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【1116】CRHの旅 Part1 天津→北京
 中国特派員便り Part24  - 08/1/9(水) 8:19 -
  
1月2日、米原付近の積雪徐行を考慮して早めにセントレアに向かいました。

今までは、20日前からDとZ列車の切符は、20日前から購入できていましたが、昨年9月16日よりD電車は、10日前から、Z列車は12日前から購入できるとサービスダウンになったとの連絡です。

戻る度に変貌を遂げている天津を視察しながら1泊、切符を受け取りました。すべて希望していた1等車です。

翌3日早朝に天津臨時駅に向いましたが、ホテルでNHKBS放送TVの時計を視ていたのでうっかりと1時間時差を修正するのを忘れ、1時間半前には着いてしまいました。遅れるよりかは良かったのですが、零下8度の寒さはこたえます。暖を取るのも兼ねて、駅前の天津名物の饅頭屋で朝食。一人前でも24個も出てきます。食べ残しは、テイクアウトしました。

天津発7:47--D53(CRH2)→8:56北京着 北京発9:20--D5(CRH5)→13:23瀋陽北着がこの日の行程です。
CRH2の座席は、6号車001号です。進行方向最後部の1人掛けで、隣の席はなし。荷物も置けゆったりと快適でした。まだ、中国鉄道では、車両、窓側・通路側や座席番号指定をしての購入ができません。
指定できるようになったら、ここは特等席です。

はて、何で6号車なの? CRH2-058A +034A の16両編成です。1等車は7号車のはずなのにと気がつき、7号車を見に行きますとやはり1等車です。列車は8両×2=16両。別の編成は1等車1両でした。重連編成時に人気の1等車を追加変更したようです。

改造中の天津駅を通過するまで、徐行です。アーチ型の屋根が出来上がり、最近の中国鉄道駅の標準化タイプになっています。隣を走る天津〜北京間の高架線は、電柱が立ち並び、架線の設置が進んでいます。ここまで来れば、試運転は間近でしょう。私の予想どおり、2月春節に有料試運転されるかも…。
遅くとも5月連休には、間違いなく走ると信じています。

うとうとしていますと、北京に近づいていました。手前で改造中の駅が見えてきます。これが北京南駅でしょう。但し北京駅までは、相当あります。完成後は、地下鉄に乗り換えての市内入りとなりますので、所要時間が、半分以下になったとはいえ、実際の市内までの到達時間は、期待するほどでないかも…。

北京駅では、一旦降車口から出て、乗車口から再度の入場です。このあたりが、まだまだ面倒なところです。ホームからホームへの乗り換えができるのはいつの日なのでしょうか。

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【切符.jpg : 155.4KB】

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【架線設置中と天津駅.jpg : 195.7KB】

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【1115】CRH2-300 京津城際鉄路 訂正
 中国特派員便り Part23  - 08/1/8(火) 21:52 -
  
Part23でCRH2からCRH3-300の変更点で記載しました内容で、間違いがありましたので、ここに訂正します。

(誤)半室食堂車は廃止されました。→(正)立派になりました。

CCTV.comのニュースは、下記をクリックして下さい。
http://www.cctv.com/video/xinwenlianbo/2007/12/xinwenlianbo_300_20071222_7.shtml

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【CRH2-300食堂車.jpg : 290.7KB】
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【1114】米子の思い出 III
 藤本哲男  - 08/1/8(火) 10:27 -
  
 法勝寺線撮影後、米子機関区に行くと、キハ07211が良い場所に停まっていたので、さっそく事務所に許可をもらいに行った。その時の助役氏とのやり取りは今思い出しても吹き出したくなるような内容であった。

私「そこのゼロナナの写真を撮らせていただきたいのですが」
助役氏(斜め向かいに座ってい職員に小声で)「ゼロナナて何や」
職員氏「ゼロゼロセブンやったら知ってるけどな」
助役氏(私に)「ゼロナナて何や」
私「あそこに停まってる気動車ですけど」
助役氏「ああ、あれか。ほな気いつけて撮ってや」

