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【1384】エッチング板をお譲りします
 西村雅幸 E-MAIL  - 08/5/27(火) 21:20 -
  
尼崎の運転会がきっかけで模型製作に火がついた三原の西村です。戸棚の中から 学生時代に買っていた模型材料を出してみたところ いろんなエッチング板が出てきました。それぞれには思い出があるものの 今後これらの板が立体的な車体になって レールの上を走ることはないような気がして 会員の中で もし欲しい方がおられればお譲りしたいと思います。すべてHOゲージで 台車など付属品はなく
車体エッチング板だけです。
1.C108
2.南海5122
3.DB108 車体(板厚0.5)と床板、台枠、ロッド(板厚1.0)のセット
4.ED177
5.ED1715
6.ED1727
7.ED141
ご希望の方はメールでご一報下さい。

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【1383】写真展 2008 「京都の特急」 いま...
 乙訓の老人 E-MAIL  - 08/5/27(火) 20:30 -
  
今年は京阪でなく、京都を中心に東西南北に出で立つ、あこがれの特急列車の数々を紹介することにしました。C62先頭の「つばめ、はと」、新幹線N700系等々、
半世紀を超え見守っているクローバー会メンバー有志が、26景を選び展示します。
会場:七条川端(京阪七条)東入る、集酉楽「しゅう ゆう らく」
                (ファミリーマート京阪七条店 2階)
会期:6月3日〜6月29日、10:00〜18:00、(月曜休み)
担当:臨特クローバー会 佐竹、沖中、田野城、井原、福田、福島、玉田、
お断り:今回の写真展はクローバー会の公式行事ではありません。


[朝粥食べて、おシャベリ会] 

日時:6月15日(日曜)朝9時開会 会場:写真展と同じ、会費:300円、
参加方法:申込制、6月13日〆切り、満席次第打ち止め、
申込みは、電話 075(561)7974 またはFAX 075(561)6710 までお願いします。
講演:中国新幹線事情 講師:DRFC中国特派員 小西啓文大先生
講演時間は9:00〜9:30、遅刻したら入場をお断りする場合がございます。
朝粥会終了(10:30)後、おしゃべりを楽しみたいとおもいます。
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【1382】Re:天然色で振り返る 40年前の日々 −7...
 K.H.生(弘津 興太郎)  - 08/5/27(火) 8:50 -
  
先日の模型運転会、お疲れ様でした。感慨深くも小生も楽しませてもらい
かつ新しいスタートにしたいと思いました。

万博、懐かしいですね、長老各氏のおられる前で自慢もできぬが
後輩さんたちよ、今年は「明治140年」なんですよ。
1968年、昭和43年は「明治100年」で日本中で記念事業で盛り上がったものです。
その年に生れた皆さんがもう40歳とは。いや。

この頃は郵便事業や鉄道事業が次々と100周年を迎え、趣味的にも盛り上がったものでした。
いまの平安、平城遷都ン年とか源氏物語1000年とは違い、身近な話題で
社会も元気である程度の余裕があり、そういうことを楽しめてたと思います。

北海道100年と云うのはそれ以上に開拓やフロンティアの苦労を偲び
思いの深いものであったと想像します。
入植3世くらいが元気だった時代、どこに行っても家の先祖はどこ出身で
というような昔話を親近感を持って話してくれました。
いまの「allways」のような昔を懐かしむのとは少しスタンスが違うと思います。
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【1381】Re 見慣れぬ485系、GW水戸線で見ました
 tsurukame E-MAILWEB  - 08/5/27(火) 8:20 -
  
5月3日から6日まで、水戸線下館駅で、小山方面に向かう上り臨時で見ました。
4日間とも時刻は午前10時5分頃でした。5月3日、孫・小6のカメラに収まっていました。

左手が水戸線下りホーム、同ホームの反対側が真岡鉄道のホーム、10時16分発2両連結DCが停車。側線に10時37分発蒸機もおか号が退避。DCの出発後、一旦前進、バックで乗車ホームに進入。この日も蒸機の人気は高く満員でした。

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【1380】RE.おおみや鉄道ふれあいフェア
 藤本哲男 E-MAIL  - 08/5/26(月) 22:24 -
  
