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老人はDRFC時代に富山に一度行っているが、ゲル貧のため往復ともに夜行で、関心のあった富山地方鉄道の乗り回しをしただけであった。富山港線には、1961年からの富山在住時代に2回訪問している。1回目は6月で、午後なら城川原で写真撮影出来るだろうと思い訪ねたら雨がしとしと降ってきた。仕方なく事務所で在籍車と2両一組の編成車号を筆記させてもらった。これは当時の京都鉄道趣味同好会誌に「北陸短信」として投稿したが、会誌は若者にプレゼントしたので委細不明である。当線はラッシュ時15分毎の運転、運転所要時分は20分、MTc編成4本あれば足るのだが、7本あったと思う。超混雑列車には2連1組を増結していた。元宮城800形は増結に使っていた、と聞いたように思う。2扉のため幡生工場へ返したようだ。従ってこの時はいなかった。いずれにしても城川原区に配置されているものは宇部線から転属してきたものがほとんどで、Mは元南武、Tcは元鶴見臨港でセットになっていたように記憶している。
その後、初秋の好天日に再訪問したが、フィルムは三八豪雪の後遺症で灰となった。なにか買収国電のものがないかとさがし当てたのが、次の3枚である。
富山4 野崎昭三氏撮影、元伊奈電デ122→富山港線モハ1922→北陸鉄道3103→3151
富山5 元鶴見臨港モハ112→国鉄クハ5540(可部線)→山形交通三山線モハ107
富山6 元南武クハ253→国鉄クハ6012(宇部線)→高松琴平850
この中で買収国電として最後まで残ったのは、高松琴平ものだろうとおもっている。
大阪万博の頃、富山へ行った時、青い63が停車している姿を見ているが、大阪環状線へのモハ101系投入による玉突きと知った。いつの間にか昇圧されたようで、富山を終焉の地とした電車達の冥福を祈るものである。今回も同称十念。
買収国電が他にも出てきたら、追って紹介することにしようと思う。
【toyama4.JPG : 79.7KB】
【toyama5.JPG : 99.3KB】
【toyama6.JPG : 79.2KB】
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