 一緒に停まっていた、C1111、C5712も撮影した。写真の片隅にマニ72改造のスエ71がチラッと写っているのであるが、残念ながら撮影していない。もしかすると停車位置が悪かったのかも知れない。
 現役時代BOXにあったハレハレアルバムに、御来屋の後藤氏が境港線で撮影されたキハ07+キハ28+キハ20の写真があったと記憶するが、今もあるだろうか。是非もう一度見たいものである。(可能ならばこの場で発表をお願いしたい)
 その後、客車列車で松江に行き、駅前から市バスで一畑電鉄北松江駅に行った。満員で発車していく電車、到着毎に改札口から出る大勢の乗客、4両編成の急行、5両編成の普通等の写真を見ると隔世の感がある。この日は松江から夜行の「ちどり」で広島に行き、朝の呉線を撮影後、呉市電を撮影、笠岡で井笠鉄道を撮影して準急「びんご」で帰京した。

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【キハ07211 米子.jpg : 37.2KB】

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【C1111 米子.jpg : 45.1KB】

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【一畑デハニ31 北松江.jpg : 131.8KB】
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【1113】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その21-7
 湯口 徹  - 08/1/6(日) 11:21 -
  
Blonay & Chamby=BC/シャンビー保存鉄道その2

先回書いた通り狭い敷地・建物にぎっしり車両が詰まっている。茶色のロータリー車はRhB(Rhatische Bahn) の木製車体で、何とC+Cマレー自走ロータリー。デイゼル車なら自走も珍しくはないが、当然蒸気で、短い2軸テンダーを従えている。

走行シリンダが中央に寄っているマレーは、浅学にしてザクセン名物のマイヤーマレーしか知らなかった。SLM1912年製64トンというから、我国の軽便とは桁が違う。点検用の扉が開けられ、羽根車駆動用シリンダ・バルブギヤが見られる。

本格的な除雪中なら、走行と羽根車駆動と両方に送れるだけの蒸気が供給できるとも思えず、やはり後押しの機関車が必要なのではないか。なお走行用シリンダは前後直径が同じに見えるから、複式ではなく単式マレーなのであろう。

一見電機に見間違う151というボギーの電車は旧ジュネヴァ、1911年製19トン。屋根上の2個ヘッドライトが物々しい。これも台車は板台枠というか、軽量鋳物か。

52号2軸路面電車は1914年製、台車は板台枠めいた代物で、その下部が板でカバーされているのはマグネットブレーキがあるからだろう。52HP×2、12トン。運転台屋根にトルペード式通風器があるのは日本では見られない姿である。

10号電車は33トンもあり、走行写真では足元が見えないが2個モーター、ロッド4軸駆動で、かような電車(電気機関車も)はスイス式に4/4(4軸共駆動)と表示する筈だが、現車表示は2/4で、モーター2個を示すのか。同鉄道ホームページには4/4とある。側戸式だから側面に扉が4か所、ステップもある。SLM/BBC1915年製。

庫内静態展示車両は紹介しきれず1枚にとどめる。蒸気機関車の前は背の高いスチームトラム=路面用ではなく一般鉄道用で、B型だが前後にオモチャのような先・従輪がついた1B1である。

添付画像
【旧RhBの自走ロータリー.jpg : 196.6KB】

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【151号電車.jpg : 195.3KB】

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【52号電車.jpg : 196.2KB】

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【ロッド連動の電車.jpg : 197.0KB】

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【庫内は車両がぎっしり.jpg : 199.7KB】
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【1112】新年好!!!!!
 中国特派員便り Part22  - 08/1/1(火) 19:19 -
  
中国では、お正月を迎えると“新年好、新年好”(シンネンハォ、シンネンハォ)と言って挨拶をします。日本語で、新年明けましておめでとうございますと言う意味です。
しかし、日本を除くアジアの多くの国では、旧暦での春節が、お正月です。今年は2月7日となります。

10年前までは、1月1日のみ休日扱いでしたが、数年前から3日間の連休になりました。
政府からの発表指導で、今年は、12月30日〜1月1日が休みとなりました。

春節での年越しそばは、餃子です。家族で手作り餃子を作って食します。カウントダウンが始まると、街中のいたるところから花火が上がり、爆竹が鳴り響きます。隣にいる人の声すら聞こえない程に凄まじい音です。中には、道路の中央で花火をあげる人もいますが、走っている車は止まって、花火が終わるのを待ちます。決して怒ってはいけないそうです。