【1377】でデカンショまつり号さんより5月17日の「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」の報告があったが、私も所用で高麗川に行く途中、大宮で途中下車して一寸覗いてみた。11時50分頃自宅最寄の金町駅で電車を待っていた時、見慣れぬ塗装の485系の回送が通過。西日暮里と赤羽で乗換え、会場に到着したのが午後1時頃であった。EF65535とEF5893の周りは殺気立っており、ヘッドマークがデカンショまつり号さんの時と前後逆になっていた。JR貨物の方では、ED6217とEF651001を比較的落ち着いて撮影したが、皆さんEF651001の方に目が行き、ED6217に注目している人は少なかった。

ED62は飯田線の旧形電機置換えのため、昭和49年から昭和54年にかけてED61に走軸追加を行い軸重の軽減を図ったもので、18両全機飯田線に集結し、全線に亘り活躍した。

我々世代が現役の頃は、豊橋〜中部天竜間がED17、中部天竜〜飯田間がED18とED21、飯田〜辰野間がED19とED26で、その後、EF10が豊橋〜飯田間に入り、ED17とED21を置換え、ED18を北部に転属させて伊那電鉄買収のED26を置換えた。

ED62で国鉄時代に廃車された車両の内トップナンバーのED621(昭和62年2月廃車)はJR東日本長野工場で保管、ED6214(昭和59年2月廃車後機械扱いで浜松工場の入換機として使用)は平成3年7月より佐久間レールパークで展示、JR貨物に引継がれた8両(3〜7、15〜17)の内、最後まで残った17が大宮で保存され「ふれたいフェア」の時に展示されている。

今後もこのようなイベントを見学に行かれる方は多いと思われる。そこで法被とは言わないが、デザインを公募してクローバー会のバッチかワッペンのようなものを作成してはいかがなものだろうか。

1.    金町を通過する見慣れぬ485系
2.    金町を通過する見慣れぬ485系(後追い)
3.    EF65535とEF5893@
4.    EF65535とEF5893A
5.    現役の頃のED621(昭和51年11月23日 辰野)

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【1379】天然色で振り返る 40年前の日々 −7−
 総本家・青信号特派員  - 08/5/26(月) 22:12 -
  
函館本線山線でC62重連を堪能してから、札幌にやってきた。一泊後、早朝の札幌駅前で写した光景がこの一枚。
自動車がほとんど見当たらない、閑散とした駅前に停車中の市電は、A830形連接車。その後、昭和51年に名鉄美濃町線へ移りて2005年まで働いていた、あのモ870形の札幌市電時代の姿である。とにかく窓の大きなヨーロピアンスタイルは、人々の度肝を抜いた。カラーもグリーンの濃淡で、小窓改造もなく冷房も付いていない原型時代である。当時、札幌市には地下鉄もなく、市電が全盛の時代で、ディーゼルカーや連接車、親子電車を続々と生み出し、路面電車では先駆的な都市でもあった。
駅前は、現在では道路中央にグリーンベルトができて、このような広々とした印象はなくなった。反対方向を振り返っても、一直線の道路の先に、すすきのあたりまで望見できたが、今は街路樹が遮り、見通しが利かない。左手は地上時代の札幌駅。北海道の民衆駅第一号として完成したが、商業施設は僅かで、上層階は札鉄局、北海道総局が占めていた。
右手の茶色のビルは、五番館デパート。当時札幌では唯一の百貨店で、駅前にはここぐらいしか商業施設がなかった。右端に「万博まであと◎日」のカウントダウン時計がある。2年後のことなのに札幌でも掲示してあるのを見るに付け、いかに万博が国家的な大プロジェクトであったかが分かる。過日、久しぶりに訪れた札幌は、洞爺湖サミット一色だった。万博とサミット、思わず時代の隔たりを感じてしまった。
市電をよく見ると、祝日でもないのに日章旗を立てている。この日、昭和43年9月1日は、北海道ができてちょうど百周年に当たる開道百周年の式典が、午後から天皇、首相が列席して行われる記念すべき日でもあった。札幌駅前も心なしかか晴れやかさと緊張感に包まれていた。これから、そのお召列車を追って、道内を駆け巡ることになる。

▼tsurukameさま
「ゆうづる」と「龍ケ森」の記事ありがとうございました。東北本線での「ゆうづる」は、上りは完全な夜、下りも青森寄りでないと撮りにくい時間帯で、たいへん貴重なシーンです。よくぞ撮られたものと敬服いたします。赤と青の編成はまさしくカラー向きの憧れの列車でした。「龍ケ森」のヒュッテに2回も泊まられたとは驚きです。スキー客でいちばん賑わっていたいた時代の貴重な資料で、当時の盛鉄局の意気込みが伝わってきますね。

