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【1049】若桜鉄道C12走る
 米っ子便り No.3  - 07/10/16(火) 16:29 -
  
法勝寺鉄道の件では、大変失礼しました。
何しろ、魚が京都と比較にならないほど美味しいので、ついついお酒を飲みすぎて間違ってしまいます。でも今回は、初めから完全に思い込み間違いををしていました。

記事に書きました若桜鉄道のC12復活走行ですが、今日の日本海新聞にも記載されていました。下記がそのニュースです。ご覧下さい。
http://www.nnn.co.jp/news/071016/20071016005.html
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【1048】52年前の写真
 湯口 徹  - 07/10/16(火) 15:41 -
  
米っ子氏の法勝寺鉄道→伯陽電鉄→山陽中央鉄道→日の丸自動車(法勝寺電鉄)廃線跡探訪を読み、52年半前の記憶が蘇った。小生芳紀18歳、高校は何とか曲りなりにも卒業し、大学入試勉強の気はさらさらなく、全く前途真っ暗闇。

いたいけな心と体を毎晩駅待合室で寝袋=朝鮮戦争での米海兵隊員死体を日本に運んだ後放出=で癒しながら、九州から東北までひたすら空腹に耐え、うろつきまわった一端である。

下関23時26分発鳥取行828レで1955年3月22日6時55分出雲今市に下車。一畑電鉄立久恵線に奥まで乗り、電車で北松江へ。さらに島根鉄道をのぞき、この日最終に日の丸自動車(法勝寺電鉄)に寄った。

確かに米っ子氏が書かれたように、米子とは名乗っていても、この田舎ボロ電車の起点は国鉄米子駅から相当に離れていた。天気も気の滅入り同様に暗かった。

撮影は5コマのみ。電車の解説は乙訓老人にまかせ、小生は客車を。フ50は側戸式50人乗り「マッチ箱」車を貫通、ロングシート化したもの。関西鉄道→鉄道院ハフ3237〜45のうち1両→鉄道省ハフ4734→伯陽電鉄附50が経歴である。

製造はバービンハム工場1887年製とされるが、平岡工場、関西鉄道湊町工場でも同型車を製造しており、最初の番号が特定されない限り、英国製とは断定できない。撮影時点では妻面に貫通扉があるが、のち窓3個に変わった。

この車輌に関しては、青木栄一/堤一郎「旧日の丸自動車法勝寺鉄道フ50号木製2軸三等客車の調査とその産業遺産としての意義」という長い題の論文(産業考古学118号)に詳しい。

フ51は旧愛知電鉄64(日車1912年製)。大正元年上半期日車売上台帳に「愛知電鉄会社電車車体4という記録があるのが該当するのだろう。

フ52は新宮鉄道自社製ハ11〜17のうちの1両で、元来オープンデッキ車だったが、外妻、引き戸を設け中妻を撤去している。木製エンドビーム両端に「新宮鉄道」の鋳込銘板が健在だった。大分交通ではオープンデッキのまま使っていた。

フ53は開業当時譲受けた愛知電鉄デ1を1954年客車化したもの。

当時の時刻表では日の丸自動車(法勝寺電鉄)は米子−法勝寺間12.4kmに27分を要し、15往復。1944年1月11日休止した阿賀−母里間5.3kmは1959年9月17日廃止、残った米子市−法勝寺間も1967年5月15日廃止された。

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【1047】キーの叩き間違い
 乙訓の老人  - 07/10/16(火) 6:56 -
  
単身赴任の米っこさんは夜なべ作業の結果、
法勝寺と打つはずが突如停電のため、本勝寺と間違ってしまった。
愛読者の皆さん、慰問してあげて下さい。
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【1046】消えた鉄道『本勝寺鉄道』
 米っ子便り No.2  - 07/10/15(月) 23:37 -
  
米子に単身赴任から1ケ月近くの9月初旬、かねてから聞いていた消えた鉄道の1つ『本勝寺鉄道』について調べてみると、何と今自分が住まいしているJR米子駅裏の場所が、本勝寺鉄道の始発駅の跡地だと分りました。

