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【1130】若者2人「暁に祈る」その2
 湯口 徹  - 08/1/17(木) 10:52 -
  
1962年時点の小海線各駅前はいずれも素朴そのものだった。清里駅前には2〜3軒の、勿論100%地元民のため・かつささやかなパパ・ママストアがあり、1軒の店でいろんな種類の日常品や食品を売っていた。肉というと地域柄馬肉で、牛肉なら特定する必要があった。

清里の清泉寮はその時点既にかなり有名だったが、他に旅館の類があったかどうかは記憶がない。野辺山には確か2軒程あったか。シーズンを外れた1月に旅行者もなく、語彙の不足が指摘されようが、ともかく「素朴」「朴訥」以外の言葉が浮かばなかった。

貨物列車は小淵沢行きが夕方に1本だけ。清里からの3パーミル勾配直線区間で待ち受ける。正面は小生の嫌いなベタ光で、エクタクローム・ハイスピードの発色もいいとはいえない。135mmをカラーからトライXに付け替えて逆光バックを。

流石にもう一晩海抜1,370mで野宿する気は起きなかった。記憶は乏しいが、確か清里駅待合室でステーションホテル(略してステホ)したかと思う。ここでも海抜1,274mである。

先回書いた通り、我々2人はその後秋の野菜臨列車を含めた小海線に10年間入れ込むことになる。ただキャンプ等のいわばアウトドアライフが楽しく、列車写真撮影が疎かになったのは確かである。

その後川俣川の谷底に川俣鉱泉龍泉荘なる、名前は立派だが親父1人が何から何までこなすボロ宿を見つけ、何度か、それも吉田耕司氏や沖中忠順氏も引き込んで泊まったものである。甲斐大泉から33パーミルの上りが続き、谷のどんずまりで180度向きを変える、その馬蹄形カーブのはるか下の谷底にある。

またもっと後になるが、野辺山駅前の野辺山荘の親父とも仲良くなり、吉田氏はひと夏そこに居候兼雑役を勤めたこともある。当時野辺山駅長だった由利氏とはそれ以前に仲良くなり、彼氏が退職後信濃川上の自宅に訪ね、酒を振舞われた想い出もある。

小海線を思い出すとキリがないので今回は、1964、1972年撮影のC56貨物写真をご覧に供しお終いとする。その後何故か清里が超ミニ・エセ表参道化し、我々おじさん=郷愁に浸るおじん族とは無縁の土地と成り果てた。地元にしたら村おこしで一生懸命なのは解るのだが。それでもハイブリット気動車キハE200だけは見ておきたい気はする。

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