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【1378】おじん2人ヨーロッパ軽便 その22-1
 湯口 徹  - 08/5/25(日) 14:09 -
  
IL TRENINO VERDE =サルディーニャ島「緑の列車」その1 島に着いたら・・・

今回は2003年6〜7月訪問のサルディーニャ島を当分続けさせて頂くが、そもそもどこにあるか。イタリア=長靴の真中、西寄りにローマがあり、ティレニア海を隔てた西側にコルス島(コルシカ島・フランス)、そのすぐ南がサルディーニャ島(イタリア・特別自治州)で、地中海第二位(一位はシチリア島)の大きな島でもある。

面積約24,090平方キロ=四国の約1.3倍で、人口160万人の1/3が首都カリアリとその近辺に集中している由。先住民時代からフェニキア、カルタゴ、ローマ、北アフリカのヴァンダル、サラセン、スペインと征服が重なり、1861年にサルディーニャ王国がイタリア王国に統一された。ピサやジェノヴァの植民地だったこともある。

日本からのヨーロッパツアーはイタリアが最人気地だが、さりとてサルディーニャ島へのツアーなんぞ聞いたこともあるまい。有名地に行き尽くした人向けに、ゲリラ的小旅行社のツアー(恐ろしく高価)が、探せばないわけではないが。

この島には国鉄(標準軌間、一部電化)がカリアリ、サッサリ、オルビア等の要地を結んでいるが、軽便鉄道がかつて全島に広がり、その大分が廃止されたが現在もなお主として山岳地帯に残存・運行しているのは、おいおい講釈に及ぶ。

おじん2人は単に経済的理由でコリアンエアを選択し、インチョン新空港乗次でローマへ。1時間早着でも荷物が中々出てこず、予約したホテルの案内所で迎えのリムジンをまた小一時間待つ。場末?のヘンなところを走って着いたホテルもかなり奇妙だった。

送迎がなければ誰が泊まるかというホテルだが、何と陸軍御用達らしく、軍用車両や兵士の一団も到着。翌朝またレオナルド・ダビンチ空港に戻り、晴れてサルディーニャ入り。

ところが小生のバックパックは無事だったが、先達相棒のそれが出てこない。同様な乗客は20人を下らず、次の便だろうと、皆の衆文句も言わずじっと辛抱。次便も駄目で、カートごと違うフライトに積んだらしい。幸い国内のようで、明日午前中に来たら渡すと、別段謝るでもなく2時間ばかり後に知らされ、誰も怒鳴りもせずおとなしく消えていった。ちなみに日本人は我々だけだった。

我々はこの空港でレンタカーを借り、今日中にマンダスまで行くつもりだったのを、急遽変更しカリアリに泊まり、明日荷物をゲットしてからと、初日から予定がずれる羽目に。このあたりオロオロするだけの小生と違い、すぐ判断し対応できる相棒の危機管理能力が凄い。ロストバッギィジはかつてのドイツで出くわし、これが二度目だが、できれば経験したくない。

ともかくカリアリで宿を探すべく立ち寄った観光案内所は長いシェスタ中で、ともかく自分で探し確保。気を取り直し、サルディーニャ鉄道の(現在の)終点に。地図ではこのあたり、といくら探しても見付からないのは、普通のビルの一階が終着形式のささやかな駅になっていたから。

実はここから路面併用で港まで南に線路が伸び、貨物を船や国鉄に積み替えていたが、その路面区間をプッツリ切り捨てたのである。薄暗い中で高校生が何人か列車を待ち、あたりはまるでビル裏の空地で、流線型のディーゼルカーが1両止まっていた。

日暮れまでの時間、カリアリ市街の北側に隣接するモンセラット(標記発音には責任をもてない)車両基地まで車を走らす。道は広かったり、急にローマ時代?の狭い石畳の一方通行になったり。突然ロータリーの中央緑地に蒸機(ブレダ製)と貨車の保存車両が目の前に現れた。もう一度行けといわれても自信はない。

