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【1104】53年前の出雲今市・荒島
 湯口 徹  - 07/12/29(土) 15:05 -
  
日の丸自動車法勝寺電鉄が出たのでヒマ老人も悪乗りし、53年前の島根側の写真を。

1955年3月山陽九州一回りから帰路山陰を通って京都の自宅へ。そこで一休みして栄養を補給し、北陸、信越、東北、関東、東海と私鉄―当然ながら非電化私鉄と軽便に絞り込んだ撮影行をした。

家を出たのが3月15日、薄暗い出雲今市に降り立ったのが22日。昨夜来何も喰っておらず、慢性・絶望的空腹と疲労、それに半端でない降雨と寒さで元気も失せていたが、何とか今日中には家に帰ってメシが喰えると最後の一踏ん張り。

まず出雲今市の救援車ホエ7033を。当時ほぼ絶滅していた関西大ボギー車=独特の屋根端面と窓上のかまぼこ型飾りが特色であった。経歴は関西113→ホハユニ8223(形式8220)→ホユニ8738(8735)→ナユニ5653(5650)→ホヤ6662(6660)→ホエ7033(7000)となる。

一畑電気鉄道は以前にも書いたが非電化の立久恵線が本命で、これがなければ山陰線は乗り潰しだけで下車する必要もなかったから、いわばオマケである。クハは2両共国鉄の木製客車の改造で、109は鉄道作業局の雑型車ホハニ4060、120は大型車ナハ22033が種車。いずれも後藤工場改造だけに、同類ながら自前改造のお粗末極まる弘南鉄道とは段違いの手際である。

荒島−出雲広瀬間8.3kmの島根鉄道(←山陰中央鉄道←広瀬鉄道)は3か月半前の1954年12月1日一畑電気鉄道に合併され広瀬線になっている。デハの社紋は一畑に書き直してあるが、サハ4のそれはうっすらながら山陰中央のものである。

この線は2軸のデハ1、2とサハ3、4がオリジナルで車体は同じ。一見で蒲田車両製が明白である。蒲田車両は高利貸を兼ねた零細メーカーで、資金が極度に乏しい零細田舎電気鉄道に長期割賦支払条件で高額の車両を販売、あるいは電化資金を融資した。この顧客(餌食?)には他に雄勝鉄道(→横荘鉄道→羽後交通雄勝線)、光明電気鉄道などがある。

このサハ4は広瀬線廃止(1960年6月20日)後北丹鉄道のハ12になったから、ここで見た向きも多かろう。デハ6はこれも一目で(小生でも)尾西鉄道102→名古屋鉄道102→と出自が分かる。詳しくは乙訓老人が黙ってられまいて。


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【一畑電鉄クハ109.jpg : 195.4KB】

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