これは、何かの縁。古い地図を見ながら、チャリンコで線路跡を捜しながら、私としては、初めての痕跡が残っているのかの探索に出かけました。

本勝寺鉄道は、当時『本勝寺軽便鉄道』として、大正13年7月8日に米子〜大袋が運行開始、8月12日には、社名を『伯陽電鉄』に変更し、大袋〜本勝寺も運行開始しました。

全線は、12.4km。昭和4年12月には、支線の阿賀〜母里(5.3km)も運行開始しましたが、経営難が続き、昭和19年には支線廃止。その後も経営は好転せず昭和42年5月14日に全線廃止となりました。

経営難が続いたのは、国鉄米子駅に乗り入れていなく、乗り継ぐにはローカル線には珍しい開かずの踏切が大きな要因だったとの事です。

実際今でも毎朝通るこの踏切は存在していて、山陰・伯備・境線が交差して1日200回以上の開き閉めがあります。そして、今の米子駅舎の場所には貨物駅もあり、SLによる貨車の切り離し連結作業の度に踏切は閉じられ、1日中開く事がまれだったと当時踏切当番をしていた我社の国鉄OBは申します。

このため、地下道ができましたが、それでも徒歩10分近くの接続時間が必要で、利用者離れ阻止には至らなかったようです。

消えた鉄道『本勝寺鉄道』の痕跡は、住まいを出てから迷走しました。当時田んぼだった場所は、住宅地と化して、放水路もできています。老人を見つけては、過去の様子を聞きながらの探索でした。

しばらくしてから、ようやくホーム跡を見つけました。郊外に出てからは、線路跡は道路と化していて分りましたが、途中は、田んぼの区画整理で痕跡そのものが消滅しており、付近の農家に立ち寄り聞く以外に方法はありません。

その都度に嫌な顔せず親切に昔はここに駅があったとか、変電所があったとか、いろいろと乗車した貴重なお話を長々と聞かせていただきました。米子の人は、本当に良いもんだと実感しました。

終点の本勝寺駅は、郵便局になっていました。近くの小学校に保存されている203号車を見に行きましたが、窓ガラスが2枚割られているだけで、保存状態は非常に良く安心しました。廃止後約40年。米子市内に復元保存されています日本最古の客車といい、大切に労り保存に協力されています方々に敬意を表します。

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【日本最古の客車.jpg : 260.4KB】

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【1045】Re:続・色はいろいろ
 澤村達也  - 07/10/15(月) 18:27 -
  
▼乙訓の老人さま:
車両の塗色に関して記述の少ない中、貴重な書き込みをいただき、ありがとうございました。実は、青とクリームに傾きかけてきたところでした。でも1200形と1500形を挟んだ4両編成となると、時期的に所謂「新色」ということになるのでしょうね。もう少し悩んでみることにします。

ところで「橋本工房」ですが、ご指摘の通り正式?には御室観光鉄道橋本工房です。数々の迷作を生んだ伏見工場は昭和55年2月に閉鎖となり、以来27年間橋本の地で季節工場(必要に応じて臨時に稼働する工場という意味)として細々と生き長らえておりました。添付のロゴは御室現像所以来の由緒あるもので、現在もこれを使用しています。

▼K.H.生さま:
そのうちと言わずこれを機会に是非模型制作の再開を勧めます。失礼ながらそのお歳ならすぐに目があかんようになりまっせ。

・部品を飛ばしたとき、耳を澄まして落下音を聴きその着地点を判断する情けない近視+老眼生より。

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【omuro_photo2.JPG : 5.2KB】
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【1044】私の鉄道の日
 K.H.生  - 07/10/15(月) 13:07 -
  
