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【984】Re:吉川文夫さん、ご逝去
 澤村達也  - 07/8/14(火) 7:22 -
  
>・・・宮下稔会長さんとばったり出会い・・・
その宮下元会長も8月11日永眠されました。お二人のご冥福をお祈りします。
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【983】吉川文夫さん、ご逝去
 乙訓の老人  - 07/8/13(月) 9:30 -
  
2003年6月発病、一度は病魔から立ち直られたかにみえたが、昨暮再発。闘病生活を送って居られたが、奥様をはじめご家族の介護むなしく8月11日朝、帰ることのない道筋を辿ることになられた。12日の通夜には福田副会長に老人は思いを託した。
青信号64号に学外の方にも一文をお願いしようとなり、電話したら快く執筆して頂けた。佐竹先輩、湯口兄とは古くから親交があり、老人とは浅かったが、ある日「枚方公園に保存されている”びわこ”を見学したい。DRFCのお世話になれないか」との打診があり、「まかしておいておくなはれ」と返事。小林、澤村両君の斡旋でそれが実現した。この日、枚方公園駅前で高橋弘さんと共にお迎えしたがその時、宮下稔会長さんとばったり出会い、「いつもお世話になっております」と挨拶したら、「今日はなんですか」と問われ、「吉川さんの”びわこ”見学です」と申し上げたら、「それは嬉しいですね。」といわれた。
両君の説明の後、連接部をはじめ床下など詳細にカメラの収められた。この時の見学を下にピクトリアル553号の稿を起された。
永遠の電車少年さん、やすらかにお眠りください。
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【982】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その17-2
 湯口 徹  - 07/8/12(日) 10:19 -
  
BROHLTALBAHN―Vulkan Express その2

前回[978]で大ポカ=我々が折角の蒸機列車運行日の隙間に訪問したかの如く記した。これは小生の耄碌ぶり100%露呈に外ならず、要は列車運行表の6月を7月と間違った実に低次元かつ情けないミスで、粗忽は小生が極度の早産未熟児なることと無関係でないかもしれない。

旅程作製のウメムラツーリスト(我等がリーダー)に深くお詫びを申し上げ、あえて昼間飲酒の戒を侵し反省を噛みしめた。すなわち蒸機運行は6月の2、3、7、16、17日のみ、我々が行ったのは7月日12、13日で、小生が愚かにも蒸機運転日と見誤ったのは列車運行の無い空白日と、実に二重のチョンボであった。

その蒸機は現在2両。Humboldt 1906年製B-B飽和マレーは11号で、連結器を含む全長9,981mmだから、我国の4500、4510(Maffei=43〜45トン)並である。煙室煙突が黒、エンドビームや車輪台枠の赤は常識的だが、他がグレーに塗られているのが珍しい。かつて竣功写真撮影だけのために、機関車全体を一時的にグレーに塗る習慣はあったが。

写真では判然としないが、前部台枠は内側、後部は外側台枠である。

もう1両はChrzanow 1951年製D過熱テンダーのV号。1990年ポーランドから購入した共産圏特有の重心の低いテンダー軽便機(といっても30トン以上)で、同型車1両は部品取り?で現在分解=雨ざらし。同じような系列のコピー機が現在も中国にいる。

訂正ついでに前回末尾から2行目のDLはDCのミスで、これも加齢耄碌であろう。スペインから購入のB-B箱型1200馬力DLは足を外していた。

コッペル1965年製DL(350馬力)が鉱産物コンテナ車を牽いて奥から下ってきた。前回記したがこの鉄道の終点がDB線より高いのは、鉱産物(tuff rock=凝灰岩)を標準軌間貨車に積替えるホッパーのためだった。DB線を越え、スロープを下り、スイッチバックして下界?に下り、貨車を切り離して機関車は車庫に戻った。今日は土曜でトラックへの積替えはなさそうだ。

本日1往復の旅客列車も奥から下ってくるので、猛暑の中撮影場所を求めて歩く。先回記した4個エンジン気動車が緑色のボギー客車、有蓋貨車各1両を牽いてきた。貨車は乗客携帯の自転車搭載用である。

添付画像
【グレーのマレー機.jpg : 199.2KB】

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【共産圏特有軽便テンダー機.jpg : 193.2KB】

