|
気動車転じて電車に。昔は多数例がありました。
特に地方交通線では軽量が幸いして定格速度の低い路線では、よくトレーラーやTcになったものです。
新潟交通のクハ37やお隣蒲原のクハ10など。扉を移設したり前哨灯の位置を上げてみたり涙ぐましい改造をしても出自は隠せません。
また神中の電気式キハが後に本当の電車になったり(日立電鉄)、宮崎交通では省キハ40000が蓄電池式電車に化けました。
ではこの反対はというと、青梅鉄道の買収国電を気動車にした例(小湊鉄道)、小田急の1600のTcが関東鉄道ではキクハになり同社元御殿場線乗入れ用のキハ5000と編成を組むという軽業を演じたり、やっぱり面白い例はいくつかあります。
客車が気動車になる。国鉄キハ08が有名ですが私鉄にはごまんと例があります。
また電車に転じた客車といえば一畑の作業局型なれの果ての106のような超ゲテモノもありますが、身近な好例は阪急甲陽園線の96。これは越能鉄道の例の少ない私鉄型鋼製客車を召上げ電車化したという、小林一三でも車両ブローカーの知恵には勝てなかったのではないか、といういわく付きの電車です。
あと都電1000型が非電化私鉄の客車に(羽後交通横荘線)。世界の鉄道71でこの存在を知ったとき私は頭を殴られたくらいシビレました。台車を内に寄せスペーサーを入れて車高をあげれば使えるじゃん。まるで模型です。それも電化されている雄勝線に配属せず非電化線にわざわざ。
こんな苦労をしてセコハン車両を大切に使う。
その心はなんだったのでしょう。やはり「もったいない」だと思います。
私は新聞社に所属していますが、最初の配属は希望通りにいかず広告部員から始まり夕刊紙にいったりしながら昨年ようやく内勤ですが本体の編集局に移りました。
よく尋ねられるのですが報道記者ではありません。
縦割り意識の強い新聞社では珍しい存在でしょうが、ここまで持ち堪えられたのは愛すべき地方私鉄の車両たちやその生涯のことを、子供の頃から頭に描いていたのかもしれません。
同年齢の1期下の後輩が最初の部署の局次長になっています。
エレベーターの中であうと「お早うございます」と会釈。
「(部下の前で)お偉いさん(それは)止めてくれよ」と笑いながらあいつの偉さはそこだろうなと思いながら、編集局のあるフロアで降りて行く。
人生は一瞬の爽快さのためにあるのかもしれません。
|
|
|