九州まで所用があり、時間的にロスの少ない乗り物を
というので初めて大阪から行橋まで「富士」を使いました。
同行に15歳のせがれ、寝台車は「ソロ」のオハネ15の2000番台でした。
寝台車に乗るのは2004年のハンガリーのブダペスト−ドイツ・ミュンヘン
以来ですが、日本の寝台列車は末期的で「しんどい」列車やなあと嘆息。
徳山から車販のおばちゃんが乗ってきてやっとコ−ヒ−が飲めて少し
気を取り直し。
周防の海の見慣れた風景がなぐさめです。
下関で老骨にむち打ったEF66が離れEF81 400に。
さらに門司で「はやぶさ」はそのまま81が曳いて別れていき
「富士」の先頭にはなつかしいED76が立ちました。
小倉−行橋間の通学列車に少年時代、どれだけ世話になったでしょう。
これが今回一番嬉しかったです。

もう今、小倉で買った九州時刻表をみると、東京−北九州は航空機が
10便くらい就航し、圧倒的な新幹線以外の手段はお金の無い人用の
夜行バスくらい。日豊路には彗星もなく、大分以南のブルトレはありません。
関西からは2本のフェリーがありますが、消え行く夜行列車に乗れたことは
子供にとり、何かの思い出くらいになったかなあと思いました。
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【1043】孫の運動会を見に行きました
 介護士2号 E-MAILWEB  - 07/10/14(日) 16:24 -
  
茨城県は笠間市友部町。
小5と小3男子、鉄道ファン3世の運動会を見に行きました。

下はその時の真岡鉄道の写真です。
残念ながら今回は煙なし。

上から順に、
6100レ、下館駅
6001レ、北山−益子間
6002レ、市塙−多田羅間(以上、2007.9)

前回訪問時、茂木駅にて(2004.5)

ところで今日は鉄道記念日です。昨年は展示会中でした。

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【C10201.jpg : 164.2KB】

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【C10202.jpg : 125.1KB】

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【1042】続・色はいろいろ
 乙訓の老人  - 07/10/14(日) 10:13 -
  
記憶にある京阪電車の色は昭和16年、3歳のみぎりからである。従兄が陸軍大学を卒業して藤森駅西南にあった砲兵40連隊に配属されたことによる。月1度の面会日には母に従い、重箱に詰めた「叔母の手作り」と共に訪問があった時以来である。1000、1100、1500形は青と黄、それ以外は濃い緑、それぞれの明度や彩度など覚えている筈はない。
戦後、昭和20年12月末から三条花見小路東入るの耳鼻咽喉科への通院が始り、三条駅の柵にもたれての電車見物が始まった。押し並べてチョコレート色だったが、昭和22年(小3)だったと思うが500形が上半黄土色下半緑で、チョコの1200、1500形を挟んで現れた時は驚いた。この新色は翌年1300形に引き継がれた。以後、鋼製車は新色に塗り替えられていった。新生京阪成立を前に青とクリーム(60年前の近鉄特急色より少し濃い)が標準色になった。木造車も同色となったが、29年2月〜3月に小豆色一色となった。なんでも創業時の色だと聞いたが、現近鉄の窓回りの臙脂を更に赤くしたような色で、けばけばしいものであった。赤を混合したためか退色が早く、翌年暮れには緑一色に変更された。この緑は明るいもので、木造車には不釣り合いに思えた。
一方、鋼製車は今回、橋本工房で完成させようとしている1000系に採用される筈の新色に29年から変更されることになった。第1号は車体更新車の501で、ナニワ工機から4月に送り込まれ、しばらく標準色とチンドコ編成で走るのが見られた。この頃から新色への塗り替えが急速に進んだ。なんでも今回のベースになった茶系統の色は、イタリヤのファッション界で流行したものだと、守口車庫で聞いた。
その後の色の変遷は皆さん御存じの通り。1650形登場までの10年間、京阪の「色はいろいろ」で模型人は苦労している。トロリィモデルクラブに在籍している時、高名なモデラーから京阪1型(北大阪→新京阪→愛宕→京阪神→京阪)の色の変遷の問い合わせがあり、北大阪時代は分からないが、愛宕の時は真っ黒だったと返事したら、「驚いた」との返事があった。京阪800型(元琵琶湖汽船)も新造時は真っ黒で、京阪線転入時はそのまま走っていたと聞いている。
10000系登場の時、何処かで見た色だと思った。「そうだ、1996年5月にフランクフルトで見た色だ」と気づいた。
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【1041】若桜鉄道C12167引き渡し式 写真
 米っ子便り No.1追加  - 07/10/13(土) 21:50 -
  