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【鉱産物コンテナ列車.jpg : 197.0KB】

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【4個機関気動車.jpg : 196.2KB】

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【旧小型レールバス.jpg : 191.8KB】
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【981】Re:Re2:琴参電車あれこれ(その3)
 ぷるぷる  - 07/8/11(土) 16:30 -
  
>・・・ゴミ箱を探すとありました!
>早速載せますのでご批評下さい。

マルキン電車の図、参りました。こういう図を書いて楽しむことは私もやったことがあるため、新しい記事が丁度途切れているのでHPを開くたびに目に入り、楽しませていただいています。

諸元を見ると主殿動機は550V22.5Kwが二台、これで過不足なしでしょうね。自重6.6t・・木造車だからこんなものでしょうか、四輪単車なので軽いのでしょう。制動機:手用・・その手があるのを忘れていました!

図に戻ると、前面形状がわかりませんが、なかなか好タイプです、小学校の頃に良く乗った京都市電の200型を想い出しました。ところで、腰板の線が省略してあるおかげで何やらお化けが2匹手を繋ぎあっておいでおいでしているように見えませんか?「11」の文字がお化けの目に見えるのですが。

そうそう、主殿動機の欄に(奥村電機)とありますが、これについてはご老人の解説を期待することにしましょう。宜しくお願いしまーす。お後が宜しいようで・・・

ps:塗色はどんな色だったのでしょう。
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【980】Re:Re2:琴参電車あれこれ(その3)
 介護士1号  - 07/8/6(月) 23:52 -
  
>977の書き込みで、注釈すべきことがありました。
>
>ところで、
>>掲載の図は20年位前に、1960年4月の善通寺車庫を訪問した時に、形式図を筆写したものを基に作図したものである。
>とのことですが、どこにあるのですか?

介護士は忙しいのです。
半世紀も以前に送られてきた図面が今回の投稿記事に付随しているとは露ほども知りませんでした。
何のことかいな?と他人事と思って眺めていると件の老人さまからおしかりのメールがまいったのです。「あれや、あれ」といわれてゴミ箱を探すとありました!
早速載せますのでご批評下さい。

添付画像
【デハヨ.jpg : 139.5KB】
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[添付]〜添付ファイル〜
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【979】Re2:琴参電車あれこれ(その3)
 家専門の達也  - 07/8/6(月) 12:18 -
  
977の書き込みで、注釈すべきことが2件ありました。

注1:MMとはMain Motor、すなわち主電動機のこと。
注2:コンプレッサの突入電流は意外と大きいものです。DH25等小型のコンプレは直流電動機を架線電圧で一段起動させるため、コンプレ接触器が投入された瞬間、大変大きな電流が流れます。でもその持続時間は短いもので、回転を始めると界磁による逆起電力が生じ通常の運転電流(数A程度)に収束して行きます。1から2秒程度の間にこのような変化が起きます。

ところで、
>掲載の図は20年位前に、1960年4月の善通寺車庫を訪問した時に、形式図を筆写したものを基に作図したものである。
とのことですが、どこにあるのですか?
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【978】おじん2人+1人ヨーロッパ軽便 その17-1
 湯口 徹  - 07/8/6(月) 11:44 -
  
BROHLTALBAHN―Vulkan Express その1

果てしのない連載に辟易の向きもあるやには仄聞するが、老人は幸い?耳が遠く都合の悪いことは聞こえない。最新のリューゲン島・東フリースラント諸島が3年前で、故あっての中断後1人加わり3人=年齢合計200歳で本年7月再開挙行された。

モーゼル川がライン河に合流するローマ以来の古都コブレンツ駅前の、名前はご大層なホテル・コンチネンタル=その実無星の安宿に荷物を置き、Sバーンでライン左岸を25分。列車運行管理者のみ1人常駐、乗客には無人駅のBrohl-Lutzingに下車。まずはBrohltalbahnの下検分である。

DB駅に向かい一段高くメーターゲージの駅があり、人気はない。構内にはレタリングもそのままのBOB(スイス)の客車など、かなりの客貨車がいた。

この鉄道は1901年開業。死火山地帯に産出する mineral tuff rock 或は phonolith (疑灰岩? 乞ご教示)の搬出が主目的のようだ。線路は一方的な上り勾配で、 20/25‰が続いた後挿入略図では中央高速道路(A61)から二つ目の Oberzissenn から Engeln までの5.55kmが実に50‰。長らくラック区間で、エスリンゲン、ウインターツール製C1、Bラック機が活躍した。

