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【1132】おじん2人+1人 ヨーロッパ軽便 その21-9
 湯口 徹  - 08/1/18(金) 14:50 -
  
MTGN=Montreux-Territet-Glion-Rochers de nays モントルー・テリテ・グリオン・ロシェドネ線 その1

レ・マン湖最東端に近いモントルーのMOB(Montreux-Oberland Bernois)鉄道駅の山(北)側、超高級住宅やホテルがしがみついている崖の地下というか、人工地盤のその下というべきかから発するのがMTGN。

スイスのナローは大方がメーターゲージだが、ここは800mmで、全線2枚歯アブト式ラック、直流850V。スイスの800mm軌間線は他にWAB(ヴェンゲルン・アルプ鉄道)、はるか以前に紹介したSPB(シーニーゲ・プラッテ鉄道)、有名なBRB(ブリエンツ・ロートホルン鉄道)、PB(ピラトゥス鉄道)、MG(モンテゼネロッセ鉄道)などがある。

地域柄MOBの傍系会社なのだろうが、沿線・終点は著しく結構な保養地で、特に終点の展望は素晴らしい由。我々はグリオンで引き返したが、乗客はリュックサックやマウンテンバイク携帯者が多い。モントルーを出るとすぐトンネルで、ぐいぐいと上っていく。

列車の後尾にチャチな2軸無蓋車を連結しているのは、軌間が狭い以上に車体幅が狭く、車内に大きな荷物を持込めないからである。積込み、下しはセルフサービス。窓下にリブが走るやや新しい電車は、電圧、勾配が同じMGと同じ車輌らしい。

なお先回[1121]ブロネイ・シャンビー保存鉄道で「コイロハニ?」の説明に「デッキの背後に我々の仲間1人が写り込み、申し訳ないがお消え頂いた」が、小生の技術未熟云々と記した。ところがその3コマ目の写真を見る限り、修正技術は完璧ではないか、能ある鷹は爪を隠すのか、謙遜も程ほどに、などのメールが。

実は何を隠そう小生の耄碌の表れで、挿入写真を誤ったお粗末であった。本来挿入すべき、かつ本文に適合した写真を今回入れ直しておく。車掌(勿論ボランティア)が立っている後部デッキの左柱が不自然なのは、小生の修正技術のお粗末さを露呈している。

間違って入れた車輌基地での写真は無修正で、こんなバックに写りこんだ人物を消す切支丹伴天連魔術秘法など、71.3歳の老人が習得している筈がない。

添付画像
【モントルー3.jpg : 198.7KB】

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【モントルー.jpg : 189.4KB】

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【やや古い201号.jpg : 196.2KB】

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【モントルー2.jpg : 194.3KB】

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【BC蒸機列車.jpg : 199.4KB】
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【1130】若者2人「暁に祈る」その2
 湯口 徹  - 08/1/17(木) 10:52 -
  
1962年時点の小海線各駅前はいずれも素朴そのものだった。清里駅前には2〜3軒の、勿論100%地元民のため・かつささやかなパパ・ママストアがあり、1軒の店でいろんな種類の日常品や食品を売っていた。肉というと地域柄馬肉で、牛肉なら特定する必要があった。

清里の清泉寮はその時点既にかなり有名だったが、他に旅館の類があったかどうかは記憶がない。野辺山には確か2軒程あったか。シーズンを外れた1月に旅行者もなく、語彙の不足が指摘されようが、ともかく「素朴」「朴訥」以外の言葉が浮かばなかった。

貨物列車は小淵沢行きが夕方に1本だけ。清里からの3パーミル勾配直線区間で待ち受ける。正面は小生の嫌いなベタ光で、エクタクローム・ハイスピードの発色もいいとはいえない。135mmをカラーからトライXに付け替えて逆光バックを。

流石にもう一晩海抜1,370mで野宿する気は起きなかった。記憶は乏しいが、確か清里駅待合室でステーションホテル(略してステホ)したかと思う。ここでも海抜1,274mである。

先回書いた通り、我々2人はその後秋の野菜臨列車を含めた小海線に10年間入れ込むことになる。ただキャンプ等のいわばアウトドアライフが楽しく、列車写真撮影が疎かになったのは確かである。

