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写真館:大連市電 その2
撮影 2004年5月7日 場所 大連(中国) 撮影者 小西啓文
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2003年9月頃から203号線がリニューアル工事に入るとの噂を聞き、その前に是非に見に行きたかったのですが、3月からのSARS騒動で動けません。1年が過ぎ、まあ大丈夫だろうと5月の連休を利用して、天津港からの夜行船に乗船して、一路大連に向かいました。
到着後、直ぐにタクシーをチャーターして203号線沿いを延伸なったと聞いた東海公園まで走りましたが、終点までレール跡はあるものの架線がありません。がっくりです。民主広場の車庫に行ってみましたが、車両は1両もなく工事中です。工事をしている労働者に”置いてあった市電はどうなったの”と聞いても何も知らないとの返事です。仕方がありません。捜索のために今回はムービーデジカメでVTR撮影をしながら201号線を乗り継いで、202号線解放広場の本社車庫に行って見ましたが、ここも半分が工事中で、撮影を始めだすと”何をしている。入場も撮影も禁止だ!!!”とえらい剣幕で怒られ、追い出されそうになりました。しかし、ここまで来て引き下がるわけには行きません。私の仕事は広告代理店です。名刺を差し出して、広告電車の営業も兼ねて、遠く日本から調査に来たと、誠意を尽くて説明しきましてところ、責任者は労働節休みだが、まあ良いだろうと了解を得ました。
203号線で走っていた旧車両はここにもいません。誰に聞いても知らないの連発です。203号線には他に車庫があるわけでないので諦めて、202号線の連接車に乗車して、延伸線の先を目指しました。以前に来た時は海軍大学までの工事が完了していましたが、もうそれよりずっと先の北河口まで完成し、営業運転が始まっていました。興工街から黒磯礁までは単車が往復し、興工街から北河口まで全線は、低床式3連接車のみが運行されていました。丁度交互に運行されていました。運賃は単車は1元(13円)、連接車は2元(26円)です。連接車は、途中で降りても2元で、区間料金ではなく、内装、乗り心地と空調料金とのサービス差額と理解せざるを得ません。倍がけとは、さすが中国です。終点の北河口で降りてみますと、先に大きな屋根に覆われた車庫らしい建物が見えます。近くまで行くと、捜していた日車製の旧車両が数十台も保管されていました。
ここでも無理やり入ろうとしましたが、正門が行く手を阻み、門衛が責任者が休みなので、許可できないと、誠意も聞こうとせずで残念ながら追い出されました。本社にも電話をしてもらいましたが、やはりダメで、203号線の再開は2004年の8月頃だろう。旧車両が再運行するか決定はしていない。審議中とだけを聞く事で、次回の楽しみにしました。
 


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