添付する写真が送れませんでした。

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【1040】若狭鉄道 C12167
 米っ子便り No.1  - 07/10/13(土) 21:30 -
  
明日は、10月14日鉄道記念日です。クローバ会の皆様方には、14日限定のフリー切符をご購入され、あちこちへの鉄道旅行をご計画と思っております。

ここ米子市では、10月11日から4日間、5年に一度の和牛のオリンピックと言われる”第9回和牛博覧会”が開催され、日本各地からのみならず世界各国からの視察団も訪れ、皆生温泉のホテルでは、大型連休以上の宿泊客でにぎわっております。

昨日と今日は、牛一頭の丸焼き実演があって、グルメ党の私には、一体どうして焼けるのか興味津々で出かけました。見れば、13時間をかけて焼いた牛を、再度バーベキューで火を通して食する料理方法でした。

1人紙コップ3分の1ほどの量でしたが、他のブースでの試食よりボリュームもあり満クツしました。
イベントは、仕事がらいろいろと経験しておりますが、地方がら各ブース自体が広くてゆったりとしており、内容的にも充実しており、丸1日中を楽しめました。

我々鉄ちゃんとしての注目は、若桜町のブースです。
C12167は、8月8日に兵庫県多可町から、かって走行していた地に返還されました。10月14日に公式な引渡し式が開催されますので、現地に行くように予定しておりましたが、ブースで案内チラシを見ますと、21日に鉄ちゃん向けのイベントが開催されると記載されています。

びっくりするは、当日には自走するとの記事です。
静態保存されていた機関車が自走するには、約1億もの費用が必要です。いくら国鉄OBを集めて、ボランティアで走行に必要な部品を製作整備をしても、若狭鉄道や若狭町で捻出できるものではありません。

早速、我が社の国鉄OBに聞きますと、何とC12にコンプレッサーを搭載して、圧縮空気をシリンダーに送り、ピストンを動かし自走するように工夫したと言います。
牛一頭の丸焼きより、こんな話は、奇想天外です。誰がこんな名案を考えたのか恐れ入ります。すばらしい!!!!!。

10月21日は、どんな事があっても行こうと決めました。
クローバ会の皆様もご都合がつければ、このイベントにご参加下さい。
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【1039】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便その19-2
 湯口 徹  - 07/10/13(土) 12:49 -
  
Domaine des Grottes de Han その2

鍾乳洞へのアクセス軌道は1906年6月1日メーターゲージ、3.7kmの運行を開始。屋根付き・足回りを覆ったスティ−ムトラム機関車が側面オープンの客車を牽引し、当時山のかなり上の鍾乳洞入り口まで軌道が敷かれていたようだ。

1916年欧州大戦により休止し1920年再開。1968年3月1.7kmが敷き直され、洞窟入り口が岩山上端から現在の場所に変更された。1989年には村の起点も変更改善。牽引が内燃動車になったのは1935年以降の由。

イラスト略図右下のループが村の起点。ピクトグラムのように、オートキャンプ場が村に隣接している。洞窟から流れ出る川に沿い、途中素朴で質実剛健?な遊具類(無料)や牧場があり、さらに森を抜け洞窟入り口へ。

多客時2個列車が続行運転し、客は洞窟入り口で仏語/独語ツアーの2列に分かれて並び、各ガイドに引率される。洞窟内は結構階段や坂があるとガイドに脅され、あきらめて空車回送の列車で起点に帰る足に自信のない客も何人か。

空車になった列車は、先頭動車が機回り線で後続列車末尾=先頭に連結。後続列車の動車は今度は後ろになる客車に繋ぎなおし、やはり2個列車続行で起点に戻る。

鍾乳洞そのものは特に珍しくもないが、番号で1から8まで歩いた後、洞窟内の川を船に乗って出口9=イラストの中央に出る。かなり大きい「はしけ」だが、船頭も居らず、どうやら水中にレールが敷設された自動運行と見た。

