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【1014】瑞兆
 乙訓の老人  - 07/9/2(日) 16:46 -
  
瑞兆、おめでとう
光明丹の時、気付いていた。狙おうかなと思っていたが、999となった時に間髪を入れずに新規投稿にクリックせねばならないだろうと思い、平日だけに諦めた。須磨の大人はきっと「DRFC流の自然体で」栄冠を獲得したにちがいない。今回の栄冠獲得はクローバー会全員の認めるものであろう。

ところで元ホテルの社長が責任を感じる、やったかなと書き込んだが、冷やし中華からはじまり鰻への話題の展開は元祖青信号らしいもので、いかにも「DRFC流の自然体で」となり、気にする必要はないと思う。みなさん如何かな。現役時代、襄の子としてアカデミックであれ!と、ぶちあげた御仁をおったように思う。将にその通りで、次元が低いなんてののしるなよ。新鋭観光学者として、新しい提案に期待してまっせ!
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【1013】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その18-1
 湯口 徹  - 07/9/1(土) 13:18 -
  
FOND-DE-GRAS/TRAIN1900 その1

先回の駄稿が何とこの掲示板1000回目という光栄に浴した。乗車券の0001や10000番(硬券裏の番号は9999の次が0000の頭に1を付記した10000になり、その次が0001)と同じく単なる順番にすぎないが、71歳目前の爺には瑞兆と感じた。

7月15日、8時40分コブレンツ西北約20km、アンデルナッハのプチホテルを出発したおじん一行3人は、アウトバーン48(ヨーロピアンロードE44)号線を快調に飛ばし、国境に近いトリエールで一部一般国道(といっても立派なモーターウエイ)になるが、ルクセンブルグの町(首都)を4km程南方で迂回。

ルクセンブルグはベルギー、オランダ(ネーデルランド)と共にベネルックス3国の一つで大公国。面積2,586平方キロ=佐賀県、神奈川県より若干広く、人口は46万人と少ない。銀行金融業を中心に、かつては鉄鋼業も盛んだった。1人当たりGDPが日本の約倍と裕福で、欧州では文化首都でもある。

その首都の約20km東南東が目的地だが、小生がナビをチョンボし複雑なジャンクションで間違い、地上に降り道を聞いてのペタンジュ入りとなった。高速自動車道以外の地上道路標識は旧共産圏を除く欧州他国に比べかなり不備に思えた。

ここから、又はここまでが「何処其処」を示す地名標識が極めて乏しい。この辺ではないかといった途端、「TRAIN1900」の小さな標識を発見。無事ペタンジュ駅裏の駐車場横、TRAIN1900 発駅に到着10時50分。列車は午後しかないのでまずは町のイタ飯屋へ。

13時近くになると若干人も集り、シーネンオムニバス551 669(旧DBのVT95 669)がやってきた。フォンデグラ往復が1人7ユーロで、ワンマン運転のため切符は車外の詰所で買う。

13時27分発車し、無人のFuussbesch (発音が分からない)で早速離合。やってきたのは逆向き9号機の牽く列車だった。ホーヘンツオルレン1908年製45トンCタンク。

この鉄道は鉱山一式丸ごとの産業遺跡(独語も仏語も分からんが多分鉄鉱石産搬出システム)の一部で、Industrie-und Eisenbahnpark Fond-de-Gras とある。産業遺跡全体を地名からFond-de-Gras、そのうちの標準軌間鉄道を TRAIN1900 と称するようである。

地図をご覧頂くと、赤線が TRAI1900。右上始発地がペタンジュ、グニャグニャ曲がるのは複雑な地形に逆らわず、等高線に忠実に線路を敷いたためで、フォンデグラ(Giedel)が基地。スイッチバックでボア デ ロダンジュに達し、ここでも国鉄線と接続していたようだ。