車両基地は土曜日の夕方で人気はなく、勝手に煉瓦塀の扉から入って驚いた。広大な敷地に車両がどっさり、は確かだが、その半分?は廃車だったからである。ギリシャでも廃車両の大量放置を見たが、ここもハンパでない。それも蒸機、DC、客貨車が、中には屋根が朽ち、あるいは半分焼失車も。車両の講釈も後ほどに。

ひときわ綺麗な蒸機がいる。GOITO なる固有名詞のウインターツル1894年製アウトサイドフレーム1C機43で、しかも現役である。大分前日本人の別嬪さんが一人で荷物も持たず旅をし、この GOITO を擬人化した心象映像?がNHKで放映された。夏のみ運行のアルバタックス線で冬にチャーターし、ヘリまで動員しての撮影を覚えている人もいるだろう。

ゴイトの後ろは OM Regginane 1931年製1C1機で、カプロッティ式弁装置(茸型の弁=内燃機関に近い)を持つ。日本ではワルシャート式が最優秀と信じ込み?、かような新しい方式を一切採用しなかったのは、国鉄工作局エリート技術者の偏見と強迫観念ともいうべき「過度の標準化思想」で、結果として進歩から取り残されてしまうのだが。

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【1377】JRおおみや鉄道ふれあいフェア(国鉄色第...
 デカンショまつり号 E-MAIL  - 08/5/25(日) 0:00 -
  
今日は、先日、第一線を引退したEF65535に会いに「JRおおみや鉄道ふれあいフェア」へ行ってまいりました。関東地方は、雨という天気予報でしたが何とか午前中は、もってくれました。昨年は、鉄道博物館入りするC57135、EF5889や先日掲示板に投稿があった龍ヶ森のオハ31の兄弟たちが屋外で展示されていましたが、今年は、期待されていたEF5861の登場もなく、JR貨物所属機主体で、今ひとつの様な感じですが、さすがにEF65535だけは、カメラの熱い視線を浴びていました。
一枚目は、青大将つばめままーくのEF5893と並ぶEF65535さくらです。
EF5893自体、現役時代青大将塗装になったことないとのことですが、末期に宮原機関区から東京機関区に転属し、引退後、大宮工場で体験運転に使用されたカマで、強運の持ち主か、今に至っています。同じく大宮工場で保管されていたEF58125は、何年か前に解体されています。
二枚目は、引退の際、使用した富士+はやぶさ+さくらの惜別マークのEF65535です。
三枚目は、検査施行中のDE101663の車体です。
四枚目は、引退したEF651001です。パンタを上げていないので、あけぼののヘッドマークをつけていますが、解体待ちのように感じてしまうのは、私だけでしょうか?
五枚目は、ED6217です。893−2さんと飯田線に通っていたころ、よく元善光寺からのタキを引いていたカマです。あの頃が懐かしいです。

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【1376】阪神電車が近鉄を走る
 893-2  - 08/5/24(土) 23:21 -
  
来年の春からの阪神電鉄なんば線伸延に伴う相互乗り入れの
準備として、先日20日から阪神電鉄1000系の増結編成が
近鉄に貸し出され奈良線での試運転を開始しました。
機会に恵まれ、試運転を見ることができましたので、
簡単にレポートします。
試運転は1503F+1504Fの計4両の附属編成を使用し
西大寺〜東生駒〜東花園間で行われています。平日の10:15に
西大寺を出て東生駒〜東花園を2往復(未確認ですが)し15:30〜16:30
くらいに西大寺に戻る行程で各種の試験をと乗務員の訓練を行うようです。
1000系は阪神では1141形以来70年ぶりの近畿車輛製となっているようです。
個人的には昨年、尼崎の側線で昼寝している1000系を見たことがあり
初めて見た車輌ではありませんでしたが、近車製のためか近鉄線上で見ても
さほど違和感を感じませんでした。ただ現役時代には考えもしなかった
阪神の近鉄線走行がすぐそこまで迫っているのが実感できました。
長生きしてみるものですね。
1000系は近鉄入線に際して高安で「なんば線開業」ラッピングを施されて
います。今後は9000系も入線し試験を行うようです。
写真は上から
・生駒トンネルを抜けて石切駅に進入する1000系
・石切駅で「奈良行急行」と並ぶ1000系
・車体側面のラッピング(見づらいですが)

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【1375】Re:運転会はおもしろかった!しかし・・・
 今出川浄福寺  - 08/5/24(土) 15:23 -
  