旅客は1961年廃止(77年復活)、鉱産物は標準軌間貨車或はライン河のバージに積替えていた。その後河港民営化で輸送が中断した由だが、1988年コンテナ化で再開。そのため北スペインからヘンシェル1966年製1200馬力DL、12両のフラットカーを購入し、ホッパーコンテナーで軌間転換あるいはトラック積替えをしている。

ドイツで現実に貨物輸送を続けている最後のメーターゲージなのだが、正規社員はたったの5人(貨物担当か)、200人以上がメンバーとして鉄道を資金的にも支え、運行もボランティアによっている。

継続貨物が鉄道存続の根幹だが、旅客は完全な観光=保存鉄道になり、本年は7〜9月が月曜運休以外毎日運行。1〜3、11月は2日、12月は1日のみ、4〜6月は9〜23日の運行である。7月2、3、7、16、17日は蒸機が走る。我々はその隙間の14、15日だったから、これは残念至極。

旅客の主役はボギーのDC=VT30だが、これが一筋縄の代物でない。4個のエンジンが各1軸を駆動し、全出力680馬力。スイスの電車は電機顔負けの力持ち=客室付電機とは以前に記したが、この1956年 Fushs 製、1989年中古で購入したDLも然り。台車が機関車並みに丈夫で、先端が15,000mmの車体より出張っている。客車3〜4両を牽き50‰を上るのだから凄い。

添付画像
【Brohtlbahnパンフ.jpg : 284.9KB】

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【07071320.DSC_0022~1.jpg : 149.0KB】

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【07071319.DSC_0004~1.jpg : 148.5KB】

添付画像
【07071320.DSC_0014~1.jpg : 145.1KB】

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【07071320.DSC_0017~1.jpg : 149.9KB】
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【977】Re:琴参電車あれこれ(その3)
 家専門の達也  - 07/8/6(月) 10:23 -
  
▼乙訓の老人さん:
7月末に師匠から暇を言い渡されて仕方なく、家で大工仕事やら庭の蝉やトカゲ達と遊び呆けておりました。(モンゴルでサッカーをするほどの度胸はありません)

たまにHPを覗くと大陸のレポート等が賑やかに出ておりますね。その中に、賽の河原を散策中にWindows Vistaと書かれたブースターロケットを拾われ、銀河系を飛び出したとか言うご老人の記事。相変わらずお元気ですね・・・

>・・専門家の達也さんに聞いてみたい・・
おお、これはきっと私の事やと勝手に思い、朝の仕事にしようと頭の整理をしております。

■観点1(大学の電気工学科的見方)
変電所の容量が200Kw、40人乗りの小型車ですからMM容量は大きくても50HP2個程度と見て75Kw。これが15両ですから1125Kwの総容量です。全然足りませんよね。但しこれは同時に定格容量を消費したときの値です。通常、全車両がよーいドンすることはありませんから、力行率を運転曲線から推定し、電源容量を決めるのではないかと思います。(私は変電設備の専門家ではありませんので)
そこで200を1125で割ると17.8%。逆算ですが、これなら全然話にならないというレベルではなさそうですね。でも、1.送電ロスが考慮されていない。2.一般にMMは定格容量を超えて使用する事が多々あるし、変電所も過負荷に耐えうる設備のはず。等々考慮に入れるべき要素は多々あると思います。

■観点2(運転屋的見方)
大輸送の時に変電所が度々トリップして運転不能に陥るという事例は軌道線ではかつて散見された様です。軌道線のように閉塞区間を持たない路線で計画値以上の両数を投入すると電車線電圧が大きくドロップするので加速が悪く、運転士は無理にノッチを進め、力行率がどんどん高くなり、変電所の保護継電器がトリップします。(すなわち電車線停電です)

■観点3(運転・車輌屋的見方)
多くの場合これからが問題で、復旧方法は次の通りです。1.運転指令者が各車両の集電器を下降させる。2.運転整理上優先されるべき車両から順次集電器を上昇させる。3.ノッチ扱いを直列終段までに限定させ、運転再開する。
集電器を上昇させたままで送電再開すると車両のコンプレッサが一斉に起動し、その突入電流で保護継電器がトリップします。これを「変電所が飛ぶ」と表現します。まさに>宇宙遊泳に出掛けた琴参電車 となるわけですね。なお、突入電流はDH25で100A以上あったように思います。600V・200Kwの変電所の定格電流は333A、保護継電器の動作設定値はその2倍としても700A弱ですから、充分頷けるでしょう?