藍色の線は軌間700mmの坑外・内線で、これは次回以後に触れる。一帯はルクセンブルグ、ベルギー、フランス3国の国境付近で、坑内線出口のひとつはフランスになる由。

TRAIN1900 としての運行は鉱山一式の公開と同じく5月〜9月の日曜午後のみ。うまく合わせて旅程を組んだ先達ウメムラツーリストは大変な努力をしたことが分かる。鉱山鉄道だが、現在では各種車輌がコレクションされ、見事にレストアされた車輌はすべて庫内に納められている。

雨ざらしの車輌も山程あり、中には部品を摘出し形骸のみ残すコックリル製トラム型蒸機、無火機関車や本来無縁の電気機関車も複数ある。構内は広くまだまだ集めても大丈夫で、車輌庫や転車台までも新設中。

運営もレストアも案内も、すべてボランティアであろう。彼等は車で来るが、訪ねる客は TRAI1900 を利用するシステムで、観光バス等とは無縁なのも気持ちが良い。

反面集客数は当然限定され、運輸収入などタカが知れているが、坑外・内線が多客に対応できないから、これはこれでうまく機能しているのであろう。それにしてもこれだけの一式保存には、いくらボランティアでも半端でない経費が必要で、財団化か公費補助かが相当になされているに違いない。

なお先回タクシー料金の部分で文字化けが生じたが、原文字はユーロの記号である。また各写真等はクリックにより拡大する。

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【1012】京と餅
 K.H.生  - 07/9/1(土) 12:47 -
  
1980年代に広告の関係で調べものをしていたら
大津の「走井餅」は京都、大津の老舗、中堅企業の中に
一項目あった記憶があります。
謂れや所以についての説明は省きます。
京都市内に住んでいて土産物というのは意外と縁の少ないもの、
初出の走井餅の項を読んで、大津絵と共に旅で訪れる人間にとり
つかのまの旅情を奏でる湖国の風物だったのだろうと想像しました。
今はJRで9分、京阪−(京都市交)で21分の京都−大津間も
人間の徒歩で逢阪を越えていた頃は、旅すがら休憩する者や土産を求める
者相手の商いをいろいろ考え出したことなのでしょう。

すごろくの上がりではありませんが、東からやって来て京都に入る
一歩手前の大津には、旅の疲れや汚れを一旦落として、晴れの京に
向う準備用意の地みたいな性格があったのでは、と思います。

「餅」の土産は全国各地にありますが、旅の携帯食から始っているのでしょう。
あと京都では学生向きの食堂(チェーン)みたいに
「力餅」「相生餅」などの食堂に学生時代よくお世話になったのが
懐かしい思い出です。
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【1011】おせき餅を推薦します!
 田野城 喬  - 07/9/1(土) 0:04 -
  
>(「日本一のかねよの鰻」という看板が随所にありますが、わざわざ立ち寄るほどのもんでもないですよ)
>なお 蛇足ながら個人的には「走井餅」より浜大津駅前の「三井寺の力餅」を強く推薦しておきます。どなたに差し上げても喜ばれること必至です。

尊敬する吉田先輩のお言葉ですが餅というならおせき餅に軍配を挙げます。
場所は名神の京都南インターです。子供の頃、東寺から南へ延びる京阪国道は九条署から南は家がほとんど無く、砂利道が延々と大阪方面へと続いておりました。はるか彼方に見える城南宮の森が文字通り京都の南の果てでしたが、その門前に一軒の茅葺きの茶店がありました。これがおせき餅です。上品な粒あんに包まれた柔らかい餅は今も健在です。
ところでどうして京都の鰻は江戸風の仕上げばかりなのでしょうね。かねよさんも蒸して焼く江戸風です。どちらも好きですが京都では関西風のパリッとした腹開きのものは少ないように思われます。かねよもおいしいが嵐山の廣川のがうまい!
*************************************************************************
と、投稿したら「鰻にうるさいさるお方」から「貴君は基本的に大きな間違いを犯しています。京都を含む関西の鰻屋はほとんどが腹開き、直焼きの「関西焼き」です。「かねよ」もそうですし、京都では「舞阪」、「浜松屋」、大阪の「いずもや」もそうです。
これに対して背開き、蒸して焼く「江戸焼き」は関西ではどちらかといえば少数派です。京都の「江戸川」、「廣川」、「梅の井」あたり、大阪の「竹葉亭」がお薦めでしょうか」とのご指摘を頂きました。家内に聞きましたら「かねよ」は関西風だったそうです。食べたときに調べたのですが記憶違いだったかもしれません。
近々もう一度食べに行ってきます。曖昧なことを書きましたことをお詫びいたします。
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【1010】Re:走井餅
 吉田耕司  - 07/8/31(金) 16:17 -
  