その後川俣川の谷底に川俣鉱泉龍泉荘なる、名前は立派だが親父1人が何から何までこなすボロ宿を見つけ、何度か、それも吉田耕司氏や沖中忠順氏も引き込んで泊まったものである。甲斐大泉から33パーミルの上りが続き、谷のどんずまりで180度向きを変える、その馬蹄形カーブのはるか下の谷底にある。

またもっと後になるが、野辺山駅前の野辺山荘の親父とも仲良くなり、吉田氏はひと夏そこに居候兼雑役を勤めたこともある。当時野辺山駅長だった由利氏とはそれ以前に仲良くなり、彼氏が退職後信濃川上の自宅に訪ね、酒を振舞われた想い出もある。

小海線を思い出すとキリがないので今回は、1964、1972年撮影のC56貨物写真をご覧に供しお終いとする。その後何故か清里が超ミニ・エセ表参道化し、我々おじさん=郷愁に浸るおじん族とは無縁の土地と成り果てた。地元にしたら村おこしで一生懸命なのは解るのだが。それでもハイブリット気動車キハE200だけは見ておきたい気はする。

添付画像
【裏富士.jpg : 197.4KB】

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【夕方の貨物.jpg : 198.7KB】

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【念場ヶ原目指して.jpg : 180.4KB】

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【補機つき列車.jpg : 162.8KB】

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【1129】CRHの旅 Part5 SL鉄法鉄媒集団 5の1
 中国特派員便り Part28  - 08/1/16(水) 1:31 -
  
1月4日7:30、ホテルから、地元旅行社のチャーター車に乗り込み、一路調兵山に向かいました。7人乗りの中型のワンボックスです。車窓が高くて見渡せますのでこれは最高です。調兵山までは、約90km、高速道路はありませんので、約2時間半の予想所要時間です。

混雑する市内を抜けると、凍てつく道をもろともせずに80〜100km/hで、ぶっ飛ばしてくれます。前方を走る車は全てゴボウ抜き。安心して暖かい車中でうとうとしていると、1:30で調兵山駅に着いてしまいました。

調兵山駅の2階事務所に上がり、撮影許可書(120元=約2,000円)を購入し、時刻表も受け取りました。SLは、現在上遊型4両が、調兵山〜大明と調兵山〜大千で稼働中との事。昨年末にTVで視た放送では21両が在籍でした。激減しています。調兵山〜大青は、走っていないと言われました。

直ぐにホームに向かいますと、大明行きの203と王千行きの103が並んで出発を待っていました。これを外すと、昼からしか走りません。ぎりぎり間に合った次第です。ぶっ飛ばしてくれた運転手に感謝、感謝です。

晴れ上がった青い空に真っ白の蒸気が上がり、ドラフトを響かせ発車しました。
12分後に大明行きが発車。



添付画像
【朝の調兵山駅.jpg : 105.3KB】

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【調兵山駅時刻表.jpg : 244.4KB】

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【朝の調兵山駅構内.jpg : 252.1KB】

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【調兵山駅発車103.jpg : 291.5KB】

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【203発車.jpg : 306.6KB】
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【1128】CRHの旅 Part5 SL鉄法鉄媒集団 5の2
 中国特派員便り Part28  - 08/1/16(水) 1:23 -
  
後は、追っかけです。前の列車は間に合いそうもないので、後からの103を全速力で追い始めましたが、運転手さん、道を間違いUターン。

しかし、引き返す途中の踏切で、103をキャッチできました。
ただ、大明まで並走する道が見つかりません。走るほどに線路からは、離れて行ってしまいます。はるか彼方に白煙が見えますが、200ミリを持ってしても届きません。

とにかく終点の大明駅へ向かう事にしました。大明駅には、列車と同時着。
凍てつく線路内を滑らないように走り、シャッターを押し続けました。
この線は転車台等がありません。客車を切り離すと引き込み線を使って移動し、調兵山方向に連結します。帰りはバック運転での走行です。


