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【821】ニブロク時代の栗原
 湯口 徹  - 07/4/9(月) 14:32 -
  
乙訓の爺様が張り切っておられるところへ闖入するようでいささか気が引ける(そんなら止めたらという声も)が、52年前小生が高校卒業直後撮影の写真をお目にかける。

栗原鉄道は元来軌間762mmの蒸気軌道だったが、戦時中奥に細倉鉱山が開発され、三菱の資本が入って産業鉄道に生まれ変わった。鉱石や硫酸を石越で国鉄貨車に積み替えていたが、貨物が増えてどうにもならず、762mm軌間のまま750V電化かつ栗原電鉄への改称が1950年9月21日。
電気機関車は三菱三原製ED181〜3、電車は日本鉄道自動車工業(後の東洋工機)製でモハ2401〜3、すべて新製である。

その後も貨物は増える一方で、1955年9月26日1067mmに改軌。電気機関車も改軌して重量が重くなった分ED201〜3と改番したが、電車は下津井に売却しサハ1〜3に、タンカーはまだ762mmだった小坂へ、残りの客貨車は廃棄された。

小生が朝鮮戦争で米兵死体を収め日本に送った後払い下げられた米海兵隊の特大寝袋(実に上質のダウンだった)をかついで訪れたのは1955年3月28日=改軌半年前である。

やたら寒い日で、モハに暖房が入っていたのが有難かったのを記憶している。金がないのと、その日のうちに仙北、仙台、秋保とまわって常磐線泉まで行かねばならないので若柳からすぐ離合列車で引き返した。今から思えば惜しいことをしたものだ。

3扉で妻が流線型?のボギー客車は何あろう、かの(と見得を切ってもだれも感心してくれないが)丸山車両製作所製唯一のボギーガソリンカー、キハ2の成れの果てなのである。逆転機がなく、前頭エンジンで前頭台車のみを駆動する「双頭車」だが、どうしょうもない欠陥車で、すぐ放置され、遂には客車になった。3扉といっても、前後は扉の後ろ窓1個分が機関室で、中央扉をはさんだ両側窓4個分のみが客室であった。

若柳、石越はニブロク時代の面影が今も色濃く残る。特に無人と化した石越駅舎はニブロク時代そのままである。今ではかけらもないが、石越のこの狭いところで国鉄貨車に鉱石や硫酸を積み替えていたのである。

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