場所は、航空写真で見るとこんな所。
誰しも興味を持たれる線路敷きの様な空き地ですね。

ttp://maps.google.com/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=34.748828,135.510843&spn=0.001966,0.004994&t=h&z=18


この土地のいきさつについては、下記サイトの方が詳しく識されております。
某元政治家が絡んだ話など色々ありますから是非ご一読を。

大阪外環状線
ttp://d.hatena.ne.jp/katamachi/20080118/1200686015

城東貨物線
ttp://d.hatena.ne.jp/katamachi/20080313/1205354530

直リンしておりません。コピペでどうぞ。
引用なし
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【1374】そうだ!北陸へ行こう!(Re:糸魚川から富...
 ロクイチ  - 08/5/24(土) 13:47 -
  
 JRCの南禅寺の山門をバックにしたCM「肩に花びらが落ちてきました。どんな大画面テレビでもできない お花見でした。」というなかなか感動的なコピー(関西では余り見かけることがありませんでしたが、関東・中京地区で知らない人はいないと思われるコピー)の影響で多くの観光客の皆さんが、今春は此処、京都にお越しなりましたが、
 それでは、我々も!と言うわけで、ブギウギ会員とともに、GW明けの5月9日(金)から11日(日)にかけて、「キハ52のDMH17の排気を浴びてきました。どんな大画面テレビでもできない 鉄チャンでした!?」を楽しみに北陸方面に出かけてきましたので遅ればせながら報告させて頂きます(笑)。

▼ブギウギさん:
>北陸で国鉄型を満喫しようとのロクイチ氏の提案を受け、5月9日、急行きたぐにでまず直江津へ向かうことにしました。天井の高いサロはなかなかのものです。きたぐにといえば、座席の自由席か3段寝台でしたのでグリーン車という選択は当たりだったと思いました。

 9日の23時にブギウギ氏と御堂筋口で待ち合わせて501M「きたぐに」のサロで出かけてきました。前回の「なは」号の時の様な喧噪もなく、いたって普段着姿の週末の(残り少なくなってきた国鉄時代の香りの残る)夜行列車を楽しんでくることが出来ました。大阪駅一番北側の10番ホーム(以前の8番ホーム)で、列車の入線を待つしばしの間、かつて毎週末のように夜行列車で国鉄全線完乗をされた宮脇俊三さんや、ヒマラヤ山系氏を伴って按摩の笛の音(カマの汽笛)を聴きながら優等車両で夜行列車を愉しまれた内田百間(正確な字が出ないので代用します)氏も我々と同じような高揚感で列車の入線を待ったのかなぁ〜とブギウギ氏としゃべりながら、国鉄時代に想いを馳せることが出来るのも同好の士との旅の愉しさですね。全国で定期運用につくことが出来るサロ581は3両(配置は5両ありますが)のみですが、その乗り心地は翌日の鉄チャン行動のことを考えても十分マンゾクの行くモノでした。お奨めです。

>筒石のトンネル駅を体験した後いよいよ大糸線のキハ52です。

直江津から、筒石までの532M(写真1)は今日は、国鉄急行色の車両で、旅の幸先は良さそうです。一旦下車して、駅構内を徘徊(?)して次の534Mで糸魚川へ。
途中やってきた下りの直江津行き523M(写真2)は419系でした。

>今日は旧塗装の125号車でした。100番台なので本来旧塗装の時代はなかったのですが、外見は0番台車と変わらないので違和感はありません。いったん南小谷までDMH17エンジンの重厚な音を楽しみながら折り返し、根知駅の近くで走行写真を撮りました。

当日はお天気が悪かった(曇天)のでアルプスの山々をバックに撮影するのは諦めて、先日の「デカンショまつり号」氏の水を張った水田の水鏡に写る列車の様子が素晴らしかったので、我々も根知駅近くの水田で走行写真を狙いました。(写真3)

>魚津で魚料理の昼食を食べ、今度は富山地鉄です。西魚津の駅などでオリジナルの14760系や元レッドアローの16010系、元京阪の10030系などを撮りました。今回は天気が悪そう(実際に曇りや雨だった)ので駅撮を前提とした機材にしていました。手振れ補正の暗いレンズだったので夕方になると走行写真が苦しかったのですが、初めから露出が2段暗いのを承知でRAW撮りしておいてパソコン上で修正をかけました。本当にデジタルになってフィルム時代には撮れなかったことにも挑戦できるようになったものです。昭和中期の雰囲気の残る富山地鉄(でも車輌は全車カルダン空調車)に、今回乗れなかった昭和30年代製の10020系も狙ってまた時間をとって行ってみたいと思いました。