添付画像
【出発103.jpg : 229.5KB】

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【大明易到着.jpg : 120.8KB】

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【103編成.jpg : 235.1KB】

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【大明駅入替.jpg : 245.1KB】

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【凍てつく駅.jpg : 123.6KB】
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・名前 : 出発103.jpg
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【1127】CRHの旅 Part5 SL鉄法鉄媒集団 5の3
 中国特派員便り Part28  - 08/1/16(水) 1:15 -
  
大明駅での写真は撮り終えたので、寂しい駅周辺とは逆に活況の街の散策先に参りました。大都市では見かけられない乗り物をご覧下さい。

その後、出発した王千行きの203を見に向かいました。
折り返しの206は、12:54王千駅発車です。悠々の到着でしたが、構内にSLも客車もいません。どうやら今日は、運休のようです。203は、調兵山へ回送されてしまったようです。調兵山駅で確認しておくべきだったと後悔しても後のまつりでした。

仕方がありません。大明からの折り返し106を途中で撮ろうと運転手に告げて線路沿いを並走する未舗装のガタガタ道を夕刻のロケハンも兼ねて、最徐行で三家子へ向かいました。

線路と交差する踏切に着いたので、信号所の担当者に列車の運行状況を確認しましたら、運行していますとの返答を受けました。おまけに“信号所の2階から撮ってもいいよ”とありがたいお言葉もいただきました。一応上がってみて、ファインダーを覗きましたが、いまいちです。

並走する道がありませんので、車から離れて線路を歩く事にしました。
しばらく行くと、ボタ山をバックに白い煙を噴き上げながら向かってくる黒い姿がはるか先に見えてきました。ようやく、走行写真を撮れました。

添付画像
【大明町並み.jpg : 348.6KB】

添付画像
【かなたより現れし.jpg : 131.8KB】

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【ボタ山をバックに.jpg : 119.8KB】

添付画像
【好撮影地.jpg : 269.1KB】

添付画像
【時刻表(2).jpg : 260.2KB】
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・名前 : 大明町並み.jpg
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・名前 : かなたより現れし.jpg
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・名前 : ボタ山をバックに.jpg
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・サイズ : 260.2KB
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【1126】CRHの旅 Part5 SL鉄法鉄媒集団 5の4
 中国特派員便り Part28  - 08/1/16(水) 1:03 -
  
次は2:51の調兵山発までありません。調兵山に戻り運転手と遅い昼食をとって付近地図を捜しに参りましたが、小さな町です。本屋などありません。駅の売店で聞いても“没有{ない}”の一言です。
運転手もそれほど土地勘がありませんので、撮影場所の選定ができません。


それではと、調兵山での2列車の出発を撮った後に並走している道がある王千方面に向かう事にしました。
途中で王千行きの205に追いつき、三家子発車が撮れました。

添付画像
【出発前105&205.jpg : 362.7KB】

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【105出発.jpg : 121.8KB】

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【205の乗込.jpg : 357.7KB】

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【調兵山駅.jpg : 271.3KB】

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【出発大明へ.jpg : 106.5KB】
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・名前 : 出発前105&205.jpg
・サイズ : 362.7KB

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・名前 : 205の乗込.jpg
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・名前 : 調兵山駅.jpg
・サイズ : 271.3KB

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・名前 : 出発大明へ.jpg
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【1125】CRHの旅 Part5 SL鉄法鉄媒集団 5の5
 中国特派員便り Part28  - 08/1/16(水) 0:51 -
  
続いて、並走する道を王千に向かいますが、追いついたはずの時刻になっても姿も煙も見えません。絶好のロケ地を見つけておいたのですが、運転手はまた途中で運休になったのだろうと言います。

ここまで来て諦められません。何度もUターンにUターンを重ねての来るべき列車を探しますが、煙1つ見えません。王千に引き返して駅員に尋ねました。

遠く日本からSLを撮るために来た。なぜ、時間になっても来ないのかと尋ねますと、少々遅れているだけだと、指で彼方を指します。白い煙が見えます。あわてて車に戻り、Uターンさせて、第2候補の撮影地へ全速力で向い、ようやく撮影にこぎつけました。