逢坂山の話しから離れて高貴な本欄がもっぱら「走井餅」の話題になったことについて多少の責任を感じていますので、少し補足しておきます。
京津大谷駅の京都方500m位のところに「月心寺」があります。ここが往時の「走井茶屋」であったそうで、京津電車開業後すたれて寂れていたのを大正4年、橋本関雪が別荘として購入、彼の没後 臨済宗派の「月心寺」となった由。ここの庵主は村瀬明道さんという有名な尼さんで、NHKの朝ドラ「ほんまもん」のモデルになった方です(私は朝ドラは見ていませんのでコメントは控えます)。
大津市横木1丁目に存在するという「走井餅」は、現在は1号線沿いに観光バス相手のビル「井筒八ツ橋本舗」の中にあるそうで、詳しくは存じませんが八ツ橋屋が「走井餅」の商号を買い取ったのではないかと推察します。
それ故 本物の「走井餅」は本家があった昔に分家した八幡の石清水八幡宮の麓にのみ存在するのではないでしょうか。
大谷の鰻屋「かねよ」の近所にあった高級料亭「八新」は名神の工事で立ち退きにあい、あえなく消えたようです。
(「日本一のかねよの鰻」という看板が随所にありますが、わざわざ立ち寄るほどのもんでもないですよ)
「走井餅」と「名水餅」、確か何年か前に裁判沙汰があった記憶があります。かってはあの界隈に走井餅屋が何軒かあったのでしょうねぇ。
なお 蛇足ながら個人的には「走井餅」より浜大津駅前の「三井寺の力餅」を強く推薦しておきます。どなたに差し上げても喜ばれること必至です。
以上、お騒がせいたしました。
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【1009】走井餅について
 田野城 喬  - 07/8/31(金) 15:06 -
  
以前に京津国道(子供の頃はそういった)南側に小さな茶店があって「走井餅」と書いた看板が上がっていたのを覚えています。いつの頃からか「走井餅」が「名水餅」にかわり、今も看板だけが残っています。
これについて書いたHPがありますのでリンクを張りますからお読み下さい。
http://www.konoha-house.com/nakasendo/n702ohsakayama.htm
ところで記憶が定かではありませんが「走井餅」の商品名を使うことに関して裁判で争われ、結果負けた方が「名水餅」と変わったようにおもいます。
ご参考までに。
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【1008】走り井餅
 乙訓の老人  - 07/8/31(金) 12:00 -
  
パソコンで検索したら、本家は大津市横木1町目3−3で今も存続している、とある。横木と言えば四宮〜追分間だったと思うが、大津の住人さんどうやったかいな?
走井餅老舗なるものが石清水八幡宮参道にあるとある。八幡市駅から徒歩2〜3分のとこだとか。なんでも本家・追分の出店だったとか。
ところで草津の国道1号と8号の分岐点に走井茶屋なるものが営業していた記憶がある。店の人に「追分の出店か」と聞いたら、「違うようですよ」と言われたようにおもう。20年以上前の話しだから呆けが始まっていたのかもしれない。
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【1007】走井餅
 湯口 徹  - 07/8/31(金) 10:23 -
  
国道1号線沿線にあった走井餅屋は、今ならこんな排ガス激しい、車でないと買いにもいけない場所ですが、記憶ではちゃんと営業していました。しかし何時までかは不詳で、買った事もありません。小生の山科在住は1945〜1960年12月です。

