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2004年のJTS宿泊例会でのお話となる。
長島温泉を追われた探検隊は、拠点を求め転々とジプシー暮らしとなる。この年は豊橋鉄道赤岩口車庫集合となった。先ずは構内での運転会。これはPASSして、愛環に万博に向け新車が導入されたと聞き込み、それを追いかけ夕方のビール電車に焦点を合わせた。
その後、ほろ酔いで山の中腹で宴となった時、探検隊長U君が老人の前に胡坐をくんだ。
「おきさん、田口線へ行きませんか。」「なに!廃線跡シリーズか。」「数年前、車で行ってみたら結構走れるとこありましたよ。」「そうか若い頃、飯田線のモハ32(クモハ14)の尻に奈良電に似た奴(P10)がぶら下がっているのを見たことあるけど、乗った事なしや。よっしゃ!のった。」
隊員募集に掛かると、2台6名となった。翌朝、豊鉄、遠鉄、静鉄、名鉄、帰宅の連中と別れ国道151号で先ず本長篠へ。信長の古戦場だ。駅前で茶を1本。二日酔い覚ましである。旧線跡の細い道を経て県道に合流する。程なく蔦かずらに覆われたコンクリート橋脚を見る。そして鳳来寺駅跡で休憩。ここは観光バスで来たことがある。次は玖老勢(くろぜ)、旧駅ホームや火の見櫓がある。そして対岸の細い道へと。旧線跡である。トンネル(P11)を抜け、右折して元の国道257号に戻った。海老である。車庫があったとか。駅跡を含め広場になっている。まだ幾らか宿場町だった頃の風情が残っている。さらに北上して国道脇の滝上駅跡を観察。拡幅され国道バイパスとなった稲目トンネルを抜けた頃から転寝開始。本日、未だ明けやらぬ前、部屋に戻ったらI君の凄い鼾にロビーへ退避し、ソファで仮眠しただけが、いま影響している様だ。
「おきさん、着いたよ、田口の終点だよ。」眼を開けると廃屋がある。老人を除く5人はカメラを掴んで車を出る。老人は再び寝入ってしまった。発車のショックで眼が覚めると、急坂を右折左折の繰り返しで登っている。そして田口(設楽町―しだらちょうー)の町並みを抜け小高い所でストップ。「ここは何処だ、電車があるではないか。」「おきさん、言ってたじゃないか、奥三河郷土館に着いたんだよ。」
展示されているモ14号の外板は鉄板貼りだが内装は木造だ。現役時代の数々の物が陳列されている。田口の町と川底の駅を連絡していたバスの写真、それを利用していた人の思い出話の文集もある。外へ出てカメラを向けるうち、幼稚園児らしい子供に「ぼく、こんな古い電車見るのは初めてだろう。おじさんよりお年寄りだよ。」といったら、「こんなの電車じゃない。変なもの!」続けて「おじさんも変なの」。どうやら電車の絵のTシャツに綿パン、赤いキャップ(オレンジエンパイア・レイルウェイミュウジアムで仕入れたもの)の老人の姿を指しているらしい。これでいいのだ。
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