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【1102】米子の思い出 I 藤本哲男 07/12/27(木) 10:08 [添付][添付][添付][添付][添付]

【1102】米子の思い出 I
 藤本哲男  - 07/12/27(木) 10:08 -
  
米っ子さんより【1046】で「日の丸自動車法勝寺線」廃止後の現況報告があり、【1048】で湯口さん、【1078】で乙訓の長老より、現役時代の報告があった。私も廃止を目前に控えた昭和42年4月29日に現地を訪れたので、その時の様子等をお伝えしたい。
 そもそも趣味誌での法勝寺線に関するまとまった発表は非常に少なく、長老が書かれているRP誌No89と、昭和40年頃に朝日新聞社より発刊された「世界の鉄道」に掲載された写真と諸元表くらいのものではないだろうか。残念ながら2冊共京都の実家の物置に眠っているため手許にない。鉄道関係の書籍、資料を全部取り寄せたいところであるが、今住んでいる狭いアパートは収納不可能なため、諦めざるを得ない。

 昭和42年4月28日の夜、廃止間近の法勝寺線、境港線のキハ07、一畑電鉄、廃止が噂されていた呉市電(同年12月17日廃止)を見学するべく、京都駅22時5分発普通列車下関行で出発した。20時頃から並んだため座れたが、連休前日のため山陰方面への帰省客、行楽客に通勤客が加わり超満員であった。通勤客は園部までの途中駅で降りていったが、鳥取まで満員のままであった。
 米子に到着後、踏切を渡って法勝寺線の米子市駅へ。程なく法勝寺からデハ207+フ53+フ100の3連が到着した。デハ207は長老の書込みにもあるように、元目蒲の車で、湯口さんの撮影された写真と比較すると、窓の二段化、戸袋窓の閉鎖、ヘッドライトの取替え等が行われている。最後尾のフ100は昭和40年2月18日付で廃止された一畑電鉄立久恵線からの転入車で、旧塗装のオレンジに白帯のままであった。折返しの法勝寺行はデハ207の単行で、途中の手間で米子市行と交換して約25分で法勝寺に到着。構内には元名鉄(←尾西鉄道)のデハ205が停まっていた。車体に鉄板が張られ、窓のサッシ化、戸袋部のHゴム化がされていた。
 同じ車両で折返し、手間で降りて、構内に停められていたフ50とフ55を撮影。フ50は米っ子氏の解説の通り、フ55は一畑電鉄広瀬線からの転入車で昭和3年蒲田車両製。次の電車(デハ201)で米子市駅に戻ったが、デハ201も車体は鉄板張りで窓のサッシ化、戸袋部のHゴム化が行われていた。廃止間近の休日にも関わらず同業者はゼロ、今回の旅行期間中、同業者には全く会わなかった。
 各車両の詳しい解説については、【1078】で長老が詳しく書いておられるのでお読みいただきたい。

添付画像
【デハ207+フ53+フ100 米子市.jpg : 47.4KB】

添付画像
【デハ201 米子市.jpg : 76.1KB】

添付画像
【デハ203 米子市.jpg : 53.5KB】

添付画像
【デハ205 法勝寺.jpg : 48.0KB】

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【デハ207 法勝寺.jpg : 27.6KB】
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