さぁてっと、朝の涼しいうちに宿題は出来たし、次は庭の草むしり。
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【976】上海〜北京間CRH2初乗車記_Part2-2
 中国特派員便り Part21  - 07/8/5(日) 18:00 -
  
CRH2は、上海駅を10:50定刻に滑るような発車をしました。私の席は、8両編成の最後部1号車51番。連結器寄りの1番前の席です。丁度、1列1窓で、事故の際の脱出用に窓割り金槌が常備されていました。

運賃料金込みで北京までの1,463kmが、327元(約5,300円)。新幹線だと京都〜名古屋間147.6kmで、5,640円より安い。表定速度は遅いが、これは、癖になりそうです。

北京まで無停車です。発車前に1等担当の乗務員さんには、もし空席があったら変更したい旨の話は付けてありましたので、発車後に落ち着いてから行ってみました。

私の車両は。全席満席状態です。前の車両、そしてその次と進みましたが、無座(立ち席)のお客もいます。これは、無理だろうと思いましたが、一応行って聞いてみますと、やはり案の定でした。

その代り、何か和諧号の乗車記念になるような雑誌類等はないかと聞くと、座席の前に入れてある和諧号のさらっぴんの雑誌と、汚物入れをくれました。丁寧に後からも別の新しい雑誌もわざわざ私の席まで、笑顔と一緒に持ってきてくださいました。

これは何ということでしょうか!!! 

初めて中国の列車に乗車したのは、1983年。1996年からは、ほぼ毎年何回も乗り続けていますが、時折に親切な乗務員に会う事があってもそれは、ラッキーな事でした。
CRHでは、乗務員のサービス教育が徹底して行われているとしか思えません。改めて感心しました。

上海を出るとしばらくして、直ぐに時速200km/hを突破、219 km/hと、車内の電光掲示板にスピードが約10分間隔で中文と英文で表示されます。各駅を通過する度に貨物列車をどんどん追い越していきます。昼間とあって客車列車は、10本に1本程度です。

&#61548;    上下1本ずつの線路に早くなったとは言え、6000トン牽引で100〜120km/hの貨物列車と加速減速の違いは、3倍でもきかないでしょう。そして、2倍の速度以上で走行する高速列車が同じ線路に同居するのは、恐ろしいぐらい凄い事です。これ程の人気列車です。増発は、やはり高速列車専用線の開通を待たないととても難しいと、追い越す度に思いました。

&#61548;    上海から約2時間近くになりました。列車も減速して、車内がざわざわとしてきました。すると、車内放送で、次の駅で降りられる乗客の方々は、準備をして下さい。停車時間は2分間しかありません。電光表示板も同じ内容を伝えています。えっ?えっ? もう北京に着くはずはないのにどうしたの?

着いた駅は、南京でした。私も降車客と一緒に降りると、立派にリニューアルされたアーチ型ホームに合計4本のCRH2が発車を待っています。いったいここは、どこの国の駅と思える光景です。

男性乗務員が発車を促すので、数コマを押えて、飛び乗りました。
改めて、上海駅で買った7月1日最新の上海鉄路局専用の時刻表を見ますと、D32動車には、南京、蚌埠、徐州、天津西と4つの停車駅の記載があります。
乗務員に問い合わせると、6月から停車駅が増えたと言いますが、4月18日改正時でも南京は停車していたのかと聞いてもその時は乗っていなかったので、知らないとの答えで、結局分からずじまいでした。

南京を出ると、最高速度は165km/hまで。120km/h程度で走行する区間も結構あります。
もしこの区間が200km/h走行出来るようになると、所要時間も短縮できるのでしょう。
天津西〜北京間は、前回天津駅から乗車したのと同じく最高165km/hでした。

時刻表で見る各区間の平均速度は、
上海〜南京間   301km 10:50→12:47  1:57  平均速度154.4km/h
南京〜蚌埠間   184km 12:49→14:06  1:17  平均速度143.4km/h
蚌埠〜徐州間   164km 14:07→15:08  1:01  平均速度161.3km/h
徐州〜天津西間  666km 15:09→19:43  4:34  平均速度145.8km/h
天津西〜北京間  148km 19:44→20:49  1:05  平均速度136.6km/h
全行程での平均速度は、147.9km/hとなります。
停車時間は、南京のみ2分間、他は1分ですが、実際は天津西駅では、手前から最徐行したにも関わらずの5分ほど早着でした。