しかし、調兵山を出た時とは違って、バック運転です。途中駅でスイッチバックする駅があったようです。
王千駅での動画です。クリックしてご覧下さい。


今回は、準備不足でした。来る前にもっと勉強をしておくべきでしたと後悔して、次回の訪問を固く決めました。

王千駅では、大明駅と同様に引き込み線を使って、先頭部に機関車が連結されました。辺りは、夕闇が近づきましたので、撮影を諦め、瀋陽に戻る事にしました。

王千付近には、かなりの絶好の撮影地があります。陽が長くなると、始発から終列車までの撮影が可能です。撮影には、これから春までがベストシーズンです。是非に訪れて下さい。

事務所、駅員、運転手や乗務員の方々は、非常に友好的で、親切です。運転手からは、たばこまでいただきました。
帰りの車中では、旅行社に電話をして、お礼と明日の撫順行きを決断しました。

添付画像
【木陰から.jpg : 135.0KB】

添付画像
【最後の力闘.jpg : 128.4KB】

添付画像
【王千駅.jpg : 218.5KB】

添付画像
【王千駅2.jpg : 182.0KB】

添付画像
【夕闇せまる.jpg : 196.5KB】
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・名前 : 木陰から.jpg
・サイズ : 135.0KB

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・名前 : 最後の力闘.jpg
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・名前 : 王千駅.jpg
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・名前 : 王千駅2.jpg
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・名前 : 夕闇せまる.jpg
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【1124】若者2人「暁に祈る」
 湯口 徹  - 08/1/15(火) 17:42 -
  
「暁に祈る」が何のことか解る人は相当な年齢である。本来は1940年制作の「征戦愛馬譜−暁に祈る」なる戦意高揚映画の題および主題歌だそうだ(小生見た記憶はない)が、我々の年代では、敗戦後のおぞましい記憶と結びついている。

ソ連占領圏で敗戦になった日本軍人(民間人も含め)が、シベリヤその他に抑留され、過酷な労働を強いられた。その数60万人に及び、6万人が栄養不良等で死亡。日本が1919〜25年列強の誘いで革命最中のシベリアに干渉出兵した、その20余年後のスターリンによる報復とされている。

ウランバートルといえば横綱朝青龍の出身地だが、当時ソ連の衛星国であったモンゴルにも同様多数が抑留。その郊外の収容所で日本人捕虜隊長の吉村某(元憲兵軍曹の由)が、自己の保身・成績のため、仲間である日本人捕虜にノルマ以上の労働を強い、果せなかった捕虜に残虐なリンチを加えた。

その一つが「暁に祈る」で、棒杭に上半身裸で縛りつけ極寒に放置。翌朝日の出時には祈るかのごとく首をたれこと切れていた、というのである。吉村某は帰国後裁判に付され、最高裁で懲役3年が確定し服役=世に言う「吉村隊長事件」である。

と、ここまでが前置きで、これからがやっと本題。1962年1月13日、「旦那」こと重澤君と小生は、鉄道写真撮影には過分と思われそうな冬装束・装備で先ずは北陸線夜行列車で糸魚川経由大糸線白馬大池へ。当時2人共前年4月以降サラリーマン初年兵で、仕事にも慣れ、若干だが小遣いにも余裕が出たところであった。

大糸線ではC56が押すラッセル列車に出会い、夜明け前にカラーで撮れたのはASA160という、当時驚異的なエクタクロームハイスピードのお陰である。その後塩尻、小淵沢経由で小海線に。2人が小海線に10年間どっぷり漬かるきっかけになるのだが。

野宿に選んだ場所は南アルプス・裏富士が見渡せる念場ヶ原で、線路脇の若干広がった地にキャンプ。2人共米海兵隊=朝鮮戦争での兵士の死体を入れ日本に運び、消毒して払下げられた、極上のダウン寝袋をかついでいる。

真夜中に事件?はおきた。2人共到底寝ていられなくなったのである。気温が想定外=極度に下がったというだけの、原因は究極に簡単だが本気で凍死?の恐怖を、それも全身でひしと感じた。体中が締め付けられるようで、動きもままならないのである。