春節休みは、大型連休として政府から発表されますが、2~3週間前です。その都度、数億人の民族大移動が行われます。内陸部奥地から沿岸部の開発地区へ出稼ぎに来ていた人々が郷里へ帰省します。列車で2日間、バスに乗り換えて数時間といった人も珍しくありません。
そんな遠隔地への帰省の人のために、2週間も休みにする会社もあります。

都市部の人たちも一家揃って観光に出かけます。
鉄道駅やバスターミナルは、こういった人々で混雑を通り越した大混乱となります。
乗車する列車が到着すると、車掌の静止誘導等聞かずに我先にとドアに群がります。降りる人など完全無視です。窓を開けてもらって、お土産を入れた大きな袋をまず車内にぶち込み、次いで人が乗り込む光景は、殺気だっています。

今年もこんな光景が展開されるのでしょう。しかし、最近は、窓が開かない車両が増えてきました。少しはマシにはなるでしょうが、まず停車時間を長く取って、降りる人を降ろしてから、乗車待合室の改札口を開く方法に変えないと、どうしようもないでしょう。
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【1111】CRH2-300 京津城際鉄路
 中国特派員便り Part23  - 08/1/1(火) 19:16 -
  
さて、昨年末の福田首相の訪中で日中関係が改善の方向に向かい出したようですが、お土産として北京〜天津間の高速鉄道には日本から新幹線を大量輸入するという誤報が日本で報道されました。

中側の対応は早く、ドイツのシーメンスから技術指導を受けたCRH3を走らす予定でしたが、12月22日に報道を行った川崎重工業技術援助のCRH2-300も使用すると言ったまでと、報道の修正指導がありました。

ここで、現在の北京〜天津間高速専用鉄道を収集しました情報を整理します。

・ 正式名称は、『京津城際鉄路』です。開業後は、ただちに天津浜海新区まで延長される第2期工事が決定されています。

・ 始発終点駅は、北京南駅と天津駅。現在両駅では、大幅な改良工事が行われています。天津駅の改良進行状況を先日撮っておりますので、ご覧下さい。

・ 営業キロは、115.2kmです。現在の北京〜天津137kmより21.8km短縮されます。
 開業日は、未公表ですが、遅くとも8月1日、早ければ7月中の可能性もあります。

・ 途中駅としては、亦荘、永楽、武清の3駅が計画されていますが、いずれも開発区になるため未着工で、開通当初はノンストップで走行される予定です。

・ 設計速度は、350km/hですが、当初の運転速度は300km/h。
 所要時間は、約30分、平均速度は、230.4km/h。現在は、69分ですので、半分以下です。

・ 列車本数は、未定ですが、3分間隔が可能に設計されています。北京オリンピック開催時は、相当な本数が運行される予定です。現在CRH2は、16両編成で1日12往復が運行されています。

・ 1列車の輸送人員は、約900名。8両固定編成2本連結の16両運行予定です。
 走行を予定されている車両は、独シーメンスの技術を用いて唐山機車車輌が製造するCRH3−300と日本の新幹線技術などを用いて南車四方機車車輌が製造するCRH2−300の両方です。CRH2-300は、開業までに10編成の80両が製造される予定です。

・ 軌道は、全線ドイツ方式のスラブ軌道で、70%が高架です。全線の敷設は12月15日に完了し、現在は架線の工事に入っています。報道では、3月に納車し、試運転を開始する。正式な運航は、8月1日予定だそうですが、架線の準備が出来れば、2月春節輸送時に試運転と称して、有料列車が走行する事も予測されます。
実際、昨年も4月1日の正式運転前の春節輸送の多客期のみにCRH2は、160km/hに減速されて運行された経緯があります。速度は、直ぐに300km/hと、いうわけにはいかないでしょうが、試運転を有効利用される可能性もありと中国特派員は期待しております。

CRH2-300の性能内容等ですが、

・ CRH2の4M4Tから6M2Tに変更されています。
 1モーターあたりの出力は、CRH2と同様と聞いております。
 単純にM車比を増やして、走行性能を高めたと思われます。
 現在のCRH2の中間T車は、M車に変更可能に設計製造されています。

・ 7号車(1等車)には、天井真中に液晶TVが設置されました。
 ニュース、映画、列車情報や広告が放映される予定です。
 半室食堂車は廃止され、スナックスタンドが設置されました。