八つ橋のように、同類・似た名称の餅屋もあるはずで、同じ店かどうか不確かですが、30数年前熊本のデパートで開催の「近畿の観光と物産展」に、いわゆる「実演即売」で大津から走井餅の若旦那にご出張を仰いだことがあります。

青年会議所のメンバーでしたが、店番をサボってはゴルフに行き、二日酔いで(嫌々?)餅を餡にくるんでいました。

逢坂山は自転車で何度も越えました。お目当ては江若鉄道で、国鉄往復20円の節約です。名神高速ができてからの国道1号線は自転車では走りたくないです。

鰻の「かねよ」はまだ営業している由ですが、この近辺には確か「八新」なる超高級料亭もあったんじゃないですか? 米軍に接収されていた時期もあったかと71歳目前の老人はおぼろげながら記憶するんですが。
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【1006】Re:逢坂山旧景
 吉田耕司  - 07/8/30(木) 21:49 -
  
世の中にはいろいろな物知りや収集家がいはるもんんですなぁ…!
先日貴重な写真を転載いただいた「特派員氏」と、それにぴったりツジツマの合う地図を掲載いただいた「乙訓の老人氏」、永年の拙い疑問に見事にお応えいただいた両氏に深甚なる感謝を申し上げる次第です。
追分の交叉地点は写真と地図から察するに今の名神との交叉箇所より少しだけ京都寄りの、旧東海道と今の1号線との合流地点(角に交番所あり)のあたりでしょうか!?
鰻屋の「かねよ」は昔と同じ場所(京津大谷駅の裏)で今も盛業中ですが、「走井餅」についてはその看板だけをかけた店が大谷駅の少し京都寄りの1号線沿いにありますが、商売をしているようには見えません。
京津の開業した頃のことはともかく、かって江若鉄道の終点でもあった浜大津界隈の賑わいを知ってる年配の人は、昨今の寂れようを嘆いていますが、歴史の流れは止めようがないのでしょうねぇ…。
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【1005】京津電車・大谷
 乙訓の老人  - 07/8/30(木) 19:43 -
  
元ホテルの社長氏から貴重な写真が紹介され、それを補強する写真も掲載された。これをネタに老人の蘊蓄を披露することにしよう。
25年ばかり前のこと、暇にまかせて府立資料館で日出新聞のマイクロフィルムを見ていた。その時、京津電車開業日に乗った記者の乗車記が目に付いた。当該区間を転載する。

「六地蔵の一つ、廻地蔵は四宮停留所から近く、人康親王隠棲地も遠からぬとかや。醍醐宇治伏見への分岐点を、昔の人は趣味あって“追分”と命名している。この停留所から軌道は東海道線の下を潜って再び街道に出る。サアそろそろ逢阪山のダラダラ登りになっている。一代の洒落者、一九爺さんが恐ろし忙がし餅だよと折り紙附けた走井餅屋の前を、下戸が唾をのみ込んでいる間に走って、大谷停車場の真向かいで停車する。大谷停留所で、ここでは汽車並みに名物走井餅は如何と売子が窓へ来る。
下戸向きの走井餅の表を走った電車は、今度は甘辛両党に歓迎せられる鰻屋のかね与の裏を通る。しばらくすると電車軌道には余り例を聞かぬトンネルに入る。いわゆる逢阪山のトンネルで、2丁余もあろう。抜けるともう八町阪で上関寺だ。琵琶を抱くひまに「これやこの」と歌っていた蝉丸さんも、まさか末世に電車が無遠慮な音をたてて走るとは思いも及ばぬこと。「行くも帰るも別れては」どころか、知るも知らぬも同じ車で逢阪の関と来てござる。
ここから再び鉄道線路の下を通るのであるが。これは何分鉄道院の干渉が一通りならぬもので、第二期の工事となっているから、当分お客様には乗換の御足労を掛けることになっている。次の停留所は長等公園下で、鉄道線路の下を向こうに曲がった所が停留所で、まず半町歩かなければならぬ。」以下略。