 富山地鉄の西魚津駅(写真4)は、我々の子供の頃の昭和の時代の香りが漂う良い雰囲気の駅で、私が好きな鉄道ジオラマ制作の第一人者「宮下洋一さん」のジオラマの中に迷い込んだかと錯覚するような駅で一日いても飽きないように感じました。駅を通過するのは京阪3000系や西武5000系、自社発注の高性能車など
の2両編成の昭和の車両たち。隣のJR北陸本線は、475系などの国鉄型車両や、681系のはくたかなどの特急車両も数多く行き来し、流し取りの練習などにも事欠かない当方にとって楽しいスポットでした。(お天気が優れないことだけが難点でした。)
 西魚津駅周辺はチューリップの生産地としても知られ、一月ほど前には綺麗なチューリップ畑の中を掛け抜けるJRや富山地鉄の撮影が楽しめるようですが、また一度はそのころにも出かけてきたいと思います。
 富山駅に向かおうと17時13分発の普通列車を利用したところ、これまた元西武5000系「レッド・アロー」の16010系で特急券なしでリクライニング車を利用できラッキーでした。(写真5)
 
>夜は富山のライトレールに乗ってからホタルイカなど地のものを肴に飲みにいきました。翌日ロクイチ氏は早朝5時半富山駅で急行能登や特急北陸の撮影に向かいましたが、私はいったん起きたものの朝寝してしまいました。二日目は南富山から軌道線に乗り、有名撮影地倶梨伽羅で何本か撮影しました。帰りは雷鳥パノラマグリーン車クロ4812001です。しかも運転席のすぐ後ろで迫力満点、切符を確保していただいたロクイチ氏には感謝です。今回も単独行では味わえない面白さや発見があり収穫の多い二日間でした。

富山駅以降ついては改めて書込みさせて頂きます。

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【1373】早起きは3本の得!?@富山駅(Re:早起き...
 ロクイチ  - 08/5/24(土) 12:52 -
  
「そうだ!北陸へ行こう!Part2」

年のせいか最近、朝起きる時間が早くなってきています。
今回の北陸行でも土曜日の晩はブギウギ氏と富山の地酒や地の魚介類を中心に呑んだので、朝起らきれるかな?と思いつつ、ベッドに入ったのですが、目覚ましが鳴る5時丁度ぐらいに目が覚めました。(シングルルームだったのでブギウギ氏とは
お互いに起きることが出来れば撮影に出かけましょう!と取り決めておりました。)

そそくさと身支度して、カメラバックをぶら下げて、富山駅へ。
現在、富山駅は新幹線対応の高架駅への工事の準備中で仮駅のホーム群が現在の駅の北側(以前、富山港線のホームがあった側)に軌道工事までできあがっています。宿泊したホテルからほど近い、駅北側の北改札口は5時50分ごろから利用開始とのことで、地下道を通り表の南改札へついたのが5時20分頃。

大阪行き「日本海」号の到着が5時28分で、何とか時間的には間に合いました。(やれやれ・・・)

ただ、昨夜からの雨が降り続いており、露出はISO1600の力を借りても
f2.8の開放値ぎりぎりで何とかでした。(でもISO1600でなければ
駅停車時でも三脚が必要でデジカメ様々です。)

○「1枚目」5時28分定刻に青森からの4002レ「日本海」が到着した後は
○「2枚目」5時33分着の上野からの3001レ「北陸」
○「3枚目」5時41分着の同じく上野からの601M「能登」
 と、次々に2番線にやって来ます。

 凡そ、10分程度の間に夜行列車が3本も立て続けにやって来るところは
現在の日本ではこの辺りだけではないでしょうか?
小学生や中学生のころに良く撮影に出かけた大阪駅の6時〜7時台の九州からの夜行列車銀座を思い出させる光景を愉しませて貰いました。