・ 製造の国産化率は、70%強です。まだ、日本からの輸入部品があります。
 写真をご覧のように前面のデザインが少し変更されています。
 前照灯の形状が変わっています。また青帯色のラインが前頭部まで伸び、ひと目でCRH2との違いが分かるようになっています。

・ CRH2からの変更点で大きい事は、車両間をN700同様に全周ホロで車内の気密性・空気抵抗性を高めたとの記事です。現在、連結器側の車内ドアを開けた状態で走行しておりますので、これは、車内の騒音防止には非常に有効的と思われます。但し、情報不足で未確認です。その他、車両間の緩衝装置も新しいのを取り付けたようで、振動防止には効果的です。

長々となりましたが、以上が、公表されている記事内容です。
まだ、車両の組み立てが完了したばかりで、実際走行した様子や詳細な内容は不明です。ただ、今回の中国国内の記事を見ますと、CRH2が登場した時のような自国で開発製造したという記事内容ではなくカナダ、フランス、ドイツ、そして日本の新幹線を参考にして中国で改良を加えたとの真実に近い内容に変わってきています。
 
オリンピックまで後8ケ月余り、世界に認められるようになるには、自国に都合の良い報道ではなく真実を公表していかないといけないと、政策の方向転換を始めてきたように思えてきました。

CRH5の切符が入手できましたので、明日、セントレアから大地に向かいます。CRH2との違いを実感してみます。ついでに中国SLの聖地、調兵山も行ければと思っております。

添付画像
【CRH2-300報道発表.jpg : 237.2KB】

添付画像
【高架とスラブ軌道.jpg : 95.2KB】

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【大改装中の天津駅.jpg : 217.4KB】

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【改装中の天津駅を迂回.jpg : 186.1KB】

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【堂々の16両編成北京へ.jpg : 239.0KB】
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【1110】新年、出発進行!!!
 米っ子便り No.9  - 08/1/1(火) 10:47 -
  
皆様、明けましておめでとうございます。
米っ子は、実家に帰省してのお正月を迎えております。

湯口、藤本先輩様、米子の思い出写真とご投稿をいただきましてありがとうございます。今では、一畑電鉄で往年の関東・関西の名車両を乗車できますが、かつてはたくさんの各種の電車が走っていたのだと見て楽しんでおります。まだ他にもありましたらよろしくお願いいたします。

昨年、12月24日に津和野を訪れた時に撮影しましたC56160によるメリークリスマス号の走行動画を投稿します。再生ボタンをクリックしていただければ、ご覧いただけます。



無風で煙の吹き具合もよろしく久しぶりに感動しました。
今日も新年初詣号が走ります。どういったヘッドマークになるのかでしょうか。

昨年は、石見銀山が世界遺産に認定されて、全国各地からの観光客が訪れ活況を取り戻した山陰ですが、今年夏から始まるNHKの連続ドラマの舞台が山陰と決まっています。名前は、”だんだん”。こちらの方言で”ありがとう”です。
地元では、益々、観光客が増えることだろうと期待されております。

米っ子は、今年も山陰各地を回り、廃線跡の様子や現況をご報告申し上げますので、皆様方よろしくお願い申し上げます。
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【1109】明けましておめでとうございます
 乙訓の老人  - 08/1/1(火) 9:25 -
  
初日の出は布団の中でテレビで見ていた。いつもなら起きているのに……

編集部が紹介したように本年はDRFC50周年の年である。
1958年元旦、クローバー会の年金族は何をしていたか、思い出してほしい。須磨の大人はきっとステーションホテルを重ねていたに違いない。老人はまず京阪詣でだ。何時に家を出たか手帳に書いてないが、三条京阪で518号の臨急円板を撮っている。その後、競争とあるから518号先頭部から複々線区間かな?意味不明のメモ。それから近鉄大阪線の車号が20駒連続。これは覚えている。高安検車区周辺だ。1450、1460形とあるから、この2種を追い求めに行ったのだ。次いで63、31の車号。これは南大阪線道明寺で電関だ。ワブ9851、9861は貨車。その次は5800代の車号が4両。鋼体化車。最後はラビットと記されている。前年は東海道線と京阪に京都市電だらけ。その反省にたって近鉄詣でとなったようだ。この時のフィルムはない。あれば仁蓮上人が喜ぶだろうが、下鴨の裏庭に建てたブロック造りの納屋に収めて富山へ赴任したら、黴で見られぬ姿となり処分したと甥ッ子に言われた。
こんな年明けだったが、DRFCは既に胎動をはじめており、小川君には鈴木君を紹介され、2回生前期登録が済むや太田さんの松ヶ崎の下宿へ自転車を走らせる日が何度もあった。故郷(北海道)へ帰った太田さん、その後音信がない。この方の温和なリーダーシップによりDRFCは結成されたのである。