この記事によれば大津・札の辻〜三条大橋間が一挙に開業したのではなかった。大津方には1形12両のうち10、11号の2両が配置された。開業7日後、上関寺乗換箇所に留置中の10号が逆走、札の辻停車中の11号に衝突、2両は大破した。代替はどうなったのか不明。11号は復旧させたが10号は廃車となり貨車の種車となった。鉄道院線路下が開通したのは開業年12月14日らしい。日出新聞で調べたが、記載なく確証がとれなかった。
一方、走井餅屋は徒歩で峠を登り下りする人が激減、転業の策を講じているとの新聞記事もあった。老人が自転車で峠を登り下りしていた小、中学生の頃、餅屋の面影を残す建屋が大谷停留所西南の国道沿いに残っていたように思うのだが、山科の住人であった須磨の大人さん、どうだったでしょうか。元ホテルの社長氏が入手された写真は大津市史にも掲載されている。出所については然るべし部署に問い合わせては如何かな。
添付図は1905年の地形図にいたずら書きしたものと、20年ぐらい前に作図したポンチ絵である。写真の右奥に見える電車はこれか同形の16形であろう。

添付画像
【京津1.jpg : 97.5KB】

添付画像
【京津2.jpg : 96.9KB】
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【1004】「津山機関車庫」9月から公開  産経新聞...
 元祖青信号  - 07/8/29(水) 14:20 -
  
鉄ちゃん必見 旧「津山機関車庫」9月から公開

 JR西日本岡山支社は9月から、津山駅(岡山県津山市大谷)の扇形機関庫「旧津山機関車庫」の公開を始める。県との共催で4〜6月に実施した観光キャンペーン「岡山デスティネーションキャンペーン」での公開が好調だったことから、再度企画した。懐かしいディーゼル機関車2両などが展示されるとあって、多くの鉄道ファンらの期待を集めている。
 扇形機関庫は、車両の方向転換のため回転する「転車台」を中心に、車庫が扇状に配置されている。かつては運転台が前方にしかない車両が主流だったこともあって各地に登場し、津山駅では昭和11(1936)年に作られた。扇形の美しい形状や懐かしさから、、梅小路蒸気機関車館(京都市)でも紹介されている。

 同庫で、人気を高めているのが、全国で1両だけの試験車両「DE50」と、量産され各地で活躍した「DD51」の両ディーゼル機関車。DE50は、昭和45年に作られたが増産されなかった“幻の車両”。DD51は、昭和30年代以降に各地で使用されて「デデゴイチ」と親しまれ、現在は大阪−札幌間の臨時寝台特急「トワイライトエクスプレス」の北海道での一部区間や、貨物車両で運用されている。
 いずれも、蒸気機関車から電化車両へとかわる時代のはざまに活躍した車両で、その歴史的な背景や重厚な外観などが人気を集めている。
 また、機関庫の隣には事務所を改造した「懐かしの鉄道展示室」を整備。磁気が使われていなかったころの「硬券きっぷ」、国鉄時代の駅員の制服、急行「砂丘」などのヘッドマークなど、鉄道ファンならずとも楽しめる珍しい品々を展示する。

 同支社では、将来的には展示車両を増やし、SLの博物館で年間10万人以上を集める「梅小路蒸気機関車館」に並ぶ「ディーゼル機関車のメッカを目指したい」としている。
 公開の日程は次の通り。9月=8、9、22〜24日▽10月=13、14、27、28日▽11月9〜11、23〜25日。見学は申し込みが必要で、JR西日本岡山支社懐かしの鉄道展示室
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【1003】全国のテッケン集結 産経新聞より転載
 元祖青信号  - 07/8/27(月) 10:54 -
  
立命館大学で合同鉄道展

 多くの人に鉄道の魅力を知ってもらおうと、草津市の立命館大学びわこ・くさつキャンパスで全国の鉄道研究会(テッケン)が参加した鉄道展「TEKKEN MUSEUM(テッケン ミュージアム)2007」が25日、初めて開催された。訪れた人たちは、古い切符や鉄道模型などに興味深そうに見入っていた。