また、「4枚目」の写真はJR北陸本線と富山地鉄を繋ぐ連絡線の現在の様子です。標識類から交流と直流のセクションであることが判ります。

今後、新幹線工事が本格化してくるとこのような光景も目に出来なくなるのでしょうね。

▼デカンショまつり号さん:
>今日は、遠方から夜通し走って、ねずみがキャラクターの遊園地に行く国鉄色のそれにしても、波動用の489系H4編成はボロボロでした。

能登号に使用中の編成も結構塗装が痛んでいましたよ。
それに窓越しに見る限り、乗車率も余り良くなさそうでしたね。

でも、早起きしての撮影行も結構楽しいモノですよね。
特にこれから夏至にかけての日の長いシーズンは・・・・。

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【1370】GW、TX・常総線・水戸線を眺める
 tsurukame E-MAILWEB  - 08/5/24(土) 9:23 -
  
根っからの兵庫県人の筆者は、1976年から1995年までの20年間千葉県柏市に移住しました。阪神大震災直後尼崎に戻りました。既婚の長女を茨城県友部(現・笠間市)に、次女を柏市に残してきました。お陰で孫たちと共に、真岡鉄道を訪ねるベースキャンプ地ができました。

GW期間の真岡鉄道の成果は先だって報告済みです。今回は下館までの関東鉄道、および水戸線の話です。

先ずTX。柏の次女宅から、流山おおたかの森駅乗車。元勤務先の顔料と樹脂製造工場は、TXの通過で移転を余儀なくされました。元の場所を探してみるが、辺りの様変わりと高速通過で探せず。かしわたなかでも様変わり、元の自宅付近も、TXで消滅した娘の高校付近も判らず。すぐに守谷到着、常総線に乗り換える。

取手−水海道間がなんと複線、50kg軌条ではありませんか。昔仕事でこの付近を通過した時、鬼怒川沿いをコトコト走っていたのと大違いです。休日でキハ35などの運用はありませんでしたが、眼にする車両は立派で綺麗だし、高速運転でした

常総線の車両写真2枚をアップします。いずれも車両側面いっぱいのペインティング(マーキング・フィルム)です。内の一枚は、駅の自社ポスターを車両側面に貼った感じのもの。アイディアは面白かった。もう一枚は通常の広告スタイルでした

水戸線電車や友部での常磐線電車は、どこにでもあるシルバースタイルで筆者にとりあまり面白くなく、カメラも向けずじまいだが、孫たちは盛んにシャッターを切っていましたので、内1枚、岩瀬駅での対向車を掲載します。

友部駅のホームで想い出しました。昭和38(1963)年、同志社明徳館で一般学生を対象に、DRFCが映画会を開催した。亀田君と二人で大阪鉄道管理局から借り出した16ミリ映画、岩波映画『ある機関助士』の物語です。水戸駅でC62を付け替えた急行『みちのく』を引き継いだ機関士と助士。17:24発車は5分遅れ。取手までに5分を取り返すべく夕闇迫る常磐線を上野に向けて突っ走る実録映画です。水戸を出て間もなく『友部通過!』、機関士、助士が叫ぶ。このシーンを想い出したのです。

電車区間の取手までに、遅れ5分を取り戻した『みちのく』は、すっかり暗くなった柏、松戸を通過、定刻19:09上野に到着。電化前昭和37(1962)年、蒸気機関車の時代を生きた男達の記録でした。


緑一面のだだっぴろい関東平野、山など遠くにかすんでしか見えない畑の中を、色褪せたディーゼル・カーがただ一両でコトコト走る。そんな風景ははるか昔。あーあー、昔のことしか話せないお爺さんは、孫たちと別れてトボトボと常磐線各停で上野に向かい、尼崎に帰ったのでした。

写真は、上から順に
1.関東鉄道常総線下館駅、キハ2202、’08.05.03
2.同上線、水海道駅、キハ2302ほか、’08.05.05
3.JR水戸線、岩瀬駅、対向車2737M、小6T君撮影、'08.05.06

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【1369】Re:天然色で振り返る 40年前の日々-5-
 井原 実  - 08/5/24(土) 6:24 -
  