老人の今年の目標、VISTAを使いこなしたい。
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【1108】明けましておめでとうございます。
 管理者  - 08/1/1(火) 8:32 -
  
クローバー会の皆様、新年明けましておめでとうございます。
D.R.F.C−OBのホームページも開設以来8年目の新年を迎えました。

無料サーバーからスタートしてから現在に至るまで、試行錯誤を続けて8年目の新年を迎えました。
途中でサーバー容量不足により掲載写真が消失する等の事故が発生しましたので、その都度にサーバーの乗換等の対応をいたしてまいりました。アクセスカウンターも一旦ゼロに戻りましたので、焼失分を加算しますと6万件を超えていると思います。

国内外からの投稿も1,100件を超え、ますます活発化してきております。
ホームページも無数にありますが、団体のホームページで、これほど長くそして投稿が続くのは少ないと聞きます。
見るだけで投稿されていない会員の皆様方にも近況等の奮ってのご投稿をお願いいたします。

これからも皆様方のご意見、ご希望をお聞きしながらの管理運営を続けてまいりますので、よろしくお願い申し上げます。
引用なし
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【1107】謹賀新年 平成廿年
 総本家青信号・編集部  - 08/1/1(火) 0:13 -
  
 今日は元旦、旗日を迎えました。めでたくもありめでたくもなしと、
かの一休禅師(1394〜1481)が詠まれた冥土への一里塚でございます。
掲示板愛読者ご一同さまには無事に越年されましたことを何よりお慶び
奉ります。

 新年のクローバー会は50周年を迎えかずかずの慶祝行事が予定され、
楽しみな一年となります。一泊旅行もありますので今日から貯金や積立
を始めたり臍繰りの所在確認など、一年の計は元旦にありでございます。

 ことし一年、皆様と快食快便で憂ひごと無用にて面白可笑しく暮らし
ましょう。鉄分多く摂取して、寿命はあるまで趣味は死ぬまで、良き
鉄爺になれるよう気張りましょう。総本家青信号、今年もよろしく
お願いいたします。

               総本家青信号 編集部一同
               冗談法人加太会 一同


添付の画像は、四十年余り前の1967.11.23加太会の勤労感謝の日奉仕
集会で国鉄関西本線加太駅を訪れたときのものです。キハ35に敬礼!
さくらカラーの赤は永遠です。
 

添付画像
【19671123加太駅.jpg : 58.5KB】
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【1105】米子の思い出 II
 藤本哲男  - 07/12/29(土) 23:03 -
  
引続き付随車を紹介したい。
 付随車の称号は国鉄では「サハ」であるが、ここは「フ」で、付随車の「フ」から付けたものと思われる。朝夕ラッシュ時の増結用に使用されていたが、終着駅では機回しが必要であった。朝見たM+T+Tの3両編成は休日にも関わらず、座席定員程度の客は乗っていたし、帰りに手間から乗車した米子市行は時間帯が良かったこともあるが座れなかった。
 また「世界の鉄道」にはM+M+T+Tの4両編成の写真が掲載されていた記憶があるので、朝夕のラッシュ時はそれなりに乗客があったようである。廃止の理由は「乗客減による赤字」となっているが、バス会社経営の鉄道であったため、鉄道はやる気がなかったのではないだろうか。
 事実、保線状態はひどく、線路の中まで雑草が生えていた。加えて車両や施設の老朽化が進み、更新には多額の資金が必要なため、バスによる代替の道を選択したものと思われる。それにしても廃止後40年もなるのに、デハ202とフ50が良好な状態で残っていることは誠に喜ばしいことであり、いつまでもこの状態が続くことを切に願う次第である。
 各車両の詳しい解説については、【1048】で湯口さんが詳しく書いておられるのでお読みいただきたい。