今までは、夜行列車ばかりでしたので、この辺りの区間は、夢の中です。一部は山間を走り、トンネルもありました。
その他は、見渡す限りのとうもろこし畑だったり、珍しく田んぼもありました。
夢にまで見た地平線の見える列車の旅が連続していきます。

上海〜北京間、所要時間9:59のCRH2の旅は、定刻の20:49到着で終わりました。
夜行列車の食堂車でビールや白酒を飲みながらの語り合う旅も格別ですが、太陽の下、車窓の移りゆく景色を仰ぎながらの列車の旅もまた格別です。まさに堪能できました。
次回は、北京〜ハルピン間7時間50分、CRH5の列車の旅を目指したいとおもっております。

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【975】上海〜北京間CRH2初乗車記_Part2-1
 中国特派員便り Part20  - 07/8/5(日) 17:56 -
  
7月19日、上海〜北京間を初めて昼間走行するCRH2に乗車するため、出発1時間半前に満を持して、ホテルからタクシーで上海駅に向かいました。D列車の切符は、全国主要駅で20日前に購入出来るようになったので、前もって友人に頼んで確保しておきましたが、希望の1等車でなかったので、変更すべく和諧号専用の切符売場に並びました。

夏休みに入ったようで、並んでいるのは、若い礼儀正しい学生ばかりでしたので、いつも横から列を無視して入ってくる無礼者もなく、直ぐに窓口につきましたが、他の駅で買った切符の変更は出来ないと言います。

乗ってしまってから、乗務員に変更を申し出れば良いかなと思い、久しぶりの上海駅の構内を散策しました。上海駅からだけでも7月1日現在で、1日78本のCRH2の発着があります。どの待合室を散策してもCRH2の告知広告で一杯です。CRH2磁気切符自動改札口も設置されています。

北京行きD32待合室は、軟座待合室と同じく柔らかな応接椅子が設置された専用待合室になっていましたが、既に満席状態で、人気は上々なようです。
発車時刻30分前に改札が始まりましたが、入口は2ケ所ですので、あっという間に列は崩れ、我先状態です。それでも早めに入れ、一目散にホームに向かいました。

編成番号は、CRH2-002A です。これはひょっとしたら、神戸港から輸出された日本製完成車3編成の内の1つではないだろうかと、その証拠がどこかにないかと列車内を隈なく見て回りましたが、すべての表示は、中文で、確認個所は見つけられませんでした。
列車編成は、先頭車8号車(北京方面から)から
ZE200200+ZY200207+ZE200206+ZEC200205+ZE200204+ZE200203+ZE200202+ZE200201

ただ、1月中旬に走り始めた時の日本のTVニュースでは、電気湯沸器が会社や一般家庭でもある丸いポリタンク式で、これでは、車内でお茶を飲んだり、カップラーメンを食べる習慣の多い中国人の列車内生活には、とても足らないと不評をかったタイプです。前回乗車した天津〜北京間の大容量の一体型とは違っています。初期タイプである事は間違いないようです。

予備ポリタンクは、7本も積んでありました。また、魔法瓶も15本置いてあります。これをどうするのかと思っていたら、乗務員が20分おきぐらいに車内を持って回り、その都度乗客サービスをしてきました。サービスはお湯に止まらず、黒いビニール袋を持ってのゴミ集め、ホウキでの清掃と、終着北京まで、ずっと続きました。

これ程までのサービスは、今までの中国列車旅行では経験した事がありません。さすが、サービスの改善をうたい料金アップしただけの事はあります。

ただ、問題点がないわけはありません。
車両の連結部の各自動ドアが1等車を除き、2等車全車の作動は切られ、全開されています。そのためにデッキ部分の走行音は勿論、手洗器の乾燥器音が直接聞こえてきます。これでは、新700系と同様に連結器部分を完全にポロで密閉して、走行音を消す。手洗器のある洗面所もドアを付けて密閉しないと快適とは言えません。特に連結器ドア横の座席では、乾燥器音がうるさ過ぎます。まあ、10時間近く乗っていましたので、慣れて気にならないようになりましたが…。

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【上海駅和諧号切符売場.jpg : 300.7KB】

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【和諧号D32_上海駅発車前.jpg : 222.6KB】