今思えば到底ウイスキーなどといえた代物でない、単なる色つきアルコールにすぎないトリスがリュックサックにあり、それをラッパ飲みでぐびぐびやった。指や襟元にこぼれた液体が余計冷たさを増幅したが、驚いたのはこの後。

元来酒なるものに完全に縁のないどころか、それを愛でてやまない手合いを心底?哀れんできた重澤旦那が、「おい、少しくれ」といったからである。これにはびっくりしたねぇ。流石の酒無縁人間の彼も、この低温度下、本気で生命の危機を感じたのであろう。前途有望な若者2人の命が救われたのだから、サントリーのエセウイスキーを悪く言う気はないが、間違いなくアルコールではあった。

不気味なまでに煌煌たる月明かりの中、2人は枯木や草を集め焚き火をした。大きな丸太のような木切に、何の造作もなく新聞紙だけで火がついたのにも驚いた。それだけ空気が乾燥していたのだが、ただ周辺に火が広がる事態には十二分に気を使ったことである。

実はすぐ横に保線小屋がある。これは小海線冬の名物=霜柱が軌道を持ち上げ、レールの不等状態が脱線原因となる。そのため保線区員が列車走行前に霜柱が持ち上げたレールの下に木切れを差込み、列車の重みでレールガタガタにならないようにする。その置き場兼待機・休憩場である。

この中には燃やすのに好適な木切れが山ほどあるが、それを拝借するわけには参らない。周囲に燃やすもの=無主物に事欠かなかったのは今思い出しても幸甚だった。アルコールと火のお陰でゾンビ同然からやや人間に戻ったので、また寝袋にもぐりこんだが、深夜小淵沢からの貨物列車が上ってきた。

いくら月が煌煌とはいえ、写真が撮れる明るさではない。寝袋の中から過ぎ去るC56と確か1両だけのワフを見送った。投炭の度に明滅する罐の火が何とも表現のしがたい輝きで、46年経つ今でも、あの時の寒さ(なんてものじゃなかったが)と共に脳と目に焼きついている。

明け方は更に温度が下がる。また体中締め付けられる思いで寝袋から這い出したが、周囲の水気のある物はすべて凍っていた。谷川から汲んだ水はコッフェルのまま、昨夜炊いた飯もカチカチに、命の綱のガソリンストーブ用燃料のポリ製タンクは見事にペコッと凹んでいた。温度低下で中の空気が縮小したのである。

そしてその後も忘れがたい夜明けを、南アルプス連峰から差す太陽がもたらした。その背後には裏富士が。空には一片の雲もない。

後刻清里駅待合室の最低温度計を見たが、零下25度までしか目盛りがなく、青いアルコールはその25度のところで縮こまっていたから、我々が寝た青天井の下では、恐らく零下30度位だったのではないか。

これが我々2人の「暁に祈る」である。

添付画像
【早朝の念場ヶ原.jpg : 199.8KB】

添付画像
【暁に祈る.jpg : 196.3KB】

添付画像
【凍てついた朝.jpg : 196.7KB】

添付画像
【凍てついた朝2.jpg : 191.2KB】

添付画像
【野辺山でのC56150.jpg : 199.6KB】
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・名前 : 早朝の念場ヶ原.jpg
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【1123】早春の美濃町駅
 総本家青信号・大阪通信員  - 08/1/13(日) 0:07 -
  
 早いもので年が明けてやがて半月、丁稚や奉公人また殊勝な奥さん
やお嫁さんもいなくなったので「薮入り」なんて習慣もすっかり無く
なりましたね。松下電器産業の名も消えるはづです。
 
 乙訓の老人さんと藤本さんの掲示板記事に登場します名古屋鉄道の
美濃町駅とモ600型が写った写真がありましたのでご覧ください。
1965年の早春3月1日に、さくらカラーで撮影したものです。

 昨秋、商用のついでに名前が美濃市駅と変わった旧駅舎を訪ねま
した。名鉄美濃線を中心とした鉄道博物館になっていました。保存
車両の内部にも展示があり、ゆっくり見ていると1時間ぐらいかかり
ます。珍駅名「尻毛」駅の駅名票が名鉄のオークションにでていた
ことがあったので、きっとここにあると楽しみにしてましたが競り
落とせなかったそうです。名鉄600V区間巡礼のため当OB会有志で
尻毛会を結成したのも、廃線とともに尻切れ蜻蛉となりました。元
会員の皆様、痔などでお困りじゃないでしょうね。

 老人さん藤本さん、古い古い写真とお話し、とっても楽しみです。

添付画像
【19650301美濃町駅.jpg : 127.1KB】
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・名前 : 19650301美濃町駅.jpg
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【1122】【1117】延長線
 乙訓の老人  - 08/1/12(土) 15:30 -
  
 掲示板の愛読者であるN市のHS(日立ではない)氏からメールが届いたので、原文のまま紹介する。

 まずモ600形の台車ですが、4個モーターの601、2がボールドウィン、2個モーターの603〜606がD‐12でした。このD‐12がモ600形の台車の筈ですが、そのモ180形の台車は以下のように取り替えられてた記録があります。
S44.11.18 片運化、台車取り替え申請 同12.13 竣工
 181 D−12→ブリル27MCB−1
 182 D−12→ST−9
 183 D−12→ブリル27MCB−1
1両分足りませんが、186を制御車化した2161がS45.7に廃車になっていますので、これかと思いますが、制御車化したときに台車を変えている可能性もありますし、微妙にモ600形ができた時期ともあいませんので、断言はできません。

 追って連絡があり、3連休の間に調査しておくから、おたのしみに!と。
元美濃駅跡、606号についても何か便りあるかもしれない。HS氏はN大OBではなく、T大(赤門ではない)卒のポン友である。
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【1121】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その21-8
 湯口 徹  - 08/1/12(土) 11:19 -
  
Blonay Chamby=BC/シャンビー保存鉄道その3

並居る車両を片端から撮影中にも105号が蒸気を盛んに上げ、汽笛を鳴らし続けているからすこぶる落ち着かない。この機関車は1918年製36トンBBマレー、1968年にドイツから購入した由。長い2軸車と短いボギー車の2両を牽き、一旦本線に入ってシャンビーへ。そこで折り返し、逆位でブロネイへ。

短いボギー客車は、何と1、2、3等および手荷物室合造という、日本式にいえばコイロハニで、文字通りオールインワン。すなわち手荷物室と反対側オープンデッキから窓2個分が1等室、車側のデッキをはさんで2、3等室がある。1等側デッキの室内への開き戸は中央ではなく偏っている。

実はこの写真、デッキの背後に我々の1人が写りこんでいた。そこで切支丹伴天連魔術を駆使し、その1人に誠に申し訳ないが「消えて頂いた」次第である。車掌の左のつかみ棒が途中でやや不自然に見えるのは、小生の「消し技」が極意の域にはるか遠い証左である。この線路は基地から本線に出るアプローチだが、かなりの勾配がある。

列車はすぐ先のシャンビーで折り返し、機回りで向きを変えブロネイへ。この時は天気が悪く、未だデジタルカメラの充分な取扱に慣れぬおじんには、結構帰国後の修正が難儀であった。アナログカメラ並みに使いこなせる日が来るとは到底思えない。第一取扱説明書説を幾ら読んでもさっぱり解らない。

火は入っていないがもう1両、3号機が屋外に居る。シリンダが傾斜した1C、スイス式表示なら3/4、SLM1913年製の42トンで、旧FO(マッターホルン・ゴットハルト鉄道フルカ・オーバーアルプ線)、1970年に当地入りした由。

蒸機は可動車が3〜6、105の5両で目下23をレストア中。静態展示は屋根付トラムを含め5両+CC自走ロータリー車である。

なおこの鉄道のホームページアドレス(英語も選択できる)を入れておく。全部ではないが車両の紹介もある。
http://www.blonaychamby.ch/indexang.html

添付画像
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【1120】CRHの旅 Part4 瀋陽北駅
 中国特派員便り Part27  - 08/1/10(木) 1:39 -
  
DATAでは、CRH5は、振り子式車両です。台車はご覧のように油圧ダンバで傾斜できるようになっていますが、はたしてこの路線で使用をしているのかと不思議に思いました。

万里の長城が海から始まる山海天から瀋陽北までは、高速専用軌道です。振り子は不必要でしょう。車窓からも200km/hオーバーで走行している実感がありました。大出力を生かしたカーブの多い登坂力を必要とする区間。例えば成混鉄道での使用が適しているのではと思いました。

瀋陽北駅からインターネットで予約しておいたホテルに向かうタクシー内で、撫順へは何分かかるかと尋ねますと、約40分との返事です。まだ日暮れには時間があります。待つように頼みました。

チャックインを済まして部屋に荷物を置き、車内に入ると、私は昼間の運転手で、17:30には夜の運転手に車を渡さなければならない。今から撫順へ行って帰ると18時過ぎは確実になるので、堪忍してくれと言われてしまいました。

別のタクシーも同じようなものと聞きました。無理に今から行っても、1時間程度しか写真を撮れる時間もありません。今日は諦めて、久しぶりの瀋陽の街の探索に切り替えました。

明日は1日フリーです。ちょっと遠いが、中国SLの聖地“調兵山”に行ってみようと思い、タクシーチャータは無理なので、旅行社に電話をしました。
“明日ですか、本当ですか? 以前に案内した事がある運転手を探してみます。”との返事をいただき、数10分後にOKが出ました。

CRH5乗車の目的は果たしたので、後は気ままな旅に徹する事にしました

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【ガラガラだった後部車両.jpg : 169.0KB】

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【CRH5の乗降ドア.JPG : 104.4KB】

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【1119】CRHの旅 Part3 北京→瀋陽北 2の2
 中国特派員便り Part26  - 08/1/10(木) 0:14 -
  
一息ついてきたので、車内視察に出かけました。アルストム社のイタリア製とあってインテリアに期待しましたが、ドア色の黄色ぐらいが目立つ程度で、九州新幹線の方がオシャレに私は思いました。
変わっている所は、ドアの開閉ボタンが車体の内外に取り付けてある事です。乗った事がありませんが、欧州のTGVではこの仕様なのでしょうね。

問題は、トイレです。中国式のしゃがみ型になっています。つかまり棒がなく、もし大きく揺れた場合は、尻もちとなります。トイレ内も狭く、CRH2のように別に手洗いスペースがありませんので、お化粧をする女性には不便でしょう。一応、乾燥機付きでしたが、シンクが小さいのも気に入らない点でした。

どうしても洋式にこだわる方は、座席に車いすスペースも十二分に確保された7号車に広いトイレもあります。この車いすスペースは、CRH2に比べて勝っています。

後部車両は、ガラガラです。
先頭車両から順に座席を売っているためにこのような状態になります。
日本のように窓側を売ってから、通路側を売るシステムにすれば、乗客の方々も空いている列車では、すし詰めではなく快適に列車の旅を楽しめると思います。
まだまだ乗客側へのサービスそのものの理解が分っていないのが残念です。

ざっと見学ができましたので、席に戻り、丁度きた車内販売の弁当を買いました。25元(約400円)です。おかずの追加に2元(約32円)の燻製らしきものも追加購入しました。温めてあったので、味はまあまあでしたが、市内相場だと、10元程度です。いずこの国も車内弁当は高いものです。

途中で停車したためか、30分遅れの14:53に瀋陽北駅到着。隣のホームには、北京に向かうD6が発車待ちをしていました。

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【車内設備.jpg : 150.2KB】

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【1118】CRHの旅 Part2 北京→瀋陽北 2の1
 中国特派員便り Part25  - 08/1/9(水) 23:48 -
  
北京駅の和諧号専用待合室は、大勢の乗客がいるのにわずか2カ所の改札口です。横から入ってくる礼儀知らずは、いつものごとし。押されながらホームへ降りました。

CRH5を実際に見るのは、初めてです。今日のD5の編成は、CRH5‐16A。ZY501601+ZE501602+ZE501603+ZE501604+ZE501605+ZEC501606+ZE501607+ZY501600の8両編成でした。何と両端が1等車の編成です。

外観の車体色はCRH2と一緒ですが、先頭車から見ると、なすびのような細長い前面です。明らかにCRH2よりも車体高さがあります。編成重量も重い。
ずっしり感があり、トン当たりの出力では、CRH2=13.91kw、CRH5=12.24kwと、はるかにCRH2が勝っています。

車内に入っても車体幅が狭い。また1等車なのにシートピッチも短く、全体に圧迫感さえ感じられます。数10分前まで快適な乗車を味あえていたので、違いは身体でも分かります。車幅は、当初3200mmと聞いていましたが、ALSTOMのHPでは2830mmとなっています。
http://www.transport.alstom.com/_eLibrary/brochure/upload_55552.pdf

シート幅も狭いので、通路に足を投げ出す人も多く、車内販売のワゴンが通る度にぶつかっていました。どうして、1対2の配列にしなかったのか? 
2等車は、2対3の配列ですから、圧迫感はこれ以上でしょう。

走行を始めて、数10分で止まってしまいました。車内放送等ありません。
CRH5は、走行当初から空調やドアの故障のほかにも、電気系統やブレーキ関係の故障が多発し、走行不能になった事がありました。今回もそうかなと思い心配しましたが、10分少々で、何事もなかったかのように走りだしました。

車窓には、田園風景と背景に荒れた岩盤むき出しの小高い山が続き、一路最初の停車駅山海天へと向かいだしました。と、思ったらまた停車です。今度は、臨時停車です。との車内放送がありました。車内には、電光掲示板があるので、これを使ったら良いと思いますが、終着駅まで何の表示もありませんでした。
CRH2では、上海〜北京と天津〜北京でも現在のスピードや次の停車駅の案内を表示しています。

添付画像
【北京駅も改装.jpg : 240.1KB】

添付画像
【CRH5_D5瀋陽行.JPG : 143.7KB】

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【1117】元琴急モハ1型→名鉄モハ180型 II
 藤本哲男  - 08/1/9(水) 23:41 -
  
【1063】で元琴急1型→名鉄モ180型について書込みをしたところ、N大鉄研OBの方から「モ181、182の他にも台車を振替えた車がないだろうか」との質問があった。質問された方は、モ180は、昭和45年に美濃町線の複電圧車モ600の製作過程で、下回りを譲って廃車されたものと思われていた。当初は「元々名鉄のことは全然知らんし、ましてそんな難問判る訳ないやろ」と思って暫く放っておいたのであるが、やはり気になるので、古いネガを探したところ、モ183、184、185の写真が出てきた。あと1両、モ186→ク2161も撮影した記憶はあるのだがネガが見当たらない。

結果は次の通りである。
モ183 ブリル27−MCB−1に振替 48年1月21日確認
モ184 D−12           48年1月21日確認
モ185 D−12           45年10月4日確認

以上モ181、モ182を含めて、3両の台車振替が確認できたのであるが、モ600型の内D−12を履いていたのは、モ603〜606の4両であと1両分足りない。これについては、モ186→ク2161を廃車にして捻出したのではないかと思うが、真相をご存知の方はお教えいただきたい。

モ600型はモ180型の台車を流用したものの、モ180型は別の車両の台車を貰い、引続き使用された。詳しい流れは未調査であるが、モ600型の代替で廃車になったのは、モ500型と三重交通神都線からきたモ540型ではないだろうか。モ180型が廃車ならずに別の台車を貰って生き残ったのは、車体が頑丈でサイズも揖斐・谷汲線ではピッタリであったのと、600V区間のローカル線といえども車両に余裕がなかったのであろう。モ180型の新しい台車の出所は、恐らく廃車になった600V区間の木製車であると思われるが、こちらについても真相をご存知の方は是非お教えいただきたい。

モ600型はモ606が最後まで残ったが、先に廃車されたモ601がモ512、モ593と共に旧美濃駅に保存されているので名古屋方面に行った時に見学に行きたいと思っている。D−12を履いていたモ606も、未だ解体されていないのであれば、是非保存していただきたいものである。

写真1  モ182 48年1月21日  美濃北方
写真2  モ183 48年1月21日  黒野
写真3  モ184 48年1月21日  黒野
写真4  モ185 45年10月4日  黒野
写真5  モ852 48年1月21日  新岐阜

添付画像
【写真1.jpg : 29.0KB】

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