出たところにレストランや売店があるが、ここから村まで勝手に歩いて帰れ、というのがユニーク?である。牧草地や遊具はそのためとしても、村までは2kmほどもある。天気がよければいいが、一天俄かに掻き曇ったりすると雨宿り場所もない。

車輌基地は洞窟出口近くにあり、整備士に筆談したら、この低床ディーゼルカーの機関は210馬力の由。起点で聞いた340馬力はいくらなんでも大きすぎると思ってはいたが、これで納得。それでも連続160馬力としてDMHと略同じ。図体は二回りか三回り小さい。

余談だが、起点観光センター?の案内所や売店の係員は大方高校生?ボランティアらしい。中に1人日本語のうまい女の子がおり、アクセントやイントネーションが実に見事で、日本に是非行きたいと勉強している由。我々の外国語学習方法には根本的欠陥があるようだ。

なおホームページ(英語)のアドレスを付記しておく。
http;//www.tramdehan.net/tramgb.htm

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【HAN略図.jpg : 0.7MB】

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【1038】色にはいろいろ
 乙訓の老人  - 07/10/13(土) 8:44 -
  
達也氏の工房再開おめでとう。現役時代の名は、風情あふるる嵐電沿線の地名ではなかったかしら。
「京阪特急」のオレンジに茶のキャプションは老人の言葉足らずで、黄味を帯びた茶色が正しく、建築での色見本カードを渡すのを忘れた結果、意味不明の文章になってしまった。したがって、色見本カードを精査の上、工房に送ります。
京阪馬鹿としては「京阪特急」が走り始めた時の塗り分けの方が、思い出に残っています。でも工房の親父に逆らう気持ちはありません。一緒に青にクリームの色見本もおくります。
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【1037】Re:橋本工房試運転
 K.H.生  - 07/10/13(土) 2:55 -
  
▼澤村達也さん:お元気ですか。

同期の庄司君に頼まれていた江若鉄道の気動車の資料、型式図を
数年目でやっとまとめて送って、感謝のメールをもらっていま
ほっとしているところです(模型資料用)
私がいま48歳、模型趣味をなんとか再開しようと苦闘中ですが、
何でニホンの会社員はこんなに忙しくて、人生の大切な趣味の時間を
スポイルしているのかなあ、と反語したくもなります。

とはいえ、先月末、篤志に送って頂いた梅小路の入場券を、閉館前の
30分使い、楽しんで来ました。
そのあと、七条大宮のDPEが30分でできると看板にあったので、
待つ間、酒でも呑もうかと思いきや、路地裏を歩いていると
銭湯発見! タオルだけは持っていたので汗を流して出た所にあった
酒屋で缶ビール。
こんなんで楽しめるニッポンの京都はええとこやなあ、と思いました。

ちょっとガイジン観光客気分でしたが、私もそのうち模型再開しますぞ〜。

添付画像
【%91%E5%88%E4%90%EC%82P.JPG : 60.1KB】

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【1036】橋本工房試運転
 澤村達也  - 07/10/12(金) 9:47 -
  
9月末に二回目の移植が終わり、自宅に戻りました。強かった薬のダメージからようやく脱して、体力の回復に努めているところです。

そこで退職後の暇つぶし事業として考えていた模型工房を開くことにし、今週から試運転を始めました。手始めに取り出したのはやはり京阪電車、懐かしい流線型の1000形です。これは横浜の谷川(たにかわ)製作所から発売されていたバラキットで、電車の中では最も作りたいと思っていた車両です。