添付画像
【フ50 手間.jpg : 39.6KB】

添付画像
【フ51 米子市.jpg : 32.5KB】

添付画像
【フ52 米子市.jpg : 25.0KB】

添付画像
【フ53 米子市.jpg : 38.0KB】

添付画像
【フ55 手間.jpg : 39.9KB】
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : フ50 手間.jpg
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[添付]〜添付ファイル〜
・名前 : フ51 米子市.jpg
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【1104】53年前の出雲今市・荒島
 湯口 徹  - 07/12/29(土) 15:05 -
  
日の丸自動車法勝寺電鉄が出たのでヒマ老人も悪乗りし、53年前の島根側の写真を。

1955年3月山陽九州一回りから帰路山陰を通って京都の自宅へ。そこで一休みして栄養を補給し、北陸、信越、東北、関東、東海と私鉄―当然ながら非電化私鉄と軽便に絞り込んだ撮影行をした。

家を出たのが3月15日、薄暗い出雲今市に降り立ったのが22日。昨夜来何も喰っておらず、慢性・絶望的空腹と疲労、それに半端でない降雨と寒さで元気も失せていたが、何とか今日中には家に帰ってメシが喰えると最後の一踏ん張り。

まず出雲今市の救援車ホエ7033を。当時ほぼ絶滅していた関西大ボギー車=独特の屋根端面と窓上のかまぼこ型飾りが特色であった。経歴は関西113→ホハユニ8223(形式8220)→ホユニ8738(8735)→ナユニ5653(5650)→ホヤ6662(6660)→ホエ7033(7000)となる。

一畑電気鉄道は以前にも書いたが非電化の立久恵線が本命で、これがなければ山陰線は乗り潰しだけで下車する必要もなかったから、いわばオマケである。クハは2両共国鉄の木製客車の改造で、109は鉄道作業局の雑型車ホハニ4060、120は大型車ナハ22033が種車。いずれも後藤工場改造だけに、同類ながら自前改造のお粗末極まる弘南鉄道とは段違いの手際である。

荒島−出雲広瀬間8.3kmの島根鉄道(←山陰中央鉄道←広瀬鉄道)は3か月半前の1954年12月1日一畑電気鉄道に合併され広瀬線になっている。デハの社紋は一畑に書き直してあるが、サハ4のそれはうっすらながら山陰中央のものである。

この線は2軸のデハ1、2とサハ3、4がオリジナルで車体は同じ。一見で蒲田車両製が明白である。蒲田車両は高利貸を兼ねた零細メーカーで、資金が極度に乏しい零細田舎電気鉄道に長期割賦支払条件で高額の車両を販売、あるいは電化資金を融資した。この顧客(餌食?)には他に雄勝鉄道(→横荘鉄道→羽後交通雄勝線)、光明電気鉄道などがある。

このサハ4は広瀬線廃止(1960年6月20日)後北丹鉄道のハ12になったから、ここで見た向きも多かろう。デハ6はこれも一目で(小生でも)尾西鉄道102→名古屋鉄道102→と出自が分かる。詳しくは乙訓老人が黙ってられまいて。

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【1103】山陰の思い出
 総本家・青信号特派員  - 07/12/28(金) 22:40 -
  
法勝寺線について藤本さんの投稿を読んで驚いた。特派員も一度だけ法勝寺線を訪れているのだが、記事を見ると極めて近い日なのである。当時、藤本さんは大学生であったが、特派員はまだ高校3年生、もちろん2人の関係はデキておらず、赤の他人であったが、米子のようなところでニアミスしていたのである。
 米子市駅には、その当時ですら珍しかった木造車が構内にゴロゴロしていた。山陰には不似合いな、やけに明るい塗色の電車であった。法勝寺線訪問は、米子市駅だけで終わり、そのあとは、もっぱら興味の対象であった国鉄に向かい、米子機関区、木次線を訪れている。
 特派員の米子での思い出といえば、そこから遡ること3年前、昭和39年に訪れた山陰本線も印象的だった。その年の7月、山陰地方は集中豪雨に見舞われ、山陰本線は百数十箇所に渡って鉄橋流出や土砂崩れが発生した。いまと違って、防災に対する備えも脆弱なものがあったのだろう、1ヵ月以上も不通が続いたが、8月10日ごろようやく開通した。その直後に山陰地方を訪れたのである。 
 復旧はしたものの、徐行区間が続き、無ダイヤ状態が続いている。朝、玉造温泉から大社に向けて乗ろうと予定していた普通列車も大幅な遅れである。やむを得ず、まもなく来るという大阪発大社行の夜行の臨時準急「伯耆」に急遽乗ることになった。夜行といっても先頭にロザが1両、あとはすべてハザ、それも32系ばかりの編成であった。
 その先頭に立っていたのが、米子区の名機、C5180だったのである。「鉄道ファン」の30号にカラー見開きで大きく紹介された、化粧煙突、スポーク動輪の原型C51である。今まで、梅小路機関区のパイプ煙突のC51を見慣れた目には、まぶしいぐらいの完璧なC51だった。
 列車は、水害の爪痕が至るところに残る区間を、徐行を繰り返しながら、大社までの約1時間余りを進んで行った。列車がカーブに差し掛かると、窓から身を乗り出して、スポーク動輪が激しく回転する様を写真に収めた。
 当時は、まだ中学の3年生、それこそ紅顔の少年であった。ハーフサイズのカメラで写した、中学生の写真は、見るべき内容ではもちろんないが、鉄道写真の揺籃時代の記念すべき写真であり、憧れの原型C51との邂逅は、後にも先にもこの1時間余りだけだった。