 立命館大鉄道研究会と、関西の大学の鉄道研究会が所属する関西学生鉄道研究会連盟が企画。同連盟所属の5団体と、北海道や大分県の大学、静岡県の中学の鉄道研究会など計10団体が参加した。

 きっかけは立命館大鉄道研究会長の村上直大さん(20)の「鉄道研究会が集まるイベントが少ないので、各地の学生が集まるイベントをしたい」というひと言。全国各地の大学などに声をかけ、理念に共感した全国各地の鉄道研究会の参加が実現した。

 会場では、団体ごとにブースを設置。「地元の鉄道」をテーマに、それぞれの団体が地元の鉄道の模型や写真、関連グッズを展示。また、鉄道にまつわる豆知識をポスターにまとめてはりだし、来場者におもしろいと感じた話にシールをはってもらうなど、鉄道ファン以外も楽しめるよう工夫されている。

 オープンキャンパスで偶然立ち寄った、京都市の高校2年、中村近英子さん(17)は「何気なく乗っていた電車に1つ1つ名前があることを初めて知った。電車っておもしろい」と一緒に来た友人5人と楽しそうに話していた。

 26日も午後1時まで行われる。入場無料。 8月27日7時51分配信 産経新聞
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【1002】阪急百貨店
 乙訓の老人  - 07/8/26(日) 20:34 -
  
久しぶりに阪急百貨店に足を踏み入れた。かってパン売り場にお気に入りがあり、大阪へ出ると立ち寄り買ったのだが、お気に入りが目に留まらくなり今は阪神百貨店となった。22日、高間恒雄君から鉄道模型フェスティバルの招待券が送られてきた。行くべしである。梅小路では一人で寂しい思いをした。そうだ、近くに小学校5年生で大の阪急ファンがおったぞ。母親に電話してみたら「どうぞお願いします」となった。この親子は老人が地域活動をしていた時に活動を共にした、彼らの祖母を通じて知り合った。クローバー会ご用達の写真展会場には、副会長の「七条通」を始めとして「ドイツ」「京阪特急」と、3世代で来てくれた鉄道愛好家の一家である。
西向日8時56分の準急でスタート、途中、相棒となった小5の夏休みの自由研究のため淡路、十三の構内配線図作成を手伝ってやる。梅田着10時。百貨店7階に急ぐ。会場に着くや長蛇の列である。「えらいこっちゃなぁ」と言いながら列の尻へ行ったら階段を降り6階となった。7階へ上がって暫くしたら係員が「招待券をお持ちの方・・・・・」と言っている。相棒に「なにゆうとるんや」と問えば、「ついてきてください」と言ってますみたいと聞き取ってくれた。そこで係員に招待券をみせたら我々2人を受付に案内してくれた。相棒は「すごいキップやなぁ」と言う。高間様々や。彼の作品は模型屋のジオラマの一画にあった。奥に阪急関係のコーナーがあったが、本来ならそこだとおもう。
一時間ばかり相棒のお付き合いをして、昼食後は阪神梅田〜尼崎〜西九条往復〜武庫川〜武庫川団地往復〜三宮〜今津〜西宮北口〜夙川〜甲陽園往復〜十三〜西向日到着16時27分と乗り回しをやった。阪急阪神1dayパスは、これぐらい乗れば元がとれたと思う。
息子の第2子は女の子。ぱぁーぱぁーの孫はインドネシァへ帰ってしまった。他人さんの孫を誘い出して電車ごっこしている老人であります。
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【1001】負けるな!DRFC現役生
 元祖青信号  - 07/8/25(土) 11:17 -
  