▼総本家・青信号特派員さん:
>龍ヶ森のオハ31

龍ケ森はその後駅名が変わり、安比高原になった。
重そうな駅名より「・・高原」の方が垢抜けて洒落ているのだろうが、
軽くて安っぽい感じもする。

龍ケ森といえば、総天然色ではなく部分天然色の思い出がある。
昭和44年夏の大狂化合宿の折、テントを張って就寝中、
夜中に雨が降ってきて、ほとんどの会員は近くの小屋に避難したが、
同じテントだった三重県出身のT氏は水がテントの中に入ってきても
頑として動かず、ローソクの火でスルメを炙ってうまそうに食べ、
私にも勧めるので少しもらって食べた。ところが、翌日解散後、
青森で時間が余ったので、同行の京都市五条のS氏と駅近くの
映画館に入ってパートカラーの映画鑑賞中だんだん腹が痛くなり、
トイレに行っても治まらず、映画どころではなくなり
やむを得ず途中で映画館を出て駅に戻り一時預かりからリュックを出し、
S氏に薬をもらって飲んでしばらくしてようやく回復した。
S氏にはたいへんご迷惑をかけた。この場を借りて深くお詫び申し上げる。
後で聞くと、T氏はピンピンして何事もなく無事帰還されたそうな。

龍ケ森のオハ31をご覧にいれる。
43年8月27日と44年8月26日の撮影である。
この1年間に塗装が変わった。5両のうち、オハ31179(広島で廃車)
だけ番号が判明している。『盛岡鉄道管理局25年史』には
「国鉄ヒュッテ」は42年12月から開設されたと記されているが
これは誤りで、35年12月10日が正しい。
その後、50年頃にオシ172016+スハ32×2両と交代し、
お役御免となった。

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【1368】Re:懐かしの阪急210型
 西村雅幸 E-MAIL  - 08/5/23(金) 20:44 -
  
この運転会のご案内を頂いてから 毎晩少しずつ作業を進め なんとか完成にこぎつけた江若4両を携えて会場に向かいました。30数年前に卒業と同時に三原に移り住んだこともあって 年賀状のやりとりは続いていても30年ぶりに顔を会わすのは何だか気恥ずかしいような 何とも複雑な気持ちで会場に入り なつかしい面々のお顔が目に飛び込んできたとたんに 30数年のブランクは消え去りました。「一気にタイムスリップ」を実感しました。
 江若は持ち込んだものの 当社には短い試運転線しかなく 大レイアウトをちゃんと走ってくれるかのか全く自信がなく、何か他に持ってゆく車両はないかと戸棚の奥を探したところ 阪急の3連が当時に納めた箱のまま出てきました。ぷるぷるさんが書かれているとおり EVE運転会のために3人で1両ずつ作ったことを思い出し 江若以上に持ってゆくべきと思って持ち込みました。唯一残念なのは211
を作ってくれた林伸一君に会えなかったことですが、その分ぷるぷるさんがしっかり覚えておられて なつかしんで頂けたことで 持ってきた甲斐があったと思った次第です。早速リニューワルして頂いたのもうれしい限りです。
 心配した江若もそれなりに走ってくれて(我らの仲間は江若とわかってもらいましたが、若い人には興味はなかったようですが)自分的には大いに満足しました。あっと言う間に懇親会になり 早々に退席しましたが 本当に心安らぐ時間を過ごさせて頂きました。諸先輩ともっとお話がしたかったのですが、もう満足感一杯で
会場をあとにしました。お世話頂いた岡さんはじめ 皆様方に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

▼ぷるぷるさん:
>尼崎ホビスタでの運転会、盛会のうちに一日があっという間に終わりました。お世話いただいた岡さんをはじめ、役員の方々に感謝致したいと思います。
>
>各人思い思いの車両を持ち込んで、建築物に接触したり脱線転覆や車軸不転、台車破損などのトラブルもあったものの、そこは模型の世界、それも楽しいトラブルで、中には一日中走りまくっていた車両もありました。
>
>さて昨年の8月、当掲示板で「光明丹」が話題に上り、EVEの運転会の賑やかしに阪急の210型を作ったという話を書きましたが、68年度の西村雅幸さんが保管しておられ、今回思いがけなく運転会に登場しました。三十数年前に急造した三両編成は211-261-212で、211を68年度林 伸一さん、261を上記西村さん、212を私がそれぞれ分担して制作しました。基本的にペーパー車体ですが、211だけは車体の主要部分を真鍮で作ってあります。
>
>今回、私がいったん引き取って窓ガラス入れなどリハビリを行うことにしました。写真は車番のインレタを張り替え、窓ガラスを入れたところです。ケータイで撮った写真なのでピントが甘くて見苦しいですがご笑覧ください。
>
>ところでこの210型、雑誌に掲載された古い写真では212号車にもパンタグラフが付いていますが、私たちが現役だった頃には取り外されていたように思います。
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