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YBBSTALBAHN その5
発駅ヴァルドホーフェンが町から外れていることは先回記したが、ここに軽便線の車両基地がある。それも標準軌間線駅前広場―本屋の前の左右に軽便線の発駅と基地が展開しており、列車が発着する度に軽便車両や列車が駅前広場を行き来するのは、以前[490-昨年2月7日]に記した旧東ドイツのツイッタウと似ている。
まさしくのどかな風景で、貨物があった頃ならともかく、クールに見れば採算の取れる線区ではありえまい。観光といっても広く海外からの客ガ集まるとも思えず、我国からの観光ツアーなどあるはずもない。
それでも立派に運行を続け、折々には保存蒸機・旧型客車列車も運行されている。
われわれ野次喜多2人はこの軽便線に充分満足し、明日からはスイスに転進すべく、大きなバックパックを預けているザンクド・ぺルテンの安宿に立ち寄り、オーストリーの首都ウイーンへ。西駅前は何やらやたらと工事中だった。
ここから21時25分発、バーゼル行き夜行列車466レ=ウインナー・ワルツァー号に乗車。
寝台車は2人部屋で、ン10年か前、琵琶湖畔のヘルスセンターと化した紅葉パラダイスが、客寄せにドイツの蒸気機関車と寝台車を10両ばかり、簡単な高架に載せホテルにし、用もないのに3人で泊まった(夕食は大広間、ショウは青江三奈だった)ことがある。
寝台車片側に共用(無料)シャワー室があったので、終日稼ぎまわって汗だらけとあって早速初体験に挑戦。椅子に座って湯を浴びるのが珍しかったが、老人、あるいはもしかの振動でのひっくり返り=脳天打撃防止か。
湯の出が恐ろしくケチで、体中に塗りたくった石鹸を落とすのに往生し、折角流した汗も車内冷房の効きが悪く、又噴出した。
夜中に国境を越えるため、パスポートは客室乗務員(1両に1人乗務)に渡し、翌朝受け取る。相棒は若干のチップを渡しビデオの電池充電も頼んでいた。翌朝は勿論有料だが朝食が盆に載せ供される。
ところで[667-10月25日]、[670-10月31日]、[699-11月24日]で繰り返した、軽便線で標準軌間貨車を運行するシステムにつき、まだ良く分からんとおっしゃる御仁が居られるので、これが最後の講釈を。
内側が1435mmになっている枠桁に軽便線の小車輪を仕込み、一段低いピットを作った場所で標準軌間貨車を受け渡しするのである。枠桁にのせた貨車が動かぬよう、その固定にはいろいろ工夫がこらされている。
枠桁同士や動力車両とは長い棒で連結し、エアあるいは真空制動機のホースも伸ばしてつながれる。
これは我国と違い、軽便線のプラットホームがあたかも路面電車の安全地帯のように低く、構築物などがぶつからないように作ってあるからこそ。さらには我国の鉄道法規なら、当然建築定規(国鉄なら建築限界)突破として、当局は認めようともしない筈である。
【軽便線駅.jpg : 106.7KB】
【車両基地(2).jpg : 132.2KB】
【貨車を載せる装置.jpg : 103.4KB】
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