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【974】琴参電車あれこれ(その3)
 乙訓の老人  - 07/8/4(土) 15:26 -
  
宇宙遊泳に出掛けた琴参電車は、どうやら銀河系を飛び出したらしく、最新の電脳といえどもキャッチできない。沖縄に戻すより、多度津港に着岸させる方が良さそうである。
さて、多度津への延長は大成功であった。この頃の一日あたりの乗客数等を60年史から拾ってみると下記の表のようになる。

多度津港に繋がる桟橋通りに延長開業出来たのは、1925年2月26日である。この年はすぐに延長効果が実を結んでいないが、翌年から乗客数の伸びは目を見張るものがある。1928年3月には地方鉄道法により丸亀〜坂出間の延長開業を果たしているが、これについては後述するとしよう。
多度津延長による大当たりについて60年史では、次のように伝えている。
「多度津線開通当時は変電所設備が充分でなかったため、500人位の団体を輸送する時は多度津から琴平まで半日がかりの大仕事であった。普通なら30分そこそこの運転時分のところだが、当時40人乗りの小型車であったので、一杯詰め込んでもせいぜい100人位が関の山であった。その満員にふくれ上がった電車が5分間隔で次々発車するため、変電所のブレーカーがもちこたえられず作動し、その度に全線が停電となり一休み。修理が終わって変電所でスイッチをいれると、停まっていた全部の電車が一斉に動き出すので、またブレーカーがとぶ、こんな状況が繰り返された。」
当時の運転時分は丸亀〜琴平間は56分、多度津〜琴平間は38分、共に16分間隔であるから単純計算すれば、両線上に12両のデハヨ型が存在する。これに特発臨時を3両加え15両とすると変電所にどれだけ負荷がかかるのだろうか。専門家の達也さんに聞いてみたい。因みに開業時は200kwの回転変流器1基だった由。
掲載の図は20年位前に、1960年4月の善通寺車庫を訪問した時に、形式図を筆写したものを基に作図したものである。写真と比べると窓下寸法が足りないようだ。もう少し腰高にする必要がありそうだ。模型化する愛読者はご注意されたい。

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【973】Re:あらためて、天津現代電車ご紹介
 中国特派員便り Part19  - 07/8/4(土) 14:51 -
  
トランスロールは、都市景観上から見て、車体重量がかかっていない1本の案内レールが見えるだけで、路面上は、すっきりとしていますし、都市交通を建設する費用が格段に安くつきます。

また、最小曲線半径も鉄輪や連接バスと比較しても小さく、ゴムタイヤゆえの登坂力は、鉄輪に勝り、運送量に応じて5輌連接も組めるといった優位性は、良いことづく目ですが、もし案内レールに異物が挟まったり、砂泥等で詰まってしまった場合は、小さな案内輪先端のフランジだけの強度だけでは、心もとない気がします。特にカーブでの加重は、相当なもので、スピードを出しすぎたりしたら簡単に脱線しそうです。

 降雪の朝は、案内レールに詰まった圧雪や氷は、運行に致命的な影響を与えそうです。
車体重量がかかっていないだけに、跳ね飛ばしたり押しつぶす事が出来ず、乗り上げて脱線しないかと心配します。
札幌市電のような、案内レールをラッセルする竹ぼうき車が必要になったりするのでは・・・。

後、心配な事は、こういった直面するであろう問題点への対策が充分に行われるかです。この国では、新しい物が出来ると、直ぐに行くように言われます。後々に行くと、壊れていたりしても補修復旧が行われず、また初期段階での欠陥もそのままほったらかしが多いからです。
この点、フランスロアール社との完全なサポート体制が出来ているのか?

フランス地元でも走り出したばかりですので、まだまだ解決すべき問題点も発見されると思いますが、日本では、まだまだ実現出来そうもない路面交通システムです。
何事にでも、無謀と言われようが無視して、まずはやってみようとする積極的に挑戦する国民性を持っています。失敗は成功の元と、チャレンジを続けていただきたいと思っております。

ただ、遅い鈍いと言われようが、安全性は乗客を運ぶ交通システムの基本中の基本です。
自らの過信、不注意での事故を起こさぬよう安全走行に努めてもらいたいと願っております。

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【972】東西で話題の写真展・展覧会
 総本家・青信号特派員  - 07/8/4(土) 11:14 -
  