短距離線、京阪宇治線乗客減る  立命大鉄道研、関西12路線調査

 立命館大鉄道研究会(京都市北区)がこのほど機関誌の「ポイント」41号で、関西の鉄道で線路の総延長が10キロ未満の12の「短距離路線」について、現状と課題をまとめた。乗客が減少している路線が多く、研究会は「鉄道といえば新幹線や大都市の路線などを思い浮かべる人は多いと思うが、短距離路線にもっと目を向けてもらえれば」と話している。
 調査したのは、大阪の北大阪急行南北線(5・9キロ)やJR桜島線(4・1キロ)など6路線、兵庫の阪急今津線(9・3キロ)など3路線、奈良の近鉄天理線(4・5キロ)、和歌山の紀州鉄道線(2・7キロ)。京都は伏見区と宇治市を結ぶ京阪宇治線(7・6キロ)を選んだ。
 研究会のメンバー20人が2005年11月から昨年9月にかけて路線の歴史、各駅や周辺の様子、ダイヤの現状などを調べた。
 12路線のうち住宅地やニュータウンを走るのは9路線、工業地帯は2路線、都心部が1路線。乗客が増加している路線はなく、紀州鉄道線、南海汐見橋支線(大阪)、南海高師浜線(同)の3路線は激減していることが分かった。京阪宇治線は、市営地下鉄東西線の延伸、JR奈良線の改良などの影響で、京都方面への乗り換え利用者が減少しているという。
 研究会会長の経済学部3年村上直大さん(20)は「短距離路線といっても幹線系統と一体化している路線もあり、鉄道ファンでも知らないことが多い。乗ってみればおもしろい発見が多くあるはずだ」と話している。
8月24日14時49分配信 京都新聞より転載
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【1000】おじん2人+1人 ヨーロッパ軽便 その17-4
 湯口 徹  - 07/8/24(金) 10:10 -
  
BROHLTALBAHN―Vulkan Express その4

我々がドイツに着いたのが金曜日、午後は小手調べにDB列車でBrohlまで覗きに行き、山から下ってきた貨物と旅客を撮りコブレンツに戻った。翌朝レンタカーを借り出し、土日は2往復する旅客列車を思う存分待ち伏せ・追っかけをやろうというわけである。

最初に記したがコブレンツはローマ以来の古都で、ハーツレンタカーは数km外れた新興の郊外にある。アウトバーンにはすぐ乗れて便利だが、借りる人はここまでどうやって来るのだろう。バスがあるはずだが鉄軌道(コブレンツには珍しく路面電車がない)はない。

結局タクシーに乗り、140kmの猛スピードで飛ばし10分=16.5&#8364;+チップ2&#8364;。

Vulkan Express には土曜日とあって結構人が集っており、観光バスで乗りつける団体も続々。列車に乗り、終点に回したバスで帰る片道客である。

何分速度が遅いから車での追っかけは容易で、イヤというほど撮れ、終いには飽きるほど。午前の列車は4個機関のDCが自転車搭載の有蓋貨車1両に客車2両の編成だった。

終点の Engeln は村落からも若干離れた何もないところで、かつてはここをサミットとして6.32kmの線路が Kempenich まで伸びていた。周辺には火山公園とでも言うべき素朴な施設もあるが、天候が悪ければ駅から一歩も出られまい。

駐車場には大型の観光バスが何台も待ち受け、ピカピカに磨き上げたシトロエン2CVが11両止まっていた。保存グループ得意満面のデモ走行であろう。

午後の列車は何と動車が7両を連結し、麓側からコッペル製DLが補機で押している。出力は気動車680+機関車350馬力と1,000馬力を超えるが、50‰勾配をゆっくりゆっくり上ってきた。ゴンドラカーの如き無蓋車にも乗客がいっぱい。如何にも素朴な保存鉄道である。

鬱蒼たる森の中で撮った列車は、感度をニコンD70で目一杯の1600まで上げ、それでやっとF4.5の1/200秒。これがアナログカメラなら、フイルム1本を増感せねばならず、それも4倍程度だろう。1コマだけ感度が変えられるのはデジタルたる特権ではある。目で見たより明るく写るのも癪の種。

ただ余りにも機能が多すぎ老人には覚えきれない。マニュアルは「魔よけ」のように持ち歩いてはいるが、参照したことはなく、とっさの間にも合わない。リチュームイオン電池が強力になったのにはただただ驚くばかり。

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