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【1102】米子の思い出 I
 藤本哲男  - 07/12/27(木) 10:08 -
  
米っ子さんより【1046】で「日の丸自動車法勝寺線」廃止後の現況報告があり、【1048】で湯口さん、【1078】で乙訓の長老より、現役時代の報告があった。私も廃止を目前に控えた昭和42年4月29日に現地を訪れたので、その時の様子等をお伝えしたい。
 そもそも趣味誌での法勝寺線に関するまとまった発表は非常に少なく、長老が書かれているRP誌No89と、昭和40年頃に朝日新聞社より発刊された「世界の鉄道」に掲載された写真と諸元表くらいのものではないだろうか。残念ながら2冊共京都の実家の物置に眠っているため手許にない。鉄道関係の書籍、資料を全部取り寄せたいところであるが、今住んでいる狭いアパートは収納不可能なため、諦めざるを得ない。

 昭和42年4月28日の夜、廃止間近の法勝寺線、境港線のキハ07、一畑電鉄、廃止が噂されていた呉市電(同年12月17日廃止)を見学するべく、京都駅22時5分発普通列車下関行で出発した。20時頃から並んだため座れたが、連休前日のため山陰方面への帰省客、行楽客に通勤客が加わり超満員であった。通勤客は園部までの途中駅で降りていったが、鳥取まで満員のままであった。
 米子に到着後、踏切を渡って法勝寺線の米子市駅へ。程なく法勝寺からデハ207+フ53+フ100の3連が到着した。デハ207は長老の書込みにもあるように、元目蒲の車で、湯口さんの撮影された写真と比較すると、窓の二段化、戸袋窓の閉鎖、ヘッドライトの取替え等が行われている。最後尾のフ100は昭和40年2月18日付で廃止された一畑電鉄立久恵線からの転入車で、旧塗装のオレンジに白帯のままであった。折返しの法勝寺行はデハ207の単行で、途中の手間で米子市行と交換して約25分で法勝寺に到着。構内には元名鉄(←尾西鉄道)のデハ205が停まっていた。車体に鉄板が張られ、窓のサッシ化、戸袋部のHゴム化がされていた。
 同じ車両で折返し、手間で降りて、構内に停められていたフ50とフ55を撮影。フ50は米っ子氏の解説の通り、フ55は一畑電鉄広瀬線からの転入車で昭和3年蒲田車両製。次の電車(デハ201)で米子市駅に戻ったが、デハ201も車体は鉄板張りで窓のサッシ化、戸袋部のHゴム化が行われていた。廃止間近の休日にも関わらず同業者はゼロ、今回の旅行期間中、同業者には全く会わなかった。
 各車両の詳しい解説については、【1078】で長老が詳しく書いておられるのでお読みいただきたい。

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【1101】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便その21-6
 湯口 徹  - 07/12/26(水) 16:30 -
  
Blonay & Chamby=BC/ブロネイ−シャンビー保存鉄道 その1

地図をご覧頂きたい。先回と重複するがスイス最西にあるレマン湖、その東端に位置するモントレーが右下。そのすぐ南東には、かつては素朴な古城=現在では結構な観光地であるシオン城がある。レマン湖に添って走る(地図では点線)のはスイス国鉄SBB、いやここはフランス語圏だからCFFである。