いま話題の写真展・展覧会が、東と西で開催されている。最近、訪ねた3つを写真とともに紹介しよう。
まずは、我らが佐竹保雄さんの写真展、梅小路蒸気機関車館で開かれている「うめこうじのSLものがたり」である。同館に保存されている18両の蒸機の現役時代のシーンを中心に展示したもので、さすがに佐竹さん、同じ番号でもあらゆる時代に渡って撮られている。憧れの名機C51225が梅小路に所属していた時代、美しい化粧煙突の同機が馬堀を行く姿が記録されているという具合で、その撮影の厚みには驚くばかりである。ちょうど、先週佐竹さんからお招きがあり、クローバー会の面々が馳せ参じ、なごやかなひと時を送った。ネガの整理はきっちりされている佐竹さんではあるが、「番号が指定されているので、ネガ選びには苦労しました」と苦心談を聞かせていただいた。夏休みには真っ先に行きたい写真展だ。
続くは、東へ飛んで、品川・キヤノンプラザ2階オープンギャラリーで開かれている、慶応鉄研三田会の写真展「鉄道に魅せられて」、さすがに三田会、古典蒸機から海外の最新特急まで、現役学生から80歳の会員まで、その数約110点、その量と質にはただ圧倒されるばかりであった。個々の会員の活動の深さ、会の結束力、資金力、どれをとっても脱帽せざるを得ない。当会の写真展も継続して開催することが決められている。マネをする必要もないが、その実行力には大いに触発される写真展ではあった。8月16日までなので見学はお早く。
最後は、本掲示板の藤本哲男さんのレポートにもあった、両国・江戸東京博物館の「大鉄道博覧会―昭和の旅は列車に乗って―」。さすがは東京、平日なのにすごい人の入りにまず驚かされる。小型蒸機2両の展示のほか、展望車、寝台車、3等座席の実物大モックアップ、ヘッドマークや部品の展示をはじめ、鉄道が黄金時代を迎えた昭和30年代の鉄道と社会の関わりが展示されている。初公開と言った特段珍しいものは展示されていないが、博物館らしい真面目で手堅い展示であり、見て損はないといった印象であった。

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【971】謝々、中国特派員殿
 乙訓の老人  - 07/8/4(土) 8:24 -
  
路面電車同好会々誌「とろりい・らいんず」でフランス、クレルモン・フェランでの昨秋開業の速報があり、その訪問記が掲載された。堺の試験線のコンクリート舗装は、硬化不良による速成工事の結果がありありと分かるものであった。「こんな手抜き工事の試験線を公開するなんて、お宅の会社の沽券にかかわりまっせ」と冷やかしてやったが、フランスでもアスファルト舗装区間で轍の跡が目立っていいるとか。乗り心地のこともさることながら、バウンドによる脱輪のことを考えると、とてもじゃないが高速運転など怖いのではなかろうか。
今後の安全運行を祈っている。

ところで堺市LRT計画は、事業公募に応募したのは南海・阪堺共同提案が唯一であった。これでトランスロール売り込みは消えたことになる。堺の臨海埋め立て地区から新日本製鐵撤退後、火の消えた姿を垣間見たが、跡地に関西の電気機器メーカーが進出すると報じられ、LRTも機能することを祈念している。
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【970】あらためて、天津現代電車ご紹介
 中国特派員便り Part18  - 07/8/3(金) 22:39 -
  
先ほど掲載の中で“トランスポート”は、“トランスロール”の間違いです。訂正します。

今出川浄福寺さんよりいただいた当局発表と、現地記者の記事をまとめて翻訳しますと、この近代的なタイプのトラムは、フランスのラウール社が研究開発し、現在ヨーロッパのたくさんの都市に急速に普及してきている。日本も積極的に導入を検討している。天津開発区では、ヨーロッパ以外で初めての採用を試しました。

