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【673】身障者の目から視た富山ライトレール その1
 74年度生 佐々木秀隆 E-MAIL  - 06/11/7(火) 22:22 -
  
終点の港町の空はからりと晴れていた。降り立つと潮風に混じって真新しい建材とコンクリートの香り。9月11日11時前にこの日の目的地岩瀬浜に着く。
埼玉からの日帰りの旅。大宮7:26(とき303号)8:12→越後湯沢8:20(はくたか2号)10:14→富山着。関東平野はシトシト雨模様だったが、国境の長いトンネルを抜けた途端澄んだ青空が広がった。

★富山ライトレールは五代目
岩瀬は、江戸時代から北前船の寄港地としてにぎわった宿場町。往時のままの回船問屋が目抜き通りに軒を連ねている。ところが明治の中ごろになると海上交通が衰退して町が寂れかけた。この時土地の有力者が私財をなげうって建設したのが富山ライトレールの前身、富岩鉄道(大正13年開通)。富山地方鉄道を経て戦時中の昭和18年、国有化され富山港線となる。それ以来沿線の足として走り続けたが、元号が平成になると利用客は目に見えて減ってきた。
JRは平成15(2003)年、富山港線の路面電車化を決定した。順調に進展し、第三セクターが運営する事に決まった。これによりJRの富山港線は今年2月いっぱいで廃止され、4月29日に富山ライトレールが開業した。
路面電車の新設・延伸は24年ぶり。ましてや近未来路面電車(LRT)の誕生だ。線路はJRのお古かもしれないが、車輌は新造。開業前のイラストを見たらヨーロッパの都市を走りそうなデザイン。車輌だけでなくバリアフリーの施設に関心を持って出かけた

★脳出血に伴う右半身マヒでハンディーキャッパーに
私は、ちょうど2年前の11月、脳出血を患った。1年近くリハビリに取り組んで以前の会社に復職したが、右手、右足のマヒと若干の失語症が残っている。去年の今頃は、何とか社会生活に慣れる事に生活の重点を置いていたが、今年に入り、多少余裕が出てきたし、自分の好きな趣味を熱中できるほど体力・気力が回復した。マヒの方もだんだん回復している。私はラッキーだと思う。多少不便はあるものの、装具を取り付けて健常な人と同じくらい歩ける。今は左手一本で、手ぶれなしでデジカメを操っている。病気になる前と同じリズムで、鉄道趣味が楽しめる。それより何より、みんなとは少しだけ違う身障者という目線で物事を見る幅が広がったのがうれしい。

北口に向かう長い地下道は北陸新幹線の工事中だった。出口の目の前に乗り場がある。横断歩道も渡らず車の流れも気にしないで屋根つきのアプローチで楽々停留所へ。正確に言うと歩道の延長がホームなのだ。これは嬉しい設計だ。日中は15分ごとの運転になっている。街路樹の陰から純白の電車がやってきた。7編成あり、それぞれに異なったアクセントの配色が前面と側面のドアに配されており統一感がとれている。明るいグリーンのTLR0605に乗り込む。ホームと床の段差は限りなく0に近い。普通の人から見ると僅かの段差でも高齢者や身障者には結構厳しいものだが、こういう設計から「真剣にバリアフリーを考えたユニバーサルデザイン」の意図が伝わってくる。
(つづく)2006.11.7
引用なし
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【673】身障者の目から視た富山ライトレール その1 74年度生 佐々木秀隆 06/11/7(火) 22:22
【675】Re:身障者の目から視た富山ライトレール その1 67年度 澤村達也 06/11/8(水) 22:22

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