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【488】三八豪雪 あれこれ話その3
 乙訓の長老  - 06/1/31(火) 18:08 -
  
《訂正:その2で「立山」の福岡通過を12時45分頃としたが、正しくは13時5分頃である。》

反応は直ぐあった。「二〇ヒ、五二三レ、イスルギ トウチャク」

当時、電報による連絡方法としたのは、福岡局が手動式だったからである。老人に近い年齢の方なら覚えていると思う。電話機の横にハンドルがあり、それを回転させて局の交換手を呼び出し相手の局と番号を告げ繋いで貰うのである。福岡局は郵便局の一隅に女性交換手が頑張っていた。交換の時、緊急、特急、急行、普通と告げる必要があった。緊急は官公庁専用で一般は有事以外は受付けては貰えなかった。一般は特急以下で、料金の倍率は国鉄並、5字単位であったと思う。普通は朝8時に申し込んでも昼過ぎでないと繋がらないのが常識であった。これでは仕事にならない。老人は鉄道電話での略号を旦那に教えを乞い、それを社内連絡に応用する事を提案、取り入れられた。

20日朝、福岡発532レは石動に少し遅れて7時前に到着。523レは30分ばかりの遅れで先着していた。改札口に出向けば旦那1人で、大人は加越線ホームへ行った、との事。その大人が帰って来て「お前さんの恰好はなんじゃ、それにスコップとは」。2年前、杉津へ行った時、幼馴染の登山用冬装束1式を借り出し着用に及んだら、二人から黄ペンギンと言われ大笑いされた。今回は紺のアノラックにオーバーパンツである。パンツ裾はゴム長靴の上からしっかりと紐で縛ってある。「スコップの偉力はこれよりお目にかける。」

遅れの222レで倶利伽羅に着いたら9時をまわっていた。先ずお立ち台に案内する。ここでスコップの出番となった。石垣で小高い社の東南角辺りに雪を積み上げる。そして穴掘り「かまくら」作り開始である。吹雪に備え方向も計算済み。お立ち台へ行った2人が帰ってきたところでラジウスに点火。熱いコーヒータイムとなった。何度かお立ち台(P6)と「かまくら」との往復の合間にジャコだしの味噌汁ができる。次いで湯をたっぷり沸かしほうれん草を湯がき、おしたじとする。残り湯で酒の燗をする。缶詰を開けて本日の宴の始まり。酒の飲めない旦那は酢を手酌で煽る。最後は残り物を味噌汁に放り込んで雑炊の完成。DRFCメンバーの中には、これを賞味した人も多い筈である。

宴の頃から猛吹雪となる。雪は列車の姿も音も消してしまう。駅下り方の九折トンネル西口(P7)なら山蔭になると、移動する。その後、駅へ出向いて運行状況を聞きに行けば、どの列車も1時間以上の遅れで、この吹雪では今夜の列車は運休だろうと言われた。そこで2年前の杉津での事もあり、次の列車で帰って貰う事にした。

 翌21日、吹雪は小康状態となる。22日、起床すれば猛吹雪だ。福岡8時10分着222レの富山からの通勤組が出てこない。9時頃に踏切へ行けば、300Mばかり駅下り方でC57頭の222レが煙を上げて頓挫している。線路伝いに行ってみたら機関士と助手はハンマーで動輪の軸受け周辺を叩いて除雪作業中である。

「どうしたの、火を焚いて走っているのに何故凍り付くの?」

「吹雪くと熱は逃げてしまう。軸受けに雪が付着して速度が落ちるとアウトだな。」

吹雪のため前方注視不能となり、踏切の事もあり徐行したら自然に停まったようだ。

この後、石動駅下り方にある小矢部川鉄橋で貨物列車後部5、6両が取り残される珍事が発生している。強風に煽られ連結器が外れたとかで、脱線とならなかったのは不幸中の幸いだが、これで金沢〜高岡間は不通となった。吹雪は26日迄つづいた。

この頃、工場はフル稼働で工員集めが頭痛の種であった。懇意にしている洋品屋所有の空家を借り上げ宿泊所とし、出入りの仕出屋(老人の平日3食提供者)と交渉したり、多忙な日々を送っていた。この宿泊所が鉄道にも寄与したのである。工員の70%は福岡町民で20歳代、この地は浄土真宗(門徒)の郷、成人すると「講」に組み入れられる。この連中は鉄道救援隊となり、いざ事あれば出動するのである。このため後勤、夜勤希望者が続出となった。

鉄道救援隊は福岡駅を中心に除雪作業に当たるのだが、握り飯大2ケ、沢庵、味噌汁(お代わり自由)が2回と日給650円であった。会社の基準内賃金の平均は日給500円で、これでは除雪隊の方が良い。そこで昼間は除雪隊となるのであった。この連中は自宅に帰らずフルに宿泊所を利用して稼いだのである。ついでに雪下ろしの相場を紹介すると、日給2000円に昼飯、夜はすき焼と酒であった。

25日(金)夕方、出勤すると旦那から電報が着いていた。慌てて自宅、勤務先に電話するも特急でもなかなか繋がらない。共に出た後で連絡不能。北陸本線は不通なのに、なんでこんな時に出て来るのか。あいつらアホちゃうか、どうせ敦賀でストップとなるやろうと思っていた。

27日、踏切番から吹雪が収まったので明日からの運転再開に向け、2度目のキマロキの運転があると、教えて貰った。これはこれはと、駅へ行き到着予定時刻を聞きだし、富山→金沢間だと言うので、駅から上り方3つ目の大滝踏切でカメラを構える事にした。スコップで3M強ある雪壁に段を切り、大滝神社をバックに入れてキマロキを待った。汽笛数声、駅で見るのと違い迫力がある。雪の吹き出しも北側で、OKだと思った。ところが2つ目の踏切を越した辺りで南側に方向が変わった。えらいこちゃ、このままでは雪に埋まってしまうと逃げ出すが、そうはいかない。結局、頭から雪を被る羽目となった。大滝神社の社が北側に在り、それを避ける為だったのであろう。

28日、朝出勤して間もなく旦那から電話が入った。金沢駅に居ると言う。大人も一緒だと言う、びっくり仰天である。                      (つづく)

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