1、現代電車のシステムは、比較的簡単で、都市内の一般道路に設置する事が
  できます。
2、総工費1.9億元(約30億円)。1kmあたりの建設費(含む電車)は、
  0.24億元(約3.8億円)です。地下鉄の6億元(約96億円)と路面電車の
  1.5億元(約24億円)と比較すると、格安です。
  ※日本では、地下鉄の建設費は、150〜300億円と言われています。
3、1本の誘導レールを挟んでゴムタイヤで走行します。走行騒音は低く、
  振動がありません。
4、美しい流線型の車体。車両の内部の設計は、人間工学的で、広々として
  明るく、側面の70%のとても大きな窓は、車窓観光ができます。
5、車体両側に6枚の自動扉があり、すべてのドアの入口は、IC及び切符支払機
  が設置されています。
6、ドアの内外には、緑色の押しボタンがあり、乗客は自分で押して乗下車できま
  す。
7、座席は、充分に広くてゆったりしています。
8、100%の低床構造で、地面までは25cmと乗下車は、とても楽。
9、3連接から5連接までと、運送量によって変更できる適応性。
10、今回運行した第1号線は、全線7.86km。14駅数、運行時間;7:00〜20:00、
  朝夕ピーク時は、7〜10分間隔、中間は、15〜20分間隔、所要時間は、
  30〜35分。
11、運賃は、全線均一2元(約30日本円)。ICカード利用は、50%引、
  学生割引は、70%引、軍人障害者、視覚障害者、当局が特別に認定する者
  は、無料で乗車できます。ICカードは、軽軌と共通。
12、第2号線は、全線20kmで計画済み。第3号線については、計画中。
13、現在の車両編成ですが、全車3両連接車で8編成が運用されています。
14、詳細な性能等の内容は、http://www.mitsui-tr.co.jp/goods/translohr.htm
  ご覧下さい。

【初乗車感想】
7月20日、天津駅までの建設が進む天津海濱軽軌に約20分乗車して、洞庭路(泰達駅)で下車。早速、地上に降りますと、周囲の風景とは場違いのような美しい車体が待っていました。第3回目の挑戦で、実際走行中の初対面です。

片側3ドアの中央が乗車ドアです。ICカードを見せると、若い女性車掌が受け取って自動読み取り機に触れてから返してくれました。車内は、奇麗に清掃されていましたが、座席の数は少なく立ち席優先設計と見ました。直ぐに運転席に向かい、いつものようにビデオを設置して、全線の乗車撮影を始めました。

泰達駅を出ると直ぐに大きく90度右カーブ、ここからは、片側3車線、まっ直線に延びた洞庭路の中央専用軌道を走行します。しかし、走行速度は、25〜40km程度で、どんどん横を走るタクシーやトラックにさえ追い抜かされていきます。瀋陽や大連のLRTも一緒ですが、折角の最高速度70kmの性能が発揮できていません。高加速と高減速度を誇るトランスロールです。せめて、50kmぐらいは出してくれないと、イライラ状態になります。

加速は、足がふらつくほど速く、さすがゴムタイヤ車と感じましたが、上下左右の震動が結構あります。誘導車輪が外れそうにもなろうかとの揺れです。コンクリートの路盤の水平性に問題がありそうです。これは、乙訓の老人が大阪の実験線で体験された以上かもしれません。

途中、立体交差する鎮海橋の下り走行では、減速、減速でのゆっくり走行でした。
ここから、周囲の雑然とした街並みは一変します。沿線は、日本企業の工場が多くなり、トランスロールは、新しい開発区の街に溶け込んでいきます。ただ、走っている車の数も激減します。
S字カーブを過ぎると、終点の学院北駅です。10数名の乗客が降りて、大学生が数10名乗り込んできました。バスもなく、周囲は開発途中で、ときおり車が走ってくる程度で、タクシーなんかいません。

学校近くの食堂を見つけ、水餃子をあてに冷たいビールで喉をうるおし、ここからは、徒歩での沿線撮影の開始です。しかし、待っても、待っても、トランスロールは来てくれません。やはり、中間時の撮影は辛抱忍耐が必要です。

ようやく、タクシーが通りかかったので止めて、タクシーからの追跡撮影に切り替えました。
浜幸さん同様、車の窓を全開にして、身をのり出しての決死の撮影です。トランスロールの運転手も気付いたのか正面ライトをつけてくれたり、手と振ってくれたりと、サービス良く答えてくれます。

全線をまわっての撮影、約300枚の中から1部を掲載させていただきます。
今、中国では、各大都市で地下鉄や軽軌の建設がものすごいピッチで続いています。でもこういった地上を走り街に溶け込んでいくLRTは、庶民的で親しみやすさを感じます。
またどこかの街で開通しましたら、カメラを持って訪れてみたいと思っています。

続いて、上海→北京CRH2初乗車記を掲載させていただきます。

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