ようやく形になってきたところですが、今回は1950年代、まだ特急に投入されたいた頃の姿で作ろうと思っています。そこで塗色は当然旧塗色と言うことになり、いろいろ書物を探し、沖中翁の「京阪特急」に故吉川文夫さんの天満橋駅でのカラー写真(1954.8)を見つけました。キャプションには「オレンジと茶の旧塗色」とあります。一方で、中村靖徳氏著の「走る窓から」には1950.9.25京阪特急の処女列車はダークブルーとクリーム色であったと記されています。双方魅力的ですが、今回は「オレンジと茶の旧塗色」にしようかと思っています。但し前出のカラー写真からは「茶」はわかるとして、「オレンジ」のニュアンスがよくわかりません。この目で見たという方、是非お教えください。

模型の方は、このあと1200形、1500形を加えて4両編成に仕上げる予定です。写真は昨日現在のもので、ヘッドランプ、ベンチレーターはソフトメタル製なので、まだ取り付けておりません。

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【1035】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その19-1
 湯口 徹  - 07/9/28(金) 10:20 -
  
Domaine des Grottes de HAN その1

ルクセンブルグのペタンジュ北方で高速道路に乗って西北に約70km、田舎道に入って今度は北東に約5km= Han-sur-Lesse (フランス語圏だから発音はアンシュレー?)という村がお目当て地である。

ヨーロッパ有数の鍾乳洞で一大観光地だと、前日 Train1900 で乗り合わせ、奇しくもホテルも同じ、その1日前現地にいたという関西出身の日本人一家(オランダ在住)から朝食時聞いた。新潟で震度6の地震、JR電車脱線をTVが報じていた。

我々にとって鍾乳洞はどうでもいいが、村からのアプローチにメーターゲージの軌道があり、2軸低床ディーゼルカーがオープン客車を3輌牽引している。

一行の先達=ウメムラツーリスト主宰・慶応鉄研OB・かつての「煙プロ」同人たる梅村正明氏は、高校生時ベルギーのペンパルからこの独特のDCを教えられ、爾来実に数十年あこがれ続けていた由。その執念に小生もおこぼれに預かった次第である。

なるほど村にはホテルやレストランが沢山。先ずはリーズナブルな宿をと、少し裏側のイタメシ屋3階に風呂を共用する2部屋を確保し荷物を放り込む。現実はかなりの安宿で、特に+1人氏の部屋がひどかったが、値段は3人で99.5ユーロと一人前。観光地だから仕方ないか。他の小奇麗な宿だと150〜200ユーロは下らない。

村の中央には例の如く教会と広場が、隣接し観光センターというべき建物と大きなループ線があって、お目当てディーゼルカー+客車3輌が3編成待機中。鍾乳洞以外にサハリパークもあり、こっちはトレーラートラック改造のサハリカーである。

鍾乳洞券10.75ユーロを買うと、自動的に軌道に乗れる。というより軌道に乗らないと到達できない。かつて九十九里鉄道廃止(1961年3月1日)後長らく、単端式車や客車が東金に残され、京成電鉄が谷津遊園−船橋ヘルスセンター間アクセスに転用する目論みだったのだが、結局実現せずすべて立ち腐れた例がある。

はるばる日本から見にきたそのディーゼルカーは、小柄なのに機関が340馬力と凄い。通常内燃機関は最大出力で呼称し、国鉄は標準出力だから単純な比較は不可だが、国鉄式表示でも250馬力以上は間違いない。

なりは小さくともDMH17より強力な機関がどうしてこんな低床式の小型車に装着できるのか。今も旧百間町に残る(長年人知れず六甲山中に残存した)頸城鉄道ホジ3と同じ発想=機関上部が床上にはみ出ているのである。しかしこれは車体中央ではない。

座席は窓に合わせ、両側クロスシートシート3組だが、背もたれ間隔が広い部分の片側座席フトン下がエンジンハウジングなのである。すなわち機関は車体中央でなく、片側に寄せて装着され、点検等は車側の扉を開けて行う。

乗車時は厳重に券を改め、座席以上は乗せない。おおむね2列車が続行し、次の列車群とは30/60分の間隔があり、発券時乗車時間を決める。鍾乳洞内ツアーのための制限であることが後分かったが、家族や小グループばかりで、日本や中国韓国のようにドカンと団体が来ることはないらしい。

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