗務員は給水に励み、乗客はカメラを持って右往左往。
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