モントルーから勾配と急曲線で一挙に高度を稼いだMOB(Montreux-Oberlands-Bernois=黒細線)はモンボヴォンを経、ツワイジンメンで標準軌間のレッチュベルク鉄道と接続。インターラーケン・オストに結ぶ Golden Pass Panoramic ラインである。

一方地図左のヴェヴェイから黒線で表されているのが先回のCEV=Chemins de fer Electriques Veveysans で、ブロネイから奥のレ・プレイヤードまではシュトルプ式のラック区間である。

ブロネイからMOBのシャンビーまで(赤線)が今回のブロネイ・シャンビー保存鉄道で、全線は僅か3.0km、最急勾配50‰、最急曲線半径60m、直流900V。元来CEVの一部として1902年10月1日開業し、1966年5月21日閉業した。最終時点では乗客が1日14人だった由である。

同年保存団体が発足し、1968年7月20日列車を運行。1973年以降車庫・車両を整備拡充し、1998年5月24日公共鉄道として再開したものの、何分1日3往復では乗客も5人という有様で、200年5月27日再び閉業。

その後ボランティアによる保存鉄道として、5〜10月の土日に電車・蒸気列車を運行し、2007年の運行状態は時刻表を見られたい。丸で囲んだ6、7の数字は、トーマス・クック時刻表でもおなじみの欧州独特=月〜日曜を1〜7とする表示で、6は土曜、7は日曜。ブロネイ11時発列車は、土曜日なら電車、日曜は蒸気列車、同16時発は各月最終日曜日に限り蒸気である。

運賃は保存鉄道だから結構高いのはやむを得ず、片道大人8/往復16スイスフラン。Musee 込ならブロネイ-シャンビー-シャンビーが15フラン、ブロネイ-シャンビー-ブロネイが18フラン。乗り放題だと25フラン。

我々はヴェヴェイからCEVでブロネイへ。ここまではスイスパスが使えるが、常識的にかような鉄道はユーレールパスだと割引もなく、スイスパスなら半額割引である。先回電車が3本並んだ写真の右端、赤シャツの肥えたおばさんがいる小屋がBCの駅事務所で、出札もしている。

たった1人の制服駅員(当然ボランティア)に料金を問うと、スイスパスが100%有効=無料で縦型硬券を発券し、パンフにダイヤまでくれた。小屋の横には「オズの魔法使い」のブリキ人形か、西洋甲冑の鉄仮面かのような古い閉塞器があり、それを今でも使っている。

さすがに電車の中では検札があり、短いトンネルをくぐってシャンビーのすぐ手前の何もないところに停止。ここは Bifurcation で、車庫= Musee である haulin へのスイッチバック、それもかなりの勾配線が分岐。地図では盲腸状の短い線で、先が白く表されている。

まあ狭いところにぎっしり車両がいる。1〜5までの庫には主として展示のみの車両、シャンビー側の庫には可動車両とレストア中の車両が。しかもその間をかき分けるように次から次へと可動車両が行き来する。蒸機以外の動く車両はともかく全部動かしてみるのであろう。

正面・真横どちらから見ても凸型という、ペックハム2軸台車の軽電気機関車、散水車、路面電車等々。興奮状態で何やら分からんがともかく撮りまくるが、デジタルカメラはフイルム交換の必要がないから便利ではある。

28号という旧ローザンヌのトラムカーは何と何と、2軸ならず3軸車。本来ホイルベース4,000mmの2軸車だったが、流石に長すぎて1948年SLMで改造、4,200mmに伸ばし3軸化したもの。動軸は両端で、スイス式表示では2/3となる。モーターは120馬力×2というからこれにも驚く。ギヤ比5.93、座席28人、立席46人。車体長10,000mmという大型単車である。

レストアも勿論ボランティアで、中には連れてきた男の子をキャブに乗せて運転している若い父親もいたが、ボランティアの特権なのだろう。蒸機列車も盛んに蒸気を上げ満を持しており、年齢合計200歳のおじん3人は興奮が収まりそうにない。

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【BC地図.jpg : 341.5KB】

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【BC列車時刻表.jpg : 336.5KB】

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【古い閉塞器.jpg : 198.4KB】

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【狭い構内で入換中.